「会津塗」
略史
会津の地に本格的に漆工芸が根付いたのは、天正十八年(一五九〇)豊臣秀吉の命を受けて会津の領主となった蒲生氏郷公が産業として奨励したことによります。氏郷公は前の領地であった日野(滋賀県)から木地師(きじし)や塗師(ぬりし)を呼び寄せて先端技術を伝授させます。これによって会津塗の技術は飛躍的に進歩を遂げ、漆の栽培から加飾(かしょく)までを一貫して手がける一大産地となっていったのです。
江戸時代には会津藩の藩祖・保科正之(ほしなまきゆき)公が漆の木の保護育成に努め、また、歴代藩主が技術革新に熱心に取り組み、中国、オランダなどへも輸出され、隆盛を迎えます。
しかし、幕末の戊辰戦争(ぼしんせんそう)において会津漆器は壊滅的な打撃を受けてしまいます。戊辰の戦火によって焼け野原と化した会津の復興は、会津漆器の復興でもあったのです。
明治の中期には、会津は日本有数の漆器産地としてその名を再びとどろかせるに至っています。四百年という時を超えて生き抜いた伝統の技の上に、常に最新技術を積極的に取り入れ会津漆器は現在まで成長を続けています。
*http://www.chuokai-fukushima.or.jp/aizushikkikumiai/history-japanese.html より
*https://kougeihin.jp/craft/0506/ より
産地
福島県 会津若松市、喜多方市、南会津町、西会津町、北塩原村、会津美里町
歴史
会津の地に本格的に漆工芸が根付いたのは、天正18年(1590年)、豊臣秀吉の命を受けて会津の領主となった蒲生氏郷公が、産業として漆工芸を奨励したことによります。氏郷公は、前の領地であった日野(滋賀県)から木地師や塗師を呼び寄せて、先端技術を伝承させました。
これによって会津塗の技術は、飛躍的な進歩を遂げ、漆の栽培から加飾までを一貫して手がける一大産地となっていったのです。
400年という時を超えて生き抜いてきた伝統の技の上に、常に最新技術を積極的に取り入れてきた会津漆器は、現在まで成長を続けています。
特徴
今から500年程前の室町時代、芦名氏が漆樹の植樹を奨励したのが始まりで天正年間(1573~92年)蒲生氏郷が近江より職人を招き、その技法を会津に広め漆工養成と技術の進歩を図り、一躍産業化された。
朴、栃、欅等を木地として日用品漆器を生産し消粉・色粉などの蒔絵と沈金に特徴があり日本人好みの縁起の良い意匠や、多彩な加飾法が楽しめ、渋味のある「鉄錆塗」もみ殻をまいて模様を出す「金虫喰塗」木目の美しい「木地呂塗」、美しい塗肌の「花塗」が特徴です。
*https://www.tohoku.meti.go.jp/s_cyusyo/densan-ver3/html/item/fukusima_01.htm より
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