アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

金持ちは子どもの願い…

2014年07月13日 | Weblog
 小学校へ行ったら、七夕のときに願いを書いた短冊が残されておりました。今の小学生はどんな願いを持っているのかな?小学2年生1クラス分を大雑把に集計すると…
 第一位 「ゲームがほしい」…これ、およそ半数。
 第二位 「お金持ちになりたい」…うーん!古式豊かだ。
 以下は、ドングリの背比べ。「ディズニーランドでミッキーにあいたい」「おんなの子にもてたい」「さか上がりができるようになりたい」・・・。

 こうしてみると、幸福への願いは、「お金」と密接に関係している。その現象は、あたかも我々の世代かのよう。つまり、団塊の時代も現代も変わっていないんじゃないか?金銭的に満たされている現代のほうが、団塊の世代よりも精神的に満たされていないのではないか?と、思えました。

 「イースタリンの逆説」は、貧しい場合は、所得の増加に伴い満足度も高くなる。
つまり、豊かさと幸福との間に相関関係がある。ところが、ある一定水準の豊かさに到達すると、豊かさと幸福との間には関係がなくなるという説。
 貧乏なアンティークな人がいたとする。彼は一生懸命働き、給料も上がり幸せだなあと感じていた。しかし、BUT、世間並みに豊かになってしまったら、幸せを感じなくなってしまった。こーゆーことですね。真理でしょう。

 なんでそーなるか?それは、一定の金持ちになってしまったら、「他の人との比較」がはじまる。隣がカラーテレビを買ったら、我が家もカラーテレビにしたい(←いつの時代?)。お向かいがボルボを買ったので、我が家はアウディを買う。並みの金持ちになってしまうと、その状況に即座に慣れてしまう。もはや、幸せじゃない。給料が上がって幸せを感じていた時代のことを、思い出すことすらない。人間ってそういうもんですよねぇー。

 ブータンが掲げる国民総幸福量(GNH 1970年代から)。物質的な豊かさではなく、心の充足を求めるという考え。「お金持ちになりたい」と、願っている子ども達に教えてあげたいですよ。
 「裕福は必ずしも幸福ではない」ですから、「裕福=不幸」も一部で成り立つ。そして、「貧困=不幸」これは、ほぼ100%成り立つ。

 えっ?子どもが、「お金持ちになること」を願って何が悪いって?悪いでしょう!
 「金もうけ」は、そもそも生活のためにではない。生活のためにお金を稼ぐことは、素晴らしいこと。その必要を越えてお金を儲けることは悪です。
 今の日本では、(自己責任が前提とされ)貧困も裕福も自己責任。その実、貧困と裕福は、それぞれが独立に存在しているのではないのです。裕福は貧困を前提にしてのみ成り立っているのです。これが、資本主義。貧困なくして裕福のみが独立に存在することなどないのです。
 
 つまり、資本主義という経済制度が悪いのか?社会主義がいいのか?社会主義なら、「人々が真に自由で平等に暮らせる」。そーゆーことにはなりませんでしたよね。現実の社会主義国家は人間抑圧の社会であり、経済的にもうまく機能せずに崩壊した…。
 1917年から70年間の、ロシアのことをいってるんですがね。

 現状では、資本主義しかないです。お金儲けをする人をう生みださない資本主義…難しいがこれを子ども達の願いに…なるわけないかぁ…。大人でも、「お金が欲しい」人が沢山いるもんね。