4月に母の三回忌法要で済ませ、懇ろに追善供養をしたつもりだが、一つだけ心に引っ掛かっていた。それは母の晩年に、母の無二の親友であるN波さんが二度も、たまたま私ども夫婦が付き添っていない時に、病床を訪ね励ましてくださっていた。そのN波さんのことは、元気な時の母から話に聞いていただけで、お目に掛かったことは一度も無い。家内は母が亡くなる前後に、二度電話でお話をした。
そんな恩人に御目文字して是非ともお礼を申し上げたいと家内がいうので、70年前のN波さんと母が一緒に写った写真を10枚ほど携えてお訪ねした。
奇遇にもN波さんの孫娘は、小生の会社の後輩にあたり、倅と同じ職場に勤務している。11月にはママになる予定だ。
そして初めて訪ねるN波さん宅は、小生が現役の時8年間担当した取引先K林さんの数軒お隣だったので、K林の奥さん(家内と高校の同窓)の道案内でスムーズに辿りついた。
初対面にも拘らず、旧知の友のような歓待を受け、家内の肩を抱き寄せるようにして数々の秘話を披露された。「当時各学校から一人しか派遣されない“満蒙開拓女子青年拓植訓練”へは、達ての願いを聞き入れてくださり、例外的にN波さんと母の二人が参加した。」という、とりわけ貴重な話も聞くことも出来た。積もる話の続きは、次回拙宅へお出掛け頂き承ることにしてお暇した。
今回もまた、人は意外なところで繋がっており、現世を生かされていることを思い知り、感謝の念に堪えない出会いであった。

満蒙開拓女子青年による拓植訓練の写真(1940年10月撮影)


母(後列左から3番目)の隣にはいつもN波さんの姿が
そんな恩人に御目文字して是非ともお礼を申し上げたいと家内がいうので、70年前のN波さんと母が一緒に写った写真を10枚ほど携えてお訪ねした。
奇遇にもN波さんの孫娘は、小生の会社の後輩にあたり、倅と同じ職場に勤務している。11月にはママになる予定だ。
そして初めて訪ねるN波さん宅は、小生が現役の時8年間担当した取引先K林さんの数軒お隣だったので、K林の奥さん(家内と高校の同窓)の道案内でスムーズに辿りついた。
初対面にも拘らず、旧知の友のような歓待を受け、家内の肩を抱き寄せるようにして数々の秘話を披露された。「当時各学校から一人しか派遣されない“満蒙開拓女子青年拓植訓練”へは、達ての願いを聞き入れてくださり、例外的にN波さんと母の二人が参加した。」という、とりわけ貴重な話も聞くことも出来た。積もる話の続きは、次回拙宅へお出掛け頂き承ることにしてお暇した。
今回もまた、人は意外なところで繋がっており、現世を生かされていることを思い知り、感謝の念に堪えない出会いであった。

満蒙開拓女子青年による拓植訓練の写真(1940年10月撮影)


母(後列左から3番目)の隣にはいつもN波さんの姿が