昨日の小欄「持てる者の悩み」の続きとなるが、写真の埋立地右(北)に見える建物は22年前に建設された警察官舎。この敷地の一画に我が田圃が引っかかった。その時のいきさつは拙ブログ「2006/9/8 田の下は古墳群」で触れたように、埋没していた5世紀半ばの古墳群が見つかったため、発掘調査に時間を要し、官舎の竣工が大幅に遅れた。
46億年もの歴史のある地球、地表を掘れば何か彼にか出て来るのは当然だが、とりわけ歴史久しきこの高島学区のこと故、今回の宅地造成に際しては、どんなものが発掘されるのか興味津々である。(お断り:facebookに同文掲載)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/b3/3efe5f7000597bc4a678143a038b06da.jpg)
46億年もの歴史のある地球、地表を掘れば何か彼にか出て来るのは当然だが、とりわけ歴史久しきこの高島学区のこと故、今回の宅地造成に際しては、どんなものが発掘されるのか興味津々である。(お断り:facebookに同文掲載)
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古墳の上で稲を育てて入らしたのですね。
なかなか無い体験です。
宝くじに当たるよりも確率が低いのでは?
今の様子(写真)は、とても古墳の面影はないですね。
私もこの話を聞いた時の驚きは尋常でなく、とても得難い体験でした。
丁度この頃、倅たちがトリプルで大学生という最悪のシナリオにあり、安サラリーは給料日に3人への仕送りで消えていました。にも拘らず家族が食い繋ぐことが出来たのは、先祖伝来のこの田があったればこそです。まさに窮地で宝くじに当たった心境でした。
3人一緒に仕送りとは大変でしたね。我が家は一人でアップアップでした。親の苦労に感謝しなければならないですね。
おや、記憶力に長けたエンピロさんにしてはお珍しい。
あの時にも素晴らしいコメントを頂きました。
二番煎じでどうもすみませんでした。
ご先祖様が見守ってくれていたんだと感謝しております。