楽の音にあわせて

ブログは折々にアップしていきます。主にはSNS投稿の記事の掲載となります。

あの日への思い

2014-03-11 22:16:00 | Sisterのねごと


今日は3年目の「あの日」…

イグナチオ教会で、相馬市のお寺での法要ともLIVE中継でつながって、わたしたちは東京からキリスト教の祈りで被災された方々に一致していました。聖書のことば、読経、共同祈願、仏教の“聖歌”(!?)など、地域を越えて、宗教を超えて、東京と福島が、仏教の方々とキリスト者とが温かい心で祈り合えたひとときでした。
その後、映画「忘れない、福島」の上映、そしてミサと続きました。

「あの時間」… 

教会の鐘が厳かに鳴り響き、スクリーンではお寺の鐘が鳴り渡っているのが聞こえました。その瞬間、3年前のあの日のことをありありと思い出し、こみ上げるものがありました。

あらためて、合掌。




羊と山羊、わたしはどちら?

2014-03-10 10:03:00 | Sisterのねごと


救われる善人とそうでない悪人という意味で、イメージとして羊と山羊とを分ける神さまのイメージが聖書に出てきます。

山羊ってそんなに悪い子!?…という話ではもちろんありませんが、どちらも話を聞く人々の身近な動物だったのですね。

実際には、神さまが分けるというよりは、闇を好む人が自ら、神さまから距離を置く位置に立つのでしょう。

闇を好む人なんているのかなと若い頃は思っていましたが、「好む」というより、光に照らされて自分の姿をありのままに見せていただき、それを受け入れるということに、恐れを抱く人がいるのだと考えるようになりました。

こころの奥まで光に照らされるとき、すでにそれは救いなのでしょうね。光を避けて背を向けるとき、神さまは救いの手を差し伸べようがないのかも知れません。ささやかなプライドを捨てて、神さまのもとに立ち返るめぐみを願いつつ。


(こちらの写真は羊です。)

医者が必要なのは健康な人ではなく

2014-03-08 09:32:00 | Sisterのねごと


医者が必要なのは、健康な人ではなく病に苦しむ人… 聖書のことばです。漢方医学だったら、病気に罹る前に体調管理を勧められるところでしょうか。

霊的体調管理、自分の中に去来するさまざまな思い、誘惑、疑問などを、福音の尺度で眺め直すことで、霊的に病むことを回避できそうな気がします。他者や異なった意見を拒み、自らの殻に閉じこもろうとする病、癒やしてくださいと祈り続けたい四旬節です。

明日は四旬節第一主日。祈りのうちによい一日を!




日々自分の十字架を担って

2014-03-06 21:36:00 | Sisterのねごと


「イエスは皆に言われた。わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」(ルカ9章23節)

自分の十字架を背負う… どこかのサイトで、十字架というのは目指しているものだという意味のことばを読んだ記憶があります。その他、病気であったり、人間関係であったり、先行きへの不安であったりと、十字架だと思って耐えているものが人それぞれいろいろあるでしょうが、今日注目したのは「日々」ということばです。

今日というこの一日、不完全で罪深い者が赦されて存在していられることに感謝。そして、今日一日いただく十字架を感謝して生きることができますように。もっともっと辛い日々を生きている人々の大きな痛みが、ほんの少しでもわかりますように。


どんな時にも感謝を

2014-03-01 21:11:00 | Sisterのねごと


♪いつも喜んでいなさい~ 絶えず祈りなさい~ どんな時にも感謝しなさい~♪
という聖歌があります。新約聖書のテサロニケの信徒への手紙のそのままのことばが歌詞になっています。

3月。日本の年度の最後の月。もうすぐ卒業する人、入学を一ヶ月後に控えている人、職場を後にする人、転職のために準備に忙しい人、4月にぱ社会人になる人… 

いろいろな想いをこころにこの一ヶ月を過ごそうとしているすべての方々のために祈ります。

新しいページをめくる前の最後の一行を、喜び、祈り、感謝の思いとともに、大切に味わうことができますように。

すべての人にとって、この季節は何かのページをめくる時期なのではないでしょうか。