松山において学生時代の同期10名が相集い、“ささやかに”喜寿を祝った。
というのも『喜寿のお祝いを“盛大に”すると、その後早死にする』というジンクス?があるから。
今回特筆すべきは、遥々山口から駆け付けてくれた友に、卒業以来50数年ぶりに再会できたこと。
10数年前から度々の病魔におかされながらも、見事克服し社会復帰を果たした。
翌日もその彼を交えて時間の許す限り会話が弾んだ。
半世紀のブランクなど全く感じさせない。
カラダのあちこちに不調を覚えるのはお互い様。
「松山には身体が動く限り帰ってくる」と宣言した、もう一人の無二の親友に倣い、次回参集を心の励みにして帰途に就いた。
かけがえのないご友人との会話をエンドレスで楽しまれたことでしょう。😊
私も、高校、大学の友人とは定期的に会っています。卒業後は各々の道を歩いていくのですが、集まると何の隔たりもなく、むしろほっとした気持ちになったりします。いいものですよね。
父は、90歳過ぎまで、けっこうな頻度で学生時代の友人と同期会を開いていました。
そんな元気なパワー💪を私たちも頂きましょう!
P.S. 松山駅の三角屋根の駅舎、レトロで可愛いですね。
祝メッセどうもありがとうございます。
仰る通り、気の置けない友との語らいは、まさしく“エンドレス”で、時間がいくらあっても足りません。
ただ時の流れは、かくも過酷なものかと恨めしく思いました。
特に繰り返し病を患った友の姿が痛々しく、不憫でなりませんでした。
90歳過ぎてもマイカーを杖代わりにわが家へ運転していた義父や、noriさんの父上に肖りたいものです。
いつもはマイカーが多いのですが、久しぶりにJRを使い、駅界隈が大きく変貌を遂げているのにビックリ。
勿論、昔日(学生時代)の面影はなく、浦島太郎状態でした。
「傘寿」は「喜寿」のケアレスミスでした。
訂正してお詫びいたします。
傘寿までは元気でいたいという願望の現れでしょうかね。
何か3歳得をした感じがします。
この時点での3歳の差は大きいです。
3歳若返り、おめでとうございます🎉