アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

「竹島は韓国の領土だ」と言う、国政に影響力がない国会議員

2011年04月10日 | Weblog
 日本の衆議院議員が、日本政府に竹島の領有権主張中止などを求める日韓共同宣言に名を連ねていた。
 そんなことあり得ない、デマに決まってる…標準的日本人なら、そう思いますよ。ところが、事実だった!びっくりしました!
 その議員さんは、衆議院政治倫理審査会会長で、菅首相が主宰する政策グループの顧問だった土肥隆一さん。どーゆうことなんでしょうか?「竹島は韓国の領土だ」と言っているのと同じです。

 土肥さんはソウル出身。…「日本人は天皇を現人神とする偶像崇拝の罪を犯し、韓国人にも偶像崇拝を強要しただけでなく、植民地や占領地に神社や神宮を立て参拝を強要した。過去を振り返り、われわれ日本人が犯した罪を主の名の下に告白し謝罪する」。
 こういう方を7期も国会へ送り出してきた選挙区の人たち…みなさん同じお考えなのでしょう…。それは、内心の自由で何も問題ないのですが…。
 「韓国への謝罪」を拡大していくと、「竹島を韓国領に」ついでに、対馬も本州も韓国へプレゼント。それでも謝罪しきれていないから、北海道も九州も四国も…。北方領土も付けてやれって?そうなると、北方領土は、日ロ問題から、韓ロ問題へとなり、「キムチVSピロシキ」となる。ややっこしくなります。

 オバマさんが来日したとき、天皇陛下に深々とお辞儀をしたのが記憶に新しいのですが、あのシーンにイチャモンをつけたのが、土肥さんでした。頭がいいのか悪いのか、飛躍しすぎの主張でした。
「米大統領が日本訪問の際、天皇に丁寧なお辞儀をしたのは、日本の右傾化を助長し、韓国及び東アジアの国民に苦痛を与えた行動である」
 オバマさんのお辞儀が、粗雑であれば、日本は左傾化し、東アジア国民を楽にするらしい。マ、マ、マジッスカ?

 さらに、「オバマ大統領はこの行為を謝罪し、立場を表明しなければならない」。オバマ大統領も、これには驚いたでしょう。次回天皇陛下に拝謁するときは、分度器持参で、「お辞儀の角度は正確に45度」にしなければ、土肥さんに許していただけません。
 竹島問題に話を戻します。政権与党幹部が韓国側の主張に沿う共同宣言を公の場で共同発表したわけですから、韓国は喜んでいます。「とうとう、日本政府が韓国の竹島(韓国名は独島)領有権主張を認めた」と。土肥さん、自分がどういう立場の人間か分かっておられない。まだ、野党だと思っているらしい。

 土肥さん本人は、「とんでもないことをした」という意識がない。何と言ったか?私も、がっくりきました…!
 「私は、国政に影響を与えられるような者ではありませんから…」
 兵庫X区のみなさん。「国政に影響を与えられない国会議員を選出しないでくださ~い!」

「タダと無料、どっちが安い?」

2011年04月09日 | Weblog
「タダと無料、どっちが安い?」私は、タダより、無料のほうが安いと思います。なぜなら、日本には、「タダより高いものはない」ということわざがある。「タダ」は胡散臭い。その裏に必ず何かある。その点、無料は、料金が無いから無料、これは安いですよ。杉村太蔵さん出演のソフトバンクモバイルのCM。ACの陰に隠れてしまったのか、この頃見かけませんが、おもしろいですぅ。

 学生生活をやり直すべく、学校へ通い始めたお父さんとお兄ちゃん。学校がなぜがお城で、教室は天守閣のような感じ。このあたり、どうもよく分からない。同級生には、元衆議院議員の杉村太蔵さんやマツコ・デラックスさんがおる。年齢が関係ないところを見ると、寺子屋なのか?生徒が、イヌやら、外国人やら、元議員やら、マツコやら…不思議な顔ぶれです。先生が、OK牧場のガッツ石松さん。
 で、先生の質問が、「タダと無料、どっちが安い?」。困惑する生徒たちの中で、マツコが、「分からないわよ」と、言った。先生は、「その通り」と答えて授業終了。ガッツさん、先生のくせに、「タダより高いものはない」ということわざを知らなかったらしい。
そこで杉村さんが、「すばらしい!」とボケる。本来、感動するところではない。「分からないという答えがあるか!」と、ガッツ先生を追及しなければならない場面です。
 そこで、お父さんが杉村さんに、「大丈夫か、お前!?」。マツコ・デラックスさんが「もう少し考えて生きな」と突っ込む。
 それにしても、マツコさんデカイ!身長178cm、体重140kg。元衆議院議員が小学生のように小さく見えました。

