アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

限界集落に住めますか?

2008年07月11日 | Weblog

  限界集落に住めますか?

 シャッター・ストリート

 今住んでいる町・・・人口4.4万人、2.1万世帯。40年前は、6万人近い人口がありました。日曜日に、かっての目抜き通りを歩いてびっくり。半分がシャッターを下ろしていた。中には、「本日定休日」という看板も見えたが…商店が日曜日に休んでどーすんのぉ!その昔、ずいぶん高飛車だった商店が、見るも無惨な姿に・・・栄枯盛衰。肝心の「人」がいないんだから、暮らしの枠内の隙間が大きくなる。商店街のみならず、今後も引き続き枯枯衰衰です。

 消えてゆく限界集落

 日本から集落が消えている。原因は、「人口減と高齢化で人々が暮らしを続ける最低限の生活基盤が崩壊し、放棄せざるを得なくなったため」。その状況は、誰もが頷ける。集落を消さない手だて・・・人口を増やすしかない・・・でもそれは出来ない相談。
 「限界集落」推理小説の題名のよう…20年ほど前から使われ出した言葉。65歳以上の人が人口の50%超となり、共同体の機能維持が困難になっている集落のこと。消滅の限界にきている集落。
 集落の定義(?)は、「一定の範囲に数戸以上まとまり、人々が暮らす共同体」ってとこでしょうか。日本に、およそ、62,300あるのだそう。
 これらの集落のうち現在、限界集落は約7,900。そのうちの、422が、この10年以内に消滅しそうという。
 自治体によっては、限界集落を支援し活性化しようという動きを見せているという。集落は、文化継承という公益的役割を持つ「公共財」だと。
 それ自体は、美しいですよ。反対などしたら、非国民扱いされそうなほど美しい。だけど、本当に解っているのかなあ?限界集落で暮らしている人々のこと。人々は、死ぬまでそこで暮らしたいと思っているはず。だけど暮らせないから離れなければならない。文化財に指定されている建物で暮らしている人のこと知ってますか?自分の家なのに、「文化財」のため、雨漏りも勝手に修理できないんですよ。棚一つ吊るんでも許可を受けなければならないのです。たいへんな不便を強いているんですよ。指定する側は、何も不便じゃない。何の痛みもない。犠牲(?)になっているのは、文化財の住人。判で押したように、高齢者です。

 お金…人…どちらも…

 「公共財として、条例が出来ました。さあ、限界集落の皆様、死ぬまで住んでください」・・・病院を作ってくれるの?コンビニを誘致してくれるの?老健施設は?非常変災へ対策は?・・・やってくれるわけないでしょう!高齢者が集落で暮らすということは、「どんな形で死を迎えるか」ということですよ。大衆受けしそうな言葉で限界集落の存続を語るな。…では、そのまま見過ごせと言うのかって?422集落にそれぞれの状況があるとは思いますが、基本的に自然の成り行きにまかせるのが良いと考えています。

 言葉だけでは腹はふくれません…まあいいか

 「限界集落」、限界という言葉の持つ響きが絶望的で、荒涼とした地の果てのようなイメージを与える。住んでいる人たちの気持ちを考えると、呼び方を変えるべきではないか(これって、全国的な意向のようなんですが?)。私に言わせると、「…出ました!言葉だけ美しく中身はそのまんま作戦!」って感じですね。
 <限界集落に変わる呼称>
 農水省・・・「無住化危惧(きぐ)集落」(難しい!音を聞くだけでは、意味が解らない。)
 国交省・・・「維持・存続が危ぶまれる集落」(そのまんまだべ!)
 京都府綾部市・・・「水源の里」(う~ん)
 山口県・・・「小規模・高齢化集落」(お役所か!)
 長野県・・・「生涯現役集落」(作家が知事だったにしては、日本語の使い方が…。生きている限り、人間の現役です。つまり、どこに住んでいても生きている限り現役、生涯現役なのです。言葉の意味をもっと吟味してほしかったですねえ。いちゃもん…でした。)

 本当に、「限界」なのですから呼称を変えても、問題は何も解決しないんです。奇をてらって、「自然の流れに任せるのが良い」と、言っているのではありません。本音は、ずっと残っていけばいいなあと思っています。しかし、それは無理なのです。「叡智を結集して保護しよう」などと、書けば「良いおじさん」と、思われるかもしれませんが、そんなことは動でも良いことなのです。ただ、限界集落に住む気など毛頭ない人たちに、「保護だ、再生だ、活性化だ」と言ってほしくないんです。
 京都府綾部市は、水源の里(いわゆる限界集落)について、条例を作り、再生に着手しています。今後の成り行きに注目しています。