昨日は★家で相撲観戦。メンバーはインターネット・マガジン、「知の木々舎」代表の玲子さん、★先生とわが夫婦。筆者はこのマガジンに毎月寄稿しているがお会いするのは夫の個展以来だ。有名人も多く寄稿するインターネット・マガジンを1人で切り盛りしていらっしゃる玲子さんはお若い。『知の木々舎』第173号・目次 ★先生はA大学の名誉教授だが特筆すべきはご自慢の「お好み焼き」、腕をふるって下さった。お2人は英会話のお友達、材料の買い出しや切り刻む下準備はお2人でなさったようだ。お好み焼きの作り方は割愛するが、★先生曰く、「コツは紅ショウガと韮を入れること」。筆者の役目は、鉄板の上に適当な大きさで流し置かれた固まりを見つめ、焼けた頃ひっくり返したり押さえつけたりするだけ。画面の「結びの一番」のあとは筆者の持参したヨーグルト・ババロアで結んだ。このババロアには普段はミカンの缶詰を乗せるので綺麗だが、マンゴーの缶詰を使ったら重たいので皆沈んでしまい表面が真っ白、でも薄味で好評だった。残念ながら昨日は遠藤が稀勢の里に蛙のように転がされ、隠岐の海も石浦も荒鷲も負けたが、眼の美しい高安は勝った!美味しいお好み焼きを頂きながらお喋りし、眼前のTV で贔屓筋を応援する大変楽しい時間だった。(彩の渦輪)
百人一首のスペイン語訳を出版した元駐ベネズエラ大使、伊藤昌輝さんの記事が朝日新聞の人欄に出てすぐに本を注文(親切青年K君がアマゾンで)、10日には手にした。著者は中南米で大使をした人だ。百人一首もスペイン語も大好き、中南米諸国は全て訪問した筆者にピッタリの本だと購入。一首ご紹介しよう。
崇徳院 瀬を早み 岩にせかるる滝川の われても末に あはむとぞ思ふ
Sutoku In Como agua
Del torrente del rio
Que se precipita hacia abajo
Podemos ser partidos por una roca,
Pero al final
Seremos uno otra vez.
「川瀬の流れが速いので、岩にせき止められる急流が、一度は別れても再び合流するように、愛しいあの人と今は…別れていても、行く末は…」と現代語訳もつき、付録にCDもついている。CDのスペイン語は懐かしくも歯切れの良い語感だ。アメリカの大学で教えていた時、教授連は自由に他のクラスに参加出来たのでよくスペイン語のクラスへ。教室で教授の言葉が聞き取りにくいと、しょっちゅう「Otra vez, por favor!=もう一度お願いします!」と尋ね、「オトゥラ・ヴェスさん」と綽名がついたこと、懐かしく思い出した。中学時代の初恋の人は近年亡くなったと聞いた。夢の世界で、「otra vez あはむとぞ思ふ」(彩の渦輪)
夕べ友人のR子さんとおしゃべりした。どうも似た者妻らしい。運転は出来ない。夫婦喧嘩が多い。というより、「夫いじめ」をしているというのが正確か。助けてもらっても「有難うがあまり言えない」、と。この頃のように寒いと郵便局やスーパーまでちょっと乗せてもらわなければならないが、そんなときだけ猫なで声を出す、等、日常を披露し合ったら笑いが止らなくなったが、「我は悪妻」と反省せざるを得なかった。その夜のラジオ深夜便午前1時からの番組で春風亭昇太(?)という人が好きなレコードをかけていた。なんと、水前寺清子の「ありがとうの歌」が聞こえた。張りとリズム感のある懐かしい声、なんと良い歌だ!水前寺清子と石坂浩二のドラマも思い出し、布団の中で口ずさんだ。
…いつも心に青空を いつも優しい微笑みを
さわやかに見つめあい さわやかに信じあう 今日も明日もありがとう