 お父さんは、白戸次郎さん。ソルボンヌ大学に留学経験があり、フランス語が堪能という。ソルボンヌ大学という大学はないので、学歴詐称ですね。元衆議院議員に向かって、「大丈夫か、お前!?」と、言ったわけですが、その声…正しく北大路欣也さんですね。そういう噂は聞いていましたが…北大路さん、時代劇からイヌの声の声優に転身したようです。

 アフラックのアヒルの声は、アメリカのコメディアン、ギルバート・ゴッドフリード。「アメリカ人=ジョークが楽しい」というステレオタイプの私ですから、コメディアンであるゴッドフリードのジョークは、どれだけおもしろいのだろうといつも思っておりました。ところがこの度馬脚を現した。
ツイッターで東北地方太平洋地震の津波に関し…
「日本は本当に技術が進んでいる国だよね。日本人はビーチに行かなくてもいいんだよ、だってビーチの方から来てくれるんだから」

 これで、ゴッドフリードは、アフラックのCMを降ろされた。ジョークというものは、人を楽しませるもの。ゴッドフリードのツイッターは、ジョークではなかった。
「つぶやくのと無言、どっちが安い?」無言のほうが安いということですね。日本には、「口は災いのもと」ということわざがあります。

募金・寄付列島…

2011年04月08日 | Weblog
 東日本大震災にかかわる、募金、募金、募金、寄付、寄付、寄付…「募金・寄付列島」の様相を呈しております。日本人に、「何かをしなければ」という善意の気持ちが、静かに、時に激しく噴出し利他的な行動をとっている。タイガーマスク現象で、リハーサルは済んでいる。今、まさに本番。日本人、なかなかいいぞ!と、思います。

 そんな中日銀が、Jリート投資口の買入れ上限を、500億円から、1000億円に増やした。倍増!證券会社からは、「Jリートに投資しませんか?」と電話が入る。もう少しでリーマンショックの時に損した分を取り戻せるという段階で、Jリートに回せるお金などない。USリートが調子を取り戻しているので、USリートを売ってJリートを買うというような話でもない。

 証券会社さん、なかなか良いことをおっしゃる…
 「投資は寄付と同じなのです。自分の大切なお金を困っている人に提供し、その結果、自己満足という見返りを受けます。お金の使命は、自分を幸福にすることにあります」・・・何だかよく分からんが、幸福感に浸れるらしい。
 さらにつづく…
 「利他心に基づく行為を『喜捨』といいます。『喜んで捨てる』ことで自分に『喜び』がリターンされます」・・・喜びのリーターンは結構なことですが、投資したお金もリターンしてもらいたいんですけどね。

 石川遼選手には参りました。今季の獲得賞金全額を…ぜ、全額!東日本大震災の被災者支援として寄付する!さらに、今季ツアーでマークした1バーディー(イーグルを含む)につき10万円を震災義援金にあてる!
遼くんは、「トータルで2億円を目指したい。被災地の方は長い戦いになる。結果的に義援金がいくらになるのかは分からないが、そういう気持ちがあれば自分にも気合が入る。今季は、みなさんと一緒に戦う形でやっていきたい」。
 このアプローチが画期的です。全額寄付してしまっては、自分の生活をどうするんだ?と、心配しましたが、「諸契約の収入が約30億円なので、獲得賞金を全額寄付しても、暮らしには困らない」とのこと。19歳の青年が…!私もゴルフをやっておけば今頃は…。野垂れ死んでいるだろうだって?多分ね。

 ソフトバンクの孫正義社長にも、「いいぞ!」と言いたいです。個人資産から100億円を寄付する。「そんなに寄付してしまって、自分の生活をどうするんだ?」と、心配しました。しかし、孫さんの個人資産額は約6800億円(米経済誌フォーブス)。孫さんの生活を心配するんじゃなかった…あー、損した!
 孫さんは、「遼くん方式」も発表している。「平成23年度から引退までの社長報酬の全額を、震災で両親を亡くした孤児の支援として寄付する」(孫さんの報酬は、1億800万円)

 日本にも、信じられないお金持ちがたくさんおられます。お金持ちの皆さんには、遼くん、孫さんに続いてほしい。
 今すぐには必要としないお金を、いま必要としている人に用立ててあげる。そのお金によって被災地は復興する。人々にも感謝されます。感謝されるだけではありません。(これはあまり書きたくないけど)寄付したお金は、寄付額以上に増えて寄付した人へリターンされます。…お金持ちはそんな口車に乗らないぞって?そうなんですよね…お金がない辛さを知っている人、つまり潤沢なお金がない人にかぎって寄付するんですよねー…。貧しい国々からの支援金しかりです…。

 遼君に対抗したわけではないのでしょうが、21歳の女子プロゴルフアーも、「今季出場する日米両ツアーのメジャー大会での獲得賞金全額を東日本大震災の義援金として寄付する」と、発表しました。宮里美香ちゃんです。美香ちゃん、賞金を全額寄付して生活していけるのかなあ…?え!松坂大輔選手もシーズン中の奪三振についていくらかを寄付する?大丈夫かなあ?

川内くんと猫ひろしが痛快!

2011年04月07日 | Weblog
「学習院大学」と聞くと、私など小市民のステレオタイプとして、「皇族御用達」「高貴な方たちの学校」「別世界の人々が通う」…と、まあこんなイメージ。
 学習院大学とマラソンは、俄につながらない。いま、最も有名な地方公務員の、川内優輝さんは、学習院大学卒業で、東京マラソン日本人トップの第3位。しつこいですが、地方公務員。実業団の選手ではない。そしてこの度、世界選手権の日本代表に決定!

 東京マラソン、テレビで観ていました。「埼玉」のユニフォームの選手が、トップグループから落ちない。「ひょっとして?」と思って観ているうち、いつの間にか応援していました。いわばプロの陸上選手である実業団の強豪が脱落していくスピードレースの中、川内さんは頑張り続けた。プロ宣言し、優勝候補に挙げられていた藤原新選手(レモシステム)がズルズルと落ちていった。川内選手の前を行く日本人は、尾田賢典選手(トヨタ自動車)だけ。その尾田選手をかわして、日本人トップでゴールイン。2時間8分37秒という好タイム。その時点で世界選手権代表に内定した。

 愉快、痛快。島国根性の権化である私は、判官贔屓で、マイノリティを応援し、向日葵より月見草が好きで、長嶋より野村の味方。白鵬より稀勢の里を応援し、鳩山由紀夫より鉢呂吉雄を支持する(←鳩山さん大金持ちで、こども手当までもらっていた。鉢呂さんは庶民と変わらない経済状況)。

 閑話休題。川内さんの場合、いわばアマがプロに勝ったわけです。
 そこで、川内さんにあって実業団選手にないものをまとめると…
 1 フルマラソンを6回走ったが、ゴール直後、自力歩行できなくなったことが5回。御本人は、「いつも死ぬ気で走っている」と。正しくその通りだった。
 2 東京マラソンの翌日、通常勤務。埼玉県立春日部高定時制職員なのでして、入学願書の受付をやってましたが…。出願に来た生徒は、願書を受け取っている事務職員が、昨日の東京マラソンのヒーローだったとは気づいていない様子。そこがおもしろいところ。
 3 川内さんの「スペシャルドリンク」は、埼玉県立春日部高校定時制栄養技師がレシピを考えた。(作ったのは、川内さん御自身)レシピは、ポカリスエット、オレンジジュース、ポッカレモン、ハチミツ。まあ、一般的かな?

 日本のマラソンがなぜ強いか?これは、「実業団制度」の賜です。
 「給料が保証されて、恵まれた練習環境を与えられる」「コーチ陣の経験に裏打ちされた指導方法」「科学的なトレーニング」…正しく、エリート選手育成システムが確立されている。そのシステムから外れているのが、川内さん。実業団選手がベルサイユ宮殿の薔薇なら、川内さんは裏道のタンポポ。

 タンポポなのかネコジャラシなのか…川内さんの陰に隠れてしまったが、猫ひろしさん(タレント)が、2時間37分49秒でゴールインしている。順位は、101位ですが、ネコジャラシとしては立派なタイムです。猫さんは、「カンボジアに国籍を移してロンドン五輪に出場したい」のだそう。冗談でしょうが、カンボジアの陸上長距離界が低迷していることを知っている発言。カンボジアの場合、運動靴も満足にない状況なので、陸上競技以前の問題があるわけで…。ただ、立派な環境がなくても、川内さんのようなケースもあるわけでして…。アンコールワット内を走るだけでも、結構脚力は養われますけど…。猫さんカンボジャへ行けばいいのにね。

 57位と惨敗だったプロランナーの藤原新選手は、「川内くんはすごい。爪の垢を煎じて飲まなければ」と。川内くん、爪の垢を大量生産しなければなりません。事務職員の仕事より、爪の垢を溜めるのが大変。ああ痛快、痛快!

津波で流された地域跡に町を復活させるのは…

2011年04月06日 | Weblog
 東日本大震災から、もうすぐ1か月になろうとしています。これまでに三陸を襲った大地震・大津波は…
 869年(貞観11年) 貞観地震(じょうがん)・・・犠牲者1,000人以上。
 1896年(明治29年)明治三陸地震・・・犠牲者22,000人。
 1933年(昭和8年) 昭和三陸地震・・・犠牲者1,522人。
 2011年(平成23年)東日本大震災・・・犠牲者は30,000人以上か?

 貞観地震と明治三陸地震までの間隔は、1027年間。
 明治三陸地震から昭和三陸地震までの間隔は、37年間。
 昭和三陸地震から、東日本大震災までの間隔は、78年間。
 
 三陸は、この度の東日本大震災の前に(分かっている範囲でも)三度の大地震、大津波に遭っている。教訓は生かされなかったのか?信頼できると思われる学者さんによると、「三陸地方には、津波の教訓を石に彫り込んだ石碑がたくさんある」と。それらの石碑の一つの写真を見たが、難しい文章のあとに、「…ここより下の土地に家を建ててはならない」と彫ってある。
 石碑はたくさんあるそうなので、貞観のものなのか明治のものなのかは分からないが、はっきりしているのは、先人が「家を建ててはならない」とした土地に、いつのころからなのか数十万人が住んでいたということ。
 
 津波の被害を受ける場所にどうして住んでいたのか?
 1 海で生計を立てているので、海のそばに住むのが便利だから。
 2 津波が来ても、自分たちは安全だろうという根拠のない思いこみが…。
 3 思いこみはやがて確信へと変わる。
 4 住み始めた頃は不安もあったが、その不安は年々薄れていった。 
 5 30年経ったら、不安は一掃されてしまう(30年というのは、学者さんが研究に基づいて出している数字。私が、「勘」で導き出した数字ではありません)

 被災者や被災自治体の中には、「復興するんだ!津波で流された地域に町を復活させるんだ」という決意も。また同じ場所に町をつくるというのか…。私は、復興はぜひ遂げてほしいと思います。しかし、この度、津波の被害を受けなかったところに町をつくってほしい。そうしなければ、今の辛い思いを子孫にもさせることになってしまいます。教訓を生かそうよ。

 貞観地震の記録…恥ずかしながら、読めない漢字もあります。9世紀の日本では、このような漢字が使われていた。漢字の長所…読めなくても意味が分かるところ。
 1142年前の貞観地震の津波の様子…なんと、この度の津波と同じです。字面で感じてください。
陸奥国地大震動。流光如晝隠映。頃之。人民叫呼。伏不能起。或屋仆壓死。或地裂埋殪。馬牛駭奔。或相昇踏。城郭倉庫。門櫓墻壁。頽落顛覆。不知其数。海嘯哮吼。聲似雷霆。驚濤涌潮。泝徊漲長。忽至城下。去海数千百里。浩々不辧其涯俟矣。原野道路。惣為滄溟。乗船不湟。登山難及。溺死者千許。資産苗稼。殆無孑遺焉。

おがくずと新聞紙を投下した?

2011年04月05日 | Weblog
 東京電力福島第一原子力発電所2号機の取水口近くから、高濃度の放射性物質を含む汚染水が海に流出し続けている。この度は、どの問題も大変だけど、放射性物質で汚染された水が海に入ったら魚介類が汚染されてしまいます。

 汚染水は、立て坑近くに開いた約20センチの亀裂から漏れている。立て坑をコンクリートでふさぐ作業を行ったが、流出を抑えられなかった。それで…おがくず約60キロと刻んだ新聞紙を投下して流出を抑えようとしたが、流出量の減少はみられなかった…。

 びっくりしたーっ!人類が宇宙船で暮らす時代に、放射性物質汚染水の流出を止めるのに、「おがくずと新聞紙」を投げ込んでいた!一瞬、何を言っているのか分かりませんでしたよ。「放射性物質VSおがくずと新聞紙」この落差の大きさ!

 東海村の臨界事故の時もびっくりしました。もう10年以上経つので(1999年9月)記憶が薄れている人もおられるかも知れませんが…核燃料の原料であるウラン化合物の粉末を溶解する工程で、バケツを使って作業した!小麦粉を水で溶くのと違うのに…。その結果、溶液が臨界状態となり、中性子線等の放射線が大量に放射された。作業員3名中2名が死亡、核燃料加工施設内にいた667名が被曝した。核燃料を作るのに、バケツで作業するなよなーっ!

 「新聞紙」とは何か?読んでいない新聞は、「新聞」。読み終えた新聞が、「新聞紙」。これは、赤ちゃん以外皆さん分かる。しかし、「おがくず」は、小学生に説明するのが大変ですよ。ノコを所有している家が少ないし、ノコは分かっても木を切った経験などあるはずもなく…。「『くず』は分かるんですが、『おが』って何ですか?」という話になる。

 約20センチの亀裂を、首尾良くおがくずとキザミ新聞紙(細かく切ったもの)で塞ぐことが出来たとして、放射性物質の汚染水が、「はいそうですか、流出やーめた!」と、なるんでしょうかねえ。素直に引き下がるとは思えない。おがくずも新聞紙も水に弱い…。ビニールを細かく裁断して投下するのはどうなんでしょう?