『“蒼蠅驥尾に付して千里を渡る”と申しますが、一生懸命頑張りますので、どうかお導きのほど宜しくお願いいたします。』
遡ること15年前、職場の歓迎会で新たに同人として加わることになった大先輩(当時60歳を超えていた)が謙遜して挨拶されたひとことが心に残っている。よくよく考えれば真にもって他力本願な言葉ではあるが・・・。
蒼蝿は青バエ、驥は一日に千里を駆けるという伝説の駿馬。青バエのようなつまらない凡人も、優れた先達に付き従っていけば相当な事を成し遂げる事ができる、と言う故事・格言である。
なお、この言葉は『碧蘿(へきら)は松頭に懸りて千尋を延ぶ』と続く。自身は這いつくばるだけのツタも、高くそびえる松の木にからめばその高さにまで達するの意。
自身を顧みるに正しく“蒼蝿や碧蘿”に違いないが、お陰なことに周り(驥や松)に支えられてここまで務め上げられたことに感謝している。
『実るほど頭を垂れる稲穂かな』とは好きな言葉で、生活信条の一つにしているほどだが、冒頭の諺とともに、その意味合いを身を以て実感する年になった。
遡ること15年前、職場の歓迎会で新たに同人として加わることになった大先輩(当時60歳を超えていた)が謙遜して挨拶されたひとことが心に残っている。よくよく考えれば真にもって他力本願な言葉ではあるが・・・。
蒼蝿は青バエ、驥は一日に千里を駆けるという伝説の駿馬。青バエのようなつまらない凡人も、優れた先達に付き従っていけば相当な事を成し遂げる事ができる、と言う故事・格言である。
なお、この言葉は『碧蘿(へきら)は松頭に懸りて千尋を延ぶ』と続く。自身は這いつくばるだけのツタも、高くそびえる松の木にからめばその高さにまで達するの意。
自身を顧みるに正しく“蒼蝿や碧蘿”に違いないが、お陰なことに周り(驥や松)に支えられてここまで務め上げられたことに感謝している。
『実るほど頭を垂れる稲穂かな』とは好きな言葉で、生活信条の一つにしているほどだが、冒頭の諺とともに、その意味合いを身を以て実感する年になった。