かっ飛ばせ借金 打ち勝て倒産

 
 ‐オグチ経営研究所‐

 ☆★自分でできる経営の再生と整理★☆

  

女の力

2007-10-09 | 事例
職安からの紹介と云う女は50歳前後、風采の上がらない小柄の女でした。
辞めさせた経理マンの後継に帳簿付けだけでもと思って採用しました。
「大手銀行に居ました。」
聞こえはよいが前の男は何一つ出来る男では有りません。
資金繰り表一つ出来ないのです。
彼になってから、先が読めなくなった社長の効率は、ぐっと落ち込んでいました。
6ヶ月で辞めてもらい、後任の女子事務員を採用したのです。

見かけによらず女はやり手でした。
1ヶ月経たないうちに1ヶ月の日毎の資金繰り表を作るようになったのです。
そして2箇月目から充分に使えるものになりました。
それにより、遠慮しながら、営業マンに回収をプッシュしだしたのです。
儲け物の女を採用したものです。

社長の仕事も無駄が少なくなりました。
同じ資金繰りで何回も同じ事をすると言うことがなくなったのです。
第一、先が解からずいらいらしなくて済むのが一番です。

女は、たちまち周囲に覚えられました。
銀行に云っても社長以上に注目されます。
今まで社長に今月の売上見込みを聞いても明快に
答えられなかったのが、女は即答します。そして其れは確度が高いのです。
同業者の間でも大請けです。
「社長では解からないが、女の経理が云った事は確実だ。」と云うことです。

何時の間にか女の云う事は誰しも聞くようになりました。
陰の女帝になったのです。
しかし、女はそんなことは全く気にせずに自分の仕事を努めていました。

業績は次第に落ち、資金繰りはますます苦しくなって行きます。
社長は誰からかリスケをするべきだと聞いてきました。
元金を払わなければ、資金的には随分楽になります。

しかし女は反対でした。
「大恩のある銀行さんに、まだそんな失礼のことはできません。
改善の余地は未だ幾らもあるから、先ず其れをしましょう。」
と云うわけです。
心をあわせ、一丸となって経営改善に取り組みますが、
その割りに資金が楽になりません。
ついに手形決済が危ないと云うときが来ました。
信頼できる営業マンの回収が寸前に狂ったのです。

「銀行と相談しよう。」おろおろする社長に向かって女は云いました。
「高利から1ヶ月借りましょう。その頃此の得意先からの入金が
ありますから、其れを返済に充てれば、未だ大丈夫です。今銀行に
余分な事を云うと逆に用心されるだけです。」
結局この言葉に従ったのです。

好事魔多し。回収する筈の得意先から届いたのは民事再生申請の通知でした。

高利は金利さえ払えば延長はむしろ歓迎です。追い貸しも薦めます。
しかしその金利すらもう困難です。
元金0のリスケに持っていけば、まだ当分は大丈夫です。
リスケをして、無理をすれば高利とも縁が切れます。

しかし女から出た言葉は違いました。
「こうなったのは全て私が悪いのですから、責任を取らせて頂きます。」
つまり退社しますということです。
懇願する社長を尻目に女は退社しました。

社長は慣れぬ手で計画書を作り、リスケの依頼です。
各銀行は女が何で辞めたか知りたがります。
その所為か何処も半年のリスケを認めただけです。
1年では有りませんでした。

同業者には女の退社を訝る声も有ります。
何故大切な女が今辞めたかと云うことです。

6ヶ月経った頃、リスケの延長の話より、万歳の方が先に出るかも知れません。





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人事権の復活

2007-10-06 | 事例
常務と名付けてから未だ3年未満です。言葉使いが変わってきました。
常務になりたての時は「社長、此処は私たちがやります。」と意気に
燃えていました。
やがて「社長、此処は私が一番良く知っていますから、私がやります。」
と何となくニアンスが違った感じです。
最近は「社長、口を出さないで下さい。」と云う時すらありました。

全部で20名足らずの町工場。女子3名を除けば全員が工員です。
バブル時代に手に入れた工場ですから銀行からの借入が多く、
返済が大変です。しかし、全員1丸となってよくやってきました。
誠実を買われて、利益は少ないが仕事はありました。