自分で言うのもおこがましいが、筆者はよく「笑顔がいい」と言われる。そのお世辞を信じさせていただいたとしても、その笑顔をうちの中では見せることが少なかった。ご同様に笑顔は外でばかり振り撒き、家では出し惜しみしているお方がいらっしゃるでしょうか?夫族も年齢と共に頑固者になって来ているとは思いますが、いつまで一緒に居られるか判らないシニア夫婦が言葉の刃で傷つけあったら悲しいですね。先ずこっち方が笑顔の出し惜しみを止め、「ありがとう!」を家の中でも。さあ、今日から、その優しく美しい笑顔と「ありがとう!」をあなたの長年の伴侶様へ!ではまず発生練習です!「あ~」「り~」「が~」「と~」「う~」!(彩の渦輪)
よく多摩川土手を散歩する。家から15分で土手に着き、土手を20分、富士に向かって挨拶しながら行き来し、帰宅すると50分行程、午前なら富士は純白の雪を頂き、夕方なら入日に浮かぶ秀麗な赤富士だ。だが、数か月ぐらい前からこの富士山が2つ見え出した。右目をつぶれば1つになる。赤富士2つも悪くはないが、周りの風景も皆ダブってごちゃごちゃするので、2か月ぐらい前から右目をつぶる習慣が。目以外にも問題あり。土手に上がるまで動悸と眩暈が激しい。富士山に尋ねたら、「心臓の専門医に行きなさい!」と。さて、眼科の結果は…右目が白内障だった。その先生は、「白内障の手術では日本一の眼科を紹介します」と。武蔵境のその眼科の先生は「僕は日本一ではありませんよ」と謙遜なさったが、手術予定は3月までびっしりだ。手術日までは片目で暮らすほかなし。トホホ。ハート・クリニックへ行ったら、「心筋梗塞かもね。Holderを24時間装着してください。結果を分析してあげます」。というわけで、Holder(長時間心電図記録器)に接続した5つのシールを胸に貼られ、Holder は首へ。今の心電図記録器は小さくて違和感がない。入浴も出来るのだ。「これを着けてぜひ多摩川土手に上がってきてください!」と言われたので、さあ、今夕も多摩川土手へ、片目で富士山に挨拶しに参りましょう。それから遠藤と隠岐の海の応援だ。(彩の渦輪)
写真 長時間心電図記録器
多摩癌研のエコー診察で大動脈瘤が発見され時、「知り合いの病院ありますか」と聞かれたが「特にない」と答えたらT病院を紹介された。紹介状は1回しか出せない。セカンド・オピニオンの必要性にすぐ気づき、手術実績の多いS病院に連絡、こちらには実費で初診料を払い、暫くは両方へ。手術の早い方にしたいと思ったからだが、どちらも有名大病院なので入院予定日はまだ先の先だ。病名は聡腸骨動脈瘤でどちらも同じ、大きさは診察日の違いか32mmと38mmで手術に該当。検査の進行は遅々として進まない。先ずは造影CTから始まり血液、心電図、そして胸、腹部のレントゲン、心臓カテーテル診断だが入院日がやっと決まった。T病院では手術内容の説明があった。大動脈分岐点に近い左足部だからステント・グラフト法を試み、うまくいかない場合は閉じて、改めて再度人工パイプ置換法の本格手術をするとのこと。病名は同じでも手術に至る行程は異なる。S病院は時間がかかり慎重であることが判ったが、検査項目も多いし、やっと検査入院が決まった。心臓カテーテル診断だ。執刀医には会っていないが組織内のチーム・ワークが良いと聞く。過去の手術例が多いので遂にこちらで手術すると決断したのだ。T病院の主治医の先生にどうお断りするか重い気持ちで出かけたが、正直に全てを話した。この病院の技術員の未熟さや連絡の悪さが目に付き、過去の入院患者の評判も良くない。医療事故も耳にする。関連センター内の連絡不十分や職員の不手際などを理由に自分も体験したことを話し、、先生の技量を評価した上で、先生が多忙でいざという時に不在ということが考えられるので、と、手術をお断りした。先生は親切にTとS、両病院の長所短所を教えてくれ正直な人格者だと思った。拙著を差し上げたら微笑んで、「またいつでもどうぞ!」とにこやかに、いつでも行ける道を残してくださった。(自悠人)