私の富田林百景+ 「 楠妣庵観音寺 」 (HN:アブラコウモリH)
赤い前かけとお帽子を着られて、
微笑んでおられるお地蔵様
*お顔が、それぞれ微妙に違います。
落ちついた趣の楠妣庵観音寺。秋は紅葉がとてもきれいです。(1922年建立)
楠妣庵観音寺 「なんぴあん かんのんじ」と読みます。
不思議な響きのお寺ですね。
小学生のとき遠足で「なんぴあん」へ行くと先生からお聞きしたとき、「いったいどこへいくのかな。」と...
行くまでお寺とはわかりませんでした。臨済宗妙心寺派の禅宗のお寺です。
昔は遠足というと、お寺が多かったですね。しかも歩いてです。観心寺・延命寺・叡福寺・天野山金剛寺・河合寺など、
富田林の周りのお寺はだいたい小学校のうちに行きました。
楠木正成が湊川で自刃し、その後長男・次男の正行・正時が四条畷の戦いで戦死した後、楠木正成の妻で正行・正時の母のであるが、久子夫人が正成の生誕地にほど近い、夫人のふるさと 富田林市甘南備(かんなび)の地に草庵を、正平3年 (1348)に建立。入寂するまでの16年間、この草庵に隠棲し、楠木一族郎党の菩提を弔ったということです。(1917年再興)
本堂には、正成の旗印といわれている「非理法権天」が掲げられている。 「ひりほうけんてん」と読みます。
と、いう意味やそうです。
楠母子の像 昭和10年(1935)建立
母 久子夫人と長男 正行の像。岩崎光仁師 作
父 正成が湊川の戦いで敗れ、その首級が足利尊氏により届けられたのを見て、
かたみの短刀で父の後を追おうとし、久子夫人にいさめられ、泣いている姿。
まだ、こんなに小さかったんですね。
その後、正行も弟の正時とともに四条畷の戦いで戦死しました。
(HN:アブラコウモリH)
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