2年前、社長の焦りで、現金でバッタ部品を大量に仕入れたのです。
利益が相当出る筈でした。
失敗でした。製品に仕上げて納入した物が殆ど不良品と
なった返品されたのです。賠償も取れずに大きな損失となりました。
今までも苦しかった資金が急に回らなくなったのです。

社長は永年のベテランを常務に格上げし、工場を管理させ自分は
資金繰りで苦労を味あうようになって居たのです。

最初は効果がありました。常務も懸命に協力をしてくれました。
この分ならば半年もすれば会社は持ち直すと踏んでいたのが目算が狂いました。
常務の動き方がおかしくなったのです。

常務は役員になっても労働者の代表でした。
利益が出始めると、皆に残業をやめるように言い出したのです。
そのほうが、高い残業代も出す必要はないし、力を蓄えられて、翌日の効率が上がり、会社も、従業員も良い事だと云う論理です。そして自分は定時になるとせっせと帰ります。たちまち他の従業員も見習って、残業はない会社になったのです。

しかし、売上は以前より落ち込んでいます。其れで安定したみたいです。
せめて以前くらい売上があると資金的に楽ですが、世間は不景気です
から、今の受注で背一杯でしょう。
企業は何時の間にか万年赤字の体質になって居ました。
心配する社長が口を出すと冒頭の言葉が返ってくるようになったのです。

常務が従業員のことを思うのはよいことでしょうが、其れが中小企業に適しているか解かりません。しかし小さいことでも会社の利益より個人の利益の方が先に立つ考えは、たちまち従業員の心を掴みました。
リストラのことなど口にも出せません。
今までは社長の指揮命令は絶対だった会社が、今では常務の方を
見る人間が多くなって居たのです。

こんな時、社長は大変なことを耳にしました。
ある日、ゴルフコンペに珍しく参加した時です。同じ組の得意先の社長が、
社長に云いました。
「お宅は急がしくてよいね。うちの注文もたまには全部受けてよ。」
注文を断っているというわけです。おかしいなと思い、良く日直ぐに
他の会社を回ったのです。何処も注文を断られたと云っています。
常務が今の人間で残業なしでこなせる量しか受注をしないと云うのです。

社長と常務の大変な激論となりました。
「其れならば私はやめます。」「ああ、辞めてください。」となったのに結局は常務は居残り、今までよりもっと大きな顔で会社を牛耳るようになったのです。
常務に声をかけられた工員の多数が常務と同じく辞めると騒ぎ出したからです。

社長の命令は女の子だけにしか通らなくなりました。ましては
配置転換など出来ません。人事権はなくなったのです。
万年赤字の体質。しかし常務の保護下に有る工員の首も切れません。
会社は急速に悪化していきました。
たった2年の間です。

不渡りは避けれないでしょう。
社長は常務に其れを伝えました。
得意先に謝って回るから貴方も同行してくれと常務にはかりました。
「私は工場だけの責任だから、そんなことをする必要はありません。」又常務との言い争いです。
「弁護士でも何でも頼んでください。我々は辞めます。後社長お願いします。」
勝手に常務はさっさと出社をしなくなったのです。
年金はとうに出ている人、そうした意味では自分さえ守れれば良かったでしょう。

しかしこのことは結果的には良かったのです。
社長が謝って回ったところ、大口が2軒、手形を助けてくれたのです。
その結果不渡りを出さずに済んだのです。

受注は有ります。
今まで実務から離れていても昔取った杵柄、社長にだって指揮は取れます。
もっとも幸いしたことは、常務だけが真っ先に出社しなくことが、みんなの気持ちを変えたことです。
「潰れる時ほど我々の面倒を見てくれても良いのに、真っ先に自分だけ逃げ出して。」
そんな思いが各人にあったらしいです。

町工場です。
仕事がある時は深夜までうるさいです。
暫く残業代もきちんとは出ません。
会社が立ち直れば又出るさ。
皆はそんな気持ちになったみたいです。

街工場で人事権を失った社長。社長としての価値はありません。





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どうしても自宅は守りたい

2007-10-03 | 事例
Mは決心しました。
銀行の了解の元に抵当権付の自宅をRに売却します。
勿論この代金は銀行に行きますから抵当権は解除されます。
Rはこの物件を後でMに売り戻してあげると言って居ます。
売り戻すのに、Mにとって一番有利な買戻特約を登記しようとも
言ってくれています。

Mには良くわかりませんが買戻特約と云うのは10年以内ならば、
今回の譲渡価格で買戻しが優先的に出来ると言う事らしいです。
引き続き其処に住んで居ますから一寸高めの家賃は払わなければ
なりません。

Mは「此れでもう競売も何も平気だ、自宅は守られた。」と思って居ました。
家賃はRが使った自宅の買取に使ったお金の金利だと思えば
少し高くなっても腹もたちません。不動産は値上がりして居ます。
しかしMは譲渡した安い価格でいつでも買い戻せます。
Mは内心鼻高々です。

Mはもう一行と取引をし、其処にも大分迷惑を掛けました。
其処はサービサーに譲渡されています。
サービサーは和解するなら、和解金は300万ですと、話し合いでMに
伝えております。300万など全然有りません。

サービサーは言ってきました。
「今のお住まいは買戻し特約になって居ますね。お売りになった頃に
比較して、このあたりは優に1.5倍以上です。倍以上かも知れません。
買戻特約ですから買い戻しましょう。お金は立て替えます。其の立替金と
費用と300万とそれに余りの半分をいただければ、当方は和解に
応じます。」と云うことです。
嘘か本当か解かりませんが
「買戻し権は差押できます。うちがそうすればMさん。貴方は、
住むところを取られてその上一文なしです。」
と、脅しも入ってきます。

Mは泣く泣く、中小事業団に積み立てていた中小企業の社長の
退職金を取り崩し300万を払いました。

しかしこのMの処置は正しかったでしょうか。この安心ももう6年も
経って10年になれば、Mは思い知るでしょう。
買戻しと言っても、そのお金が稼げる筈がありません。その文を
貯めるなど不可能の事です。今のままでは必ずRに取られてしまいます。
誰か買い戻すスポンサーを見つけても今の不動産が高価格を維持して
くれていればよいですが、いまや住宅供給過剰です。このあたりも、
業者相場は1年前の8割以下です。今の高価格は期待できないでしょう。

仮にその時に価格差が生じ、若干得をしたようでも、今は普通より割高の
家賃です。この10年分を考えると、決して得ではありません。
元の自宅に住んでいる、ただその満足感だけが取り得です。

「競売から貴方の不動産をお救いします。」と叫ぶ商売が最近流行って
居るように思われます。
「抵当権を解除して我々が物件を買いますよ。其処に僅かな賃料で
今までと全く同じ様に住んで頂いて結構です。それで2年後には、
ご希望ならば1割高で買い戻して頂きます。出来ない場合は我々が
物件処分をいたします。」
此の文句に飛びつく人も多いです。
しかし、飛びついても、今からそんなお金が貯まるわけがありません。
安いと言っても、ほぼ世間並みの賃料が必要です。
買い手はこの賃料だけで利回りを得ています。

この物件、再び自分の名義にはなりません。ただ2年間、元の自分の
家に家賃を払って住んだと言うだけです。
逆に競売に持ち込むと、立ち退くまで2年近くは掛かります。
その間は其処に住め、家賃は1円も掛かりません。
結果的には一口載せられたような格好です。

又こんな事も有ります。
自宅はローンだけで、他の担保はないと言うのにぶっつかります。
しかも担保余力があります。
「差押されますよ」と注意すると、急に2番抵当をつけます。

「今頃2番をつけても見え透いて居ますよ。必ず詐害行為になります。」
と、云うと目の色が変わります。
詐害行為の争いならば、理由が立ちさえすれば負けないと、幾つも理由を
考えて、絶対に勝つ理由を選べと云うわけです。日ごろ太っ腹と云われて
居る人も、こうした態度に変わります。
自宅と別れる事が近くになった人は必ず態度が変わってきます。

自宅の事を考えて声の変わる人も少なくありません。
声が元どおりになるまでに半年近く掛かるでしょう。

そのくらい皆さん自宅には関心を抱いていますが、寸前ならば、
いろいろ手を打っても此れほど効果が上がらない保全も少ないでしょう。

今日も又、「いよいよ自宅を守らねばなりませんが、その方法は。」と
質問があります。貴方と知り合ったときから忠告して居ますよ。
あのときに手を打って置けば全然今と事情が違いますよ。

特に自宅は早くから危機管理が必要です。





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