富田林百景+ 「とんだばやし」とその周辺の魅力を発信!「ええとこ富田林」

大阪の東南部に位置する人口10万ちょっとのごく普通の町、富田林。その魅力を、市民の手で発見していきます。

私の富田林百景+ 「 楠妣庵観音寺 」

2013年10月08日 | 私の富田林百景

私の富田林百景+ 「 楠妣庵観音寺 」  (HN:アブラコウモリH)

赤い前かけとお帽子を着られて、

        微笑んでおられるお地蔵様

  *お顔が、それぞれ微妙に違います。

 

 

 

 

落ちついた趣の楠妣庵観音寺。秋は紅葉がとてもきれいです。(1922年建立)

 

 楠妣庵観音寺 「なんぴあん かんのんじ」と読みます。

不思議な響きのお寺ですね。

小学生のとき遠足で「なんぴあん」へ行くと先生からお聞きしたとき、「いったいどこへいくのかな。」と...

行くまでお寺とはわかりませんでした。臨済宗妙心寺派の禅宗のお寺です。

昔は遠足というと、お寺が多かったですね。しかも歩いてです。観心寺・延命寺・叡福寺・天野山金剛寺・河合寺など、

富田林の周りのお寺はだいたい小学校のうちに行きました。

 

 

 

楠木正成が湊川で自刃し、その後長男・次男の正行・正時が四条畷の戦いで戦死した後、楠木正成の妻で正行・正時の母のであるが、久子夫人が正成の生誕地にほど近い、夫人のふるさと  富田林市甘南備(かんなび)の地に草庵を、正平3年 (1348)に建立。入寂するまでの16年間、この草庵に隠棲し、楠木一族郎党の菩提を弔ったということです。(1917年再興)

 

本堂には、正成の旗印といわれている「非理法権天」が掲げられている。 「ひりほうけんてん」と読みます。  

 

と、いう意味やそうです。

 

 

楠母子の像   昭和10年(1935)建立

母 久子夫人と長男 正行の像。岩崎光仁師 作

父 正成が湊川の戦いで敗れ、その首級が足利尊氏により届けられたのを見て、

かたみの短刀で父の後を追おうとし、久子夫人にいさめられ、泣いている姿。

まだ、こんなに小さかったんですね。

その後、正行も弟の正時とともに四条畷の戦いで戦死しました。

 

 

                                                                (HN:アブラコウモリH)

 


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