アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

棄老法の時代到来か?

2013年05月26日 | Weblog
 「カイバラ(カイハラ)」と読む姓がある。漢字では、「海原」「開原」「柏原」「灰原」「皆原」…。有名どころでは、「貝原」がある。貝原益軒。「養生訓 1713年(正徳3年)」の著者。

 で、養生訓には何が書かれているかというと…いろいろ書いてあるのですが…おもしろいのは…
 「人間の寿命は100年をもって上限とする」
 こ、これはぁ…!100歳の誕生日の翌日は、山に捨てられる?

 年齢の区分に、「上・中・下」がある。
 上寿は100歳
 中寿は80歳
 下寿は60歳

 貝原益軒の時代に、上寿まで生きた人がいただろうか?人生七十古来稀まれなりの時代…たぶん、いなかった…。だから、益軒は、100歳を「上限」とした。現代に益軒が現れたら、「養生訓に一部訂正があります。上限は、150歳とします」と、訂正してお詫びするでしょう。

 それにしても、90歳代がゴロゴロおられる。同じ町内会に、上寿の方もおられるが、山へ捨てられることもなく、何と、花畑の草むしり!元気だぁ!
 中寿は、エベレストに登るし。…皆さん、「養生」にこれ努めて来られた様子。
 
 養生してきたとは思えないのが、やたら元気な中寿のぉ、わが家で介護している女性。またその話かって?「また」とはなんですかっ?!まだ、3日連続ですよっ!
 この女性は、上寿まで生きそうです。食事量が、半端じゃない。口では、「もうたくさん(毛沢東ではない)」と、遠慮の言葉を発しながら…食うわ、食うわ…!「もうたくさん」は、「もっと、よこせ」という意味と心得なければ認知症の人の介護はできないということ…。
 自分もぉ…認知症で自分が誰かも分からなくなり、誰に介護されているかも分からない…その道を歩むんだろうか?そうなったら、すぐに捨ててほしい。切実な願いです。

 「棄老」…これからの日本の最大の課題です。上限に達した人は、「棄老法」により、山奥に捨てられなければならない。付則として、「上限に達しなくても、自分を忘れた人は、棄老法の適用を受ける…」
 棄老法の時代になったほうが、「日本国民みんなの幸福」。幸福実現党は、これを目指しているのか?!(注:私は、幸福実現党とは全く関係ありませんので。念のため)

 付則2として、「上限に達しても、自分が誰であるか分かる人は死ぬまで下界で暮らすことが出来る」…。これで、法整備は完璧。