常務と名付けてから未だ3年未満です。言葉使いが変わってきました。
常務になりたての時は「社長、此処は私たちがやります。」と意気に
燃えていました。
やがて「社長、此処は私が一番良く知っていますから、私がやります。」
と何となくニアンスが違った感じです。
最近は「社長、口を出さないで下さい。」と云う時すらありました。
全部で20名足らずの町工場。女子3名を除けば全員が工員です。
バブル時代に手に入れた工場ですから銀行からの借入が多く、
返済が大変です。しかし、全員1丸となってよくやってきました。
誠実を買われて、利益は少ないが仕事はありました。
2年前、社長の焦りで、現金でバッタ部品を大量に仕入れたのです。
利益が相当出る筈でした。
失敗でした。製品に仕上げて納入した物が殆ど不良品と
なった返品されたのです。賠償も取れずに大きな損失となりました。
今までも苦しかった資金が急に回らなくなったのです。
社長は永年のベテランを常務に格上げし、工場を管理させ自分は
資金繰りで苦労を味あうようになって居たのです。
最初は効果がありました。常務も懸命に協力をしてくれました。
この分ならば半年もすれば会社は持ち直すと踏んでいたのが目算が狂いました。
常務の動き方がおかしくなったのです。
常務は役員になっても労働者の代表でした。
利益が出始めると、皆に残業をやめるように言い出したのです。
そのほうが、高い残業代も出す必要はないし、力を蓄えられて、翌日の効率が上がり、会社も、従業員も良い事だと云う論理です。そして自分は定時になるとせっせと帰ります。たちまち他の従業員も見習って、残業はない会社になったのです。
しかし、売上は以前より落ち込んでいます。其れで安定したみたいです。
せめて以前くらい売上があると資金的に楽ですが、世間は不景気です
から、今の受注で背一杯でしょう。
企業は何時の間にか万年赤字の体質になって居ました。
心配する社長が口を出すと冒頭の言葉が返ってくるようになったのです。
常務が従業員のことを思うのはよいことでしょうが、其れが中小企業に適しているか解かりません。しかし小さいことでも会社の利益より個人の利益の方が先に立つ考えは、たちまち従業員の心を掴みました。
リストラのことなど口にも出せません。
今までは社長の指揮命令は絶対だった会社が、今では常務の方を
見る人間が多くなって居たのです。
こんな時、社長は大変なことを耳にしました。
ある日、ゴルフコンペに珍しく参加した時です。同じ組の得意先の社長が、
社長に云いました。
「お宅は急がしくてよいね。うちの注文もたまには全部受けてよ。」
注文を断っているというわけです。おかしいなと思い、良く日直ぐに
他の会社を回ったのです。何処も注文を断られたと云っています。
常務が今の人間で残業なしでこなせる量しか受注をしないと云うのです。
社長と常務の大変な激論となりました。
「其れならば私はやめます。」「ああ、辞めてください。」となったのに結局は常務は居残り、今までよりもっと大きな顔で会社を牛耳るようになったのです。
常務に声をかけられた工員の多数が常務と同じく辞めると騒ぎ出したからです。
社長の命令は女の子だけにしか通らなくなりました。ましては
配置転換など出来ません。人事権はなくなったのです。
万年赤字の体質。しかし常務の保護下に有る工員の首も切れません。
会社は急速に悪化していきました。
たった2年の間です。
不渡りは避けれないでしょう。
社長は常務に其れを伝えました。
得意先に謝って回るから貴方も同行してくれと常務にはかりました。
「私は工場だけの責任だから、そんなことをする必要はありません。」又常務との言い争いです。
「弁護士でも何でも頼んでください。我々は辞めます。後社長お願いします。」
勝手に常務はさっさと出社をしなくなったのです。
年金はとうに出ている人、そうした意味では自分さえ守れれば良かったでしょう。
しかしこのことは結果的には良かったのです。
社長が謝って回ったところ、大口が2軒、手形を助けてくれたのです。
その結果不渡りを出さずに済んだのです。
受注は有ります。
今まで実務から離れていても昔取った杵柄、社長にだって指揮は取れます。
もっとも幸いしたことは、常務だけが真っ先に出社しなくことが、みんなの気持ちを変えたことです。
「潰れる時ほど我々の面倒を見てくれても良いのに、真っ先に自分だけ逃げ出して。」
そんな思いが各人にあったらしいです。
町工場です。
仕事がある時は深夜までうるさいです。
暫く残業代もきちんとは出ません。
会社が立ち直れば又出るさ。
皆はそんな気持ちになったみたいです。
街工場で人事権を失った社長。社長としての価値はありません。
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常務になりたての時は「社長、此処は私たちがやります。」と意気に
燃えていました。
やがて「社長、此処は私が一番良く知っていますから、私がやります。」
と何となくニアンスが違った感じです。
最近は「社長、口を出さないで下さい。」と云う時すらありました。
全部で20名足らずの町工場。女子3名を除けば全員が工員です。
バブル時代に手に入れた工場ですから銀行からの借入が多く、
返済が大変です。しかし、全員1丸となってよくやってきました。
誠実を買われて、利益は少ないが仕事はありました。
2年前、社長の焦りで、現金でバッタ部品を大量に仕入れたのです。
利益が相当出る筈でした。
失敗でした。製品に仕上げて納入した物が殆ど不良品と
なった返品されたのです。賠償も取れずに大きな損失となりました。
今までも苦しかった資金が急に回らなくなったのです。
社長は永年のベテランを常務に格上げし、工場を管理させ自分は
資金繰りで苦労を味あうようになって居たのです。
最初は効果がありました。常務も懸命に協力をしてくれました。
この分ならば半年もすれば会社は持ち直すと踏んでいたのが目算が狂いました。
常務の動き方がおかしくなったのです。
常務は役員になっても労働者の代表でした。
利益が出始めると、皆に残業をやめるように言い出したのです。
そのほうが、高い残業代も出す必要はないし、力を蓄えられて、翌日の効率が上がり、会社も、従業員も良い事だと云う論理です。そして自分は定時になるとせっせと帰ります。たちまち他の従業員も見習って、残業はない会社になったのです。
しかし、売上は以前より落ち込んでいます。其れで安定したみたいです。
せめて以前くらい売上があると資金的に楽ですが、世間は不景気です
から、今の受注で背一杯でしょう。
企業は何時の間にか万年赤字の体質になって居ました。
心配する社長が口を出すと冒頭の言葉が返ってくるようになったのです。
常務が従業員のことを思うのはよいことでしょうが、其れが中小企業に適しているか解かりません。しかし小さいことでも会社の利益より個人の利益の方が先に立つ考えは、たちまち従業員の心を掴みました。
リストラのことなど口にも出せません。
今までは社長の指揮命令は絶対だった会社が、今では常務の方を
見る人間が多くなって居たのです。
こんな時、社長は大変なことを耳にしました。
ある日、ゴルフコンペに珍しく参加した時です。同じ組の得意先の社長が、
社長に云いました。
「お宅は急がしくてよいね。うちの注文もたまには全部受けてよ。」
注文を断っているというわけです。おかしいなと思い、良く日直ぐに
他の会社を回ったのです。何処も注文を断られたと云っています。
常務が今の人間で残業なしでこなせる量しか受注をしないと云うのです。
社長と常務の大変な激論となりました。
「其れならば私はやめます。」「ああ、辞めてください。」となったのに結局は常務は居残り、今までよりもっと大きな顔で会社を牛耳るようになったのです。
常務に声をかけられた工員の多数が常務と同じく辞めると騒ぎ出したからです。
社長の命令は女の子だけにしか通らなくなりました。ましては
配置転換など出来ません。人事権はなくなったのです。
万年赤字の体質。しかし常務の保護下に有る工員の首も切れません。
会社は急速に悪化していきました。
たった2年の間です。
不渡りは避けれないでしょう。
社長は常務に其れを伝えました。
得意先に謝って回るから貴方も同行してくれと常務にはかりました。
「私は工場だけの責任だから、そんなことをする必要はありません。」又常務との言い争いです。
「弁護士でも何でも頼んでください。我々は辞めます。後社長お願いします。」
勝手に常務はさっさと出社をしなくなったのです。
年金はとうに出ている人、そうした意味では自分さえ守れれば良かったでしょう。
しかしこのことは結果的には良かったのです。
社長が謝って回ったところ、大口が2軒、手形を助けてくれたのです。
その結果不渡りを出さずに済んだのです。
受注は有ります。
今まで実務から離れていても昔取った杵柄、社長にだって指揮は取れます。
もっとも幸いしたことは、常務だけが真っ先に出社しなくことが、みんなの気持ちを変えたことです。
「潰れる時ほど我々の面倒を見てくれても良いのに、真っ先に自分だけ逃げ出して。」
そんな思いが各人にあったらしいです。
町工場です。
仕事がある時は深夜までうるさいです。
暫く残業代もきちんとは出ません。
会社が立ち直れば又出るさ。
皆はそんな気持ちになったみたいです。
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