てすさび日誌

哀しき宮仕えを早期リタイアし、“サンデー毎日”のomorinが生活の一コマや雑感を認めた日誌です(2005/4/20~)

近隣火災

2012-05-29 14:38:00 | 暮らしと生活
 義父を見舞いに帰省する義妹のために、早朝よりちらし寿司を作り、出来上がった一部を長男と三男宅へも届けて帰宅した。

 朝食を済ませた7時45分ころ、しじまを破って消防車のけたたましいサイレンの音に、家内が様子を見に二階ベランダへ上がった。と同時に、「大変じゃ!うちのアパートかもしれん!」の大声に、歯磨きを途中止めにし自転車に飛び乗り現場へ向かって急行した。

 道中、胸騒ぎがし足の震えを抑えるのがやっとだったが、幸いにも我がアパートではない。その数軒北にある有名なラーメン店が火元で、大家で南隣に住むH部さん宅にも燃え移り、必死の消火作業も虚しく目の前で2軒とも全焼した。
 現場から北へ約150㍍には高島小学校があり、折りしも児童の登校時間とも重なり、あたりは一時騒然となった。

 今朝6時前のウオーク時と、同じく7時過ぎ倅宅へ寿司を持って向かう際、H部宅の脇を通ったのだが、その時には何の異常も感じられなかった。

 私の現着と入れ違いに、非番の長男は既に写真をおさえ火災現場を後にした。私は警察と消防が第一通報者に事情聴取をするのを傍で聞き、やっと全容が理解できた。どうやらH部さんが自力で初期消火を試み消防への通報が遅れ、惨事に至ったようだ。

 小欄「2007/1/12 伝承の意義」の中でちょっと触れたように、我が家は過去に2度も火災に遭っている。2回目の災難は私が生後間なしのことだから全く記憶にはないはずなのに、親から聞かされたことが潜在的にトラウマとなって「極度火事恐怖症」にある。火事と聞いただけで胸の鼓動が高まり、身体が震える。

 H部さんは消火の際、顔にやけどを負ったが、軽症のもよう。これが就寝中だったらと思うとぞっとする。店子が火元で類焼の被害に遭われたことは誠にお気の毒だが、大した怪我人が出なかったのは不幸中の幸いである。泥棒なら根こそぎ持って行くことはないが、火災だけは水で消火するからという訳でもなかろうが、全てが水泡に帰するので怖い。せめて火元にはならぬよう心したいものだ。

近年界隈で起きた火災の記事
★「2007/8/2 台風接近中に火災発生」 
★「2007/8/29 またもや近所で火災」 
★「2009/8/4 無人休憩所全焼」 
★「2011/3/28 彼岸明けの墓地でボヤ騒ぎ


手前の我が田圃の向こうに立ち上る白煙(5月29日午前7時52分)

煙と炎に包まれる被災民家(同7時54分)

事情聴取を受ける第一通報者(同8:01分)

見る間に焼け落ちる被災民家(同8:02分)

無残に焼け落ちた被災民家(同18:42分)
コメント (4)
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