確かに今の65歳は元気シニア、後期高齢者扱いは失礼かも知れない。父の時代と比較すれば10年は長生き出来る社会環境になったのは事実だ。時代の推移は考慮すべきだろうが、後期高齢者年齢を引き上げると医療、年金制度等、政治的にも暮らしにも影響するのだから気になるだろう。通りで見かける昼間の歩行者は殆どが高齢者だ。確かな足取りで普通に歩く人、3本足で背を曲げ危なっかしく歩く人、ゆっくりよちよち歩く人、脳梗塞などの病気上がりでリハビリ中かもしれないが歩行困難な人も見かける。年齢的に身体の不自由さが気になるこの頃だが、通りで見かけるシニアたちは自由に制限のある集団生活よりましでしょう。動作に支障がある病人は例外だ。家族内に付き添い人が居ないのが世の趨勢なら、そのために“ピンピンコロリン”を願って一人で生きられる心身共に健全なシニアになりたい。先ずは自分への甘えと戦うことだ思うのだが。では、老いても世話にならず1人で生きるにはどうするか。人間も「動物」=「動く物」である。身体も頭脳も目標にむかって絶えず動かなければならない。動きを回避することは自らの人生を否定することになる。卑近な例で恐縮だが、立派な後期高齢者である筆者に大動脈瘤が発見され、便秘で「力むな!」など、生活に制約がある。だが、薬類の服用を少なくすべく自助努力が必要だ。今までノンベンだらりの生活、寒いと言っては夕食後7時から布団に入っていた。夜中に目覚めて朝方二度寝をし、覇気がなく不健康状態になっていた。さあ、自助努力の実践だ。外が寒かろうが、暖かい時期と同様先ず歩行から。歩き出しは身体が重く足取りは鈍い。200mも歩けば足の運びもスムーズになり、500mで背筋も伸びて身体が軽く爽快になる。そのうち歩幅も大きく足の運びが速くなり、信号の変わり目は駆け足も出来るだろう。歩き終える頃には背中に汗をかく状態になるだろう。汗をかくぐらいの散歩が運動することの原点だと思うのだが…。結論:人間、年齢に甘えてダメ、動物になり切ることだ。動物との違いは行動に計画性があること、新企画を持ち、行動を実践することだ。そのために必要ならお金も使って実践度を高めることだろう。(自悠人)