アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

外国人看護師、介護福祉士…

2008年07月27日 | Weblog
  外国人看護師、介護福祉士…無理です

 昔のことを言うな!と言われそうですが、還暦パパの学生時代は、東京でも外国人が珍しかったですよ。ところが、今や東京では、日本人だと思ったらが、「ワタシ、ニホンゴスコシワカリマス・・・」。少し前だが、上野公園がテヘラン状態。「ここどこ?私は誰?」って感じで、びっくりしました。上野で、どこの国の人だか知らないけど、「1,000円でテレカ(今では死語ですか?)を買え」という。100度のテレカと思ったら、なんと2万度数!国際電話も、かけ放題!!
 これは昔のことではないですが、「少女を誘い込んで殺した」「集団でスリ」「窃盗団」犯人、犯行グループは皆外国人です。東京都多摩地区の、とある市の一角…「(まだ泥棒に入られていないアパートの住人)このブロック、アパートだけで10軒もありますが、ほとんど空き家です。中国人と思われるの集団窃盗団が昼間入ってくるのです。皆逃げるように引っ越してしまっています」この人も、引っ越してしまいました。その窃盗団は「情」というものがなく、「日本人の命なんて何とも思っていないので、みんな怖がっています」と、いうのが元住人のお話です。
 どうして日本は、不良外国人が大手を振って歩く国に・・・これは、日本の労働力の問題と密接に関係があると思います。


 日本の労働力の歴史は
1 大戦前は労働力が余剰。・・・移民として労働力を放出していた。
2 戦後も、しばらく過剰状態にあった。
3 高度経済成長期には、団塊の世代の集団就職でしのいだ。
4 1980年代、「人口構造の変化」「若者の高学歴化」「バブル景気」
5 単純労働が3K(きつい・汚い・危険)として敬遠された。このため深 刻な労働者不足に見舞われた。
6 東南アジアや南アジアの出稼ぎ労働者たちは、日本の好景気に注目。
フィリピン、南米の日系人、パキスタン、バングラデシュ、イランなどから労働者が続々とやってきた。彼らの多くは観光ビザや学生ビザ、研修ビザで来日し、不法就労の形で建設業や製造業に携わった。
7 1990年、入管法改正。日系人は職種制限なしで就労認可。外国人研修制度の規制緩和。
8 1990年代末、少子高齢化やグローバリゼーションを迎える中での労働力不足。
9 中国、韓国、ブラジルおよびペルー(主に日系労働者)、フィリピン、台湾、タイ、・インドネシア、・イランからの労働者が流入
 現状→日本の低賃金労働は、外国人労働者が担っており、特に製造業は外国人労働者がいなければ、立ち行かない状況となっている。
 つまり、必要なのです。来ていただかなくては日本が立ち行かない。

 し、し、しかし but! 外国人労働者が増えた地域では社会問題が発生し、悲惨な結果になっている。どんな問題が発生しているか?
1 小中学校で日本語の話せない児童が増え、教育が混乱
2 生活習慣を巡る地域社会との摩擦( ゴミの分別方法とか、ゴミの出し方に代表される?)
3 治安悪化
4 日系人の地方税や社会保険の未納(公的な医療援助を受けていないため、異常に不健康そう)
5 独居入居者用のアパート等に、常時十数人もの住人が住み、昼夜を問わず生活雑音
 問題点は、外国人労働者の側ばかりではありませんで、受け入れ側にもたくさんあります。
1 実習生を安価な作業員としてしか使わない。契約の半額以下の給与しか支給していなかった。これは氷山の一角で、同種の例はたくさんあります。
2 酒田短期大学事件・・・学生のほとんどを占める中国人留学生。そのほとんどが不法就労。学校も悪いが、使う日本企業も悪い。)
3 人身売買と強制労働
 単純労働では、以上のような状況になっています。

 そこへもってきての、命に関わる任務の、外国人看護師・介護士の受け入れ開始・・・。
 インドネシア人看護師・介護福祉士の受け入れ第一陣が来日しました。この2年間の受け入れ枠は、看護・介護分野で合計1,000人。
 政府は、看護師は3年、介護福祉士は4年を上限に「特定活動」の在留資格を付与する方針。インドネシア人看護師らは半年間は日本語を学び、その後、希望の病院や施設で働きながら日本の国家資格取得を目指す(フィリピン人、タイ人も同じ)。いよいよかぁ!なのですが、正直、大変不安です。満面の笑み、希望一杯で来日した、インドネシアの若者たち・・・待ち受けているのは、「在留期間内に日本の国家試験に合格すれば働き続けられるが、合格しない場合は帰国しなければならない」と、いう現実。来てくれた若者の、1%でも合格してくれれば、というのが私の本心です。これからやってくる、フィリピン(国内予選が厳しく、日本行きの基礎資格は、大学卒)、タイの若者達にもエールは贈りたいが・・・。正直無理だって!

 スイスの作家が、外国人労働者について、「我々は労働力を呼んだが、やってきたのは人間だった」と語りました。日本では、「我々は、看護師・介護士を呼んだが、やってきたのは人間だった」となるよ。インドネシア、フィリピン、タイで、大学を卒業して「老人のおむつ交換」は、しませんから。