今日、スーパーで久し振りに迷子を見かけました。
就学前の女の子がおぼつかない足取りで駐輪中の女性の後ろを歩いていたので、叱られたのかなと思って見ていました。お母さんと間違えていたのでしょうか、振り返った女性を見て、いきなり顔が崩れました。
火が付いたように泣くとはこんなことを言うんだなという、典型的な絶叫状態。周囲にいた人が一斉に注目。子どもはますます大声を出します。目が合いました。その表情は、世の中にこれ以上残酷なことがあるもんかといった顔つき。泣きながら怒っています。
すぐに警備のおじさんが飛んできて、「迷子だ! 迷子、迷子ぉぉぉ~っ!」とすぐに子どもの手を掴みました。
迷子になって泣きわめいた幼い頃の思い出が脳裏を過(よ)ぎりました。大人になると、別の意味で道に迷ってもなかなか認めなくなりますね。
福音の道に呼び戻してもらう四旬節、迷子になったとほんとに感じているのかさえ怪しいものだと、我が身を振り返って笑ってしまいました。「幼子のようにならなければ…」ですね。
親に根ざしているはずの根が浮いてしまわないように。