古墳時代(3世紀半ば~7世紀末頃)から奈良・平安時代(8世紀~12世紀末頃)の集落跡です。
主要地方道「美原太子線」の延長工事(外環状線との接続)に伴い、道路対象区域の地下埋蔵物調査が
行われています。
市民会館と近鉄「長野線」。昔、この付近に「旭が丘駅」がありました。
航空写真です。左側(西)に外環状線(170号線)が走っています。
上半分(北側)が、今回の公開場所。下半分(南側)はすでに調査が終わり埋め戻されています。
今回の配布資料です。(小さくてごめん)
遺跡公開場所の全景です。
溝001の跡
土抗212(奈良時代)
建物1の柱跡
古墳跡(方墳)、出土品は何もなかった。
中央のクロス溝は、「何か出ないか?」と、もう少し深堀りしたそうです。(何も出なかった!)
今回の古墳造りのイメージです。
出土した、埴輪の一部だそうです。
お馴染みの石器(サヌカイト製)です。
ここからは、ちょっと寄り道ですが。
今回の現場の近くの農機具小屋で見かけた、いたずら書きです。
ズームUPします。
「観音様」です。お見事だと思います。
近くで、もう一つ見つけました、
多分、同じ作者だと思います。
今年も、百景メンバー&事務局の皆様、よろしくお願いします。 辰じいでした。
北側 幅約8m、長さ約70m(国道170号(外環状線)~近鉄長野線)
耕土層の下層土で表面から約1mくらいで比較的浅い、地層面がはっきりと見分けられた。
多数の柱穴が見受けられた。
本日は、寒い(気温最低2.6℃・最高10.0℃)中、沢山の方々がスタッフの説明を聞いておられました。
なお、前日(5日)16時15分 金剛山、葛城山の積雪撮影
2017.01.07 kusu
となりの粟ケ池は考古資料によると、少なくとも奈良時代(伝承では古墳時代)には成立していたと思われる人工のため池ですが、遺跡の所は上の河岸段丘面になっているので、その下の河岸段丘面である粟ケ池の底にも遺跡がありそうですね。