七夕の夜、BS朝日の番組「ネコいぬワイドショー」を見るとはなしに見ていると、番組後半でネコといぬの保護活動を続けている佐良直美さんの前宣伝が出たので、ついつい最後まで見てしまった。
「ネコ・いぬ」に関する情報だけを伝えるワイドショー!と銘打っての番組なのだが、変わった行動をとるネコやいぬたちの表情を矢継ぎ早に紹介され、不覚にも魅入ってしまった。
そして番組の終盤にはあの懐かしの佐良直美さんが登場。
1967年に「世界は二人のために」で歌手デビューし、120万枚のレコードを売り上げ。
第9回日本レコード大賞の新人賞を受賞、同年の第18回NHK紅白歌合戦に初出場。
NHK紅白歌合戦では歌手兼司会回数で女性最多と大活躍。
そんな彼女は独身を貫き、芸能活動はほぼ引退、現在は実業家として活動。
番組での紹介によると『40年前に栃木県の那須塩原に移住。そこで、ネコといぬの保護活動を続けている。
これまで、1,000匹以上を保護してきた彼女が、いま、もっとも力を入れているのが、野良犬の保護活動。
野生化した野良犬が急増する中、佐良さんは、毎日山の中に入り、餌をやりながら、野良犬たちと距離を縮め、保護するという活動を行なっている』とある。
久方ぶりに拝見した彼女の顔が、石井ふく子さんと輪郭や目元、雰囲気がそっくりなのには驚いた。
彼女がドラマに出るようになったキッカケが石井ふく子さんとの出会いにあり、その運命の女性石井ふく子さんを姉のように慕っていたと聞くが、むべなるかな。
さて、久しぶりに彼女の歌声に触れてみようと、乏しいマイ・ミュージック・ライブラリーを探すと、カセットテープが1本だけあったが、当の「世界は二人のために」が見当たらず。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/82/5ec6c3266b86523fc722d6298d58e09d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/10/22a1548c6fe08ea40edd9e6dc1bbf00f.jpg)
「ネコ・いぬ」に関する情報だけを伝えるワイドショー!と銘打っての番組なのだが、変わった行動をとるネコやいぬたちの表情を矢継ぎ早に紹介され、不覚にも魅入ってしまった。
そして番組の終盤にはあの懐かしの佐良直美さんが登場。
1967年に「世界は二人のために」で歌手デビューし、120万枚のレコードを売り上げ。
第9回日本レコード大賞の新人賞を受賞、同年の第18回NHK紅白歌合戦に初出場。
NHK紅白歌合戦では歌手兼司会回数で女性最多と大活躍。
そんな彼女は独身を貫き、芸能活動はほぼ引退、現在は実業家として活動。
番組での紹介によると『40年前に栃木県の那須塩原に移住。そこで、ネコといぬの保護活動を続けている。
これまで、1,000匹以上を保護してきた彼女が、いま、もっとも力を入れているのが、野良犬の保護活動。
野生化した野良犬が急増する中、佐良さんは、毎日山の中に入り、餌をやりながら、野良犬たちと距離を縮め、保護するという活動を行なっている』とある。
久方ぶりに拝見した彼女の顔が、石井ふく子さんと輪郭や目元、雰囲気がそっくりなのには驚いた。
彼女がドラマに出るようになったキッカケが石井ふく子さんとの出会いにあり、その運命の女性石井ふく子さんを姉のように慕っていたと聞くが、むべなるかな。
さて、久しぶりに彼女の歌声に触れてみようと、乏しいマイ・ミュージック・ライブラリーを探すと、カセットテープが1本だけあったが、当の「世界は二人のために」が見当たらず。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/82/5ec6c3266b86523fc722d6298d58e09d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/10/22a1548c6fe08ea40edd9e6dc1bbf00f.jpg)
佐良直美さんのテープ、懐かしい曲ばかり。
ご自身のヒット曲の他に、このテープの中に私の大好きなフォーク・クルセダーズの♪あの素晴らしい愛をもう一度♪を見つけました。
動物が大好きなだけの私にとって、佐良さんの動物愛護の活動には感謝の気持ちでいっぱいです。中々できないことです。
1960年代は学生運動華やかなりし時で、それに呼応するかのようにフォークソングの黎明期でもありましたね。
1969年10月(10.21))には片田舎のわが大学にまで飛び火、お決まりのバリケードや火炎瓶が飛び交いました。
ノンポリの小生は、混乱に巻き込まれぬよう、緊急避難のため帰省しており、難を逃れました。
あの素晴らしい愛をもう一度♪は、My Favorite Songのひとつだったので、このカセットを求めた記憶があります。
彼女の動物保護活動にはほんとうに頭が下がります。
本来行政の仕事でしょうに!
私の家から自転車でちょっと行ったところには
中核派の本部がありました。鉢巻をした若者が
棒をもって建物の周りにいました。革マル派の襲撃を
棒で立ち向かおうとしてたのでしょうか???
そういえば先月逝去された坂本龍一さんは都立新宿高校で学生運動にのめり込んでいらしたそうです。彼はかなり過激派だったと聞いています。
omorinさんの様にその時期に帰省されたのは親孝行と言えるのではないでしょうか
ご存じの通り、坂本さんが亡くなる直前まで書き残していたことを「ぼくはあと何回、満月をみるだろう」(新潮社)と題して6月21日に刊行されました。
その前日、20日付山陽新聞へ「最期の瞬間まで意志的に」という見出しで、出版までの経緯が簡単に紹介されました。
坂本さんをしのびつつ、同時に敬愛しておられたはるすみさんの心中はいかばかりかと思いを馳せながら、この記事をスクラップした次第です。
が、如何せんはるすみさんのお手元へ届けるすべがなく、どうしたものかと案じておりました。
お気遣いありがとうございます。
心から嬉しく感謝いたしております。
大丈夫です。
と言いますのは、私は坂本さんが東京藝術大学作曲学科の学生のころから彼の演奏を聴いておりますので、十分満足をし思い残すことはありません。
人気が出る前はライブハウスで「キリンバンド」に時々参加していました頃から亡くなるまでふぁんでした(^^;
その頃の坂本さんは腰まであるかなと言うくらいの長髪でした。私のような天然パーマでなく美しいストレートヘアーでしたよ。愛想ゼロのミュージシャンでしたね(笑)
最期の言葉は「つらい。もう逝かせてくれ」と医師に伝えたそうです。
そう、医師と握手して礼を述べ「もうここまでにしていただきたいので、お願いします」と語られたそうです。
凡人にはマネのできない潔く見事な最期でしたね。
卑近な例えで恐縮ですが、先日医師から最後通告を受けた余命いくばくもない幼馴染から、気の置けない仲間4人で最後の晩餐会をやろうと声がかかりました。
心友4人で、お互い共有する楽しかった思い出話で見送ってやろうと思います。