〈リバイバル・アーカイブス〉2022.9.26~10.10
原本:2020年3月9日
「瀧谷不動尊」 滝谷不動明王寺 山門の扁額
2020年2月28日 10:53 近鉄 滝谷不動駅
縁日にお参りされるみなさん
曲げレールの柱屋根に、タイルの装飾を施したプラットホーム。移動も、年配の方や子供たちのことも考えて、近鉄では数少ない構内踏切です。
プラットホームからは滝谷不動のある丘陵越しに、金剛山がみえます。
駅から不動さんまで20分、石川を渡り、これからが長くきつい坂道です。
坂道を登りつめた峠。これからは下り坂であと少しです。
滝谷不動明王寺
まずは本堂にお詣り。後の山には多宝塔。
むらさきの雲の線香にけむる本堂前
*むらさきの雲→めでたいしるし
お詣りして、接待の梅昆布茶をいただきました。
おお、ここにもまた!これは神南邊大道心隆光のお百度石
ここにもあるぞ! 多宝塔に登る階段の手前
「瀧谷山 七丁」と書かれている里程標です。おそらくここから七丁(約763m)のどこかに立っていたものと思われます。
その奥の舎利殿の後ろには、西国観音巡礼満願塔「西国三十三度供養塔」があります。
ちぃちゃい字で「奉供養西國三十三度順礼」 寛保三年(1743)に満願した行者 光範さんのために建てられました。
「河州錦部郡彼方(おちかた)里 蓮花寺」の銘があるので、おそらく元々同じ村の蓮華心寺(明治の始めに廃寺)あったものと思われます。
西国三十三所を1回回るだけでも1000kmもあるのに、それを三十三回回るなんてすごい行者さんですね。現代でも大人気の西国観音巡礼ですが、江戸中期以降多くの行者さんが挑戦しました。
当時は農民が勝手に家を離れて、フラフラできない時代。観音さんにすがり、願いをかなえてもらうため、この行者さんに代替巡礼をお願いしました。
西国三十三度巡礼行者について興味のある方はこちらをご覧ください。
西国三十三度満願供養塔 --- 河内長野市にある極楽寺のお墓 2014.3.7.
谷向かいの惣拝所にもあるぞ!
ここは西国三十三所堂を見上げる場所にあり、三十三所のご本尊と手前の観音様、そして満願供養塔を見ることができます。
「西國順礼三十三度供養」「河州錦部郡彼方村蓮華心寺」
これも元は蓮華心寺にあったものと思われます。願主の行者は「祐静」さん。
宝暦五年(1755)に建之されました。
「西国(観音巡礼)三十三度(行者)(満願)供養塔」は河内、和泉、紀伊を中心に相当数あり、富田林市域だけでもなんと24基もあるんですよ!
形は宝篋印塔が多いですが、板碑や石柱のものも存在します。あなたの町やお寺、その周辺の古い道筋にもあると思いますので探してみてください。宝篋印塔形でも、法界塔や供養塔のもの存在しますので、「西国三十三度」が目印です。
本堂と法楽殿の屋根の間から、多宝塔が見えます。
階段を登りつめて多宝塔
まだ色鮮やかなのは、昭和59年の建立。
多宝塔からは金剛山が見えます。
本堂側とは向かい、参道の谷越しにある西国三十三所堂
西国観音巡礼三十三所の御本尊がお詣りできます。
西国三十三所堂から見た多宝塔
谷向かいの山にあります。
さらに上の三宝荒神堂からは、二上山の雄岳と雌岳が仲睦まじく重なって見えます。
滝行場の不動尊
滝行されているときは、入れません。
滝不動堂
石像不動尊を前に、山伏により護摩供が勤められ ています。
これ何でしょか?
身代わりどじょうさんたちです。
どじょうが身代わりになって、自分を助けてくれます。
眼病平癒やいろいろな願いを込めて、この滝行場からの清流に流されます。
放生川に放たれた「身代わりどじょう」さん
身代わりどじょうについてはこちらを...
滝谷不動尊の「身代わりどじょう」 2015.3.9.
帰りの道すがら、滝谷不動駅前。
縁日みやげいっぱいの参拝者さんとレトロな滝谷不動駅。おそろいのお帽子もおみやげでしょうか?よくお似合いですよ...
関連記事:道明寺天満宮 梅花祭 2020 2020.2.25.
葛井寺 観音会 2020.2.18.
撮影:2020年2月28日
2020年3月9日(HN:アブラコウモリH )
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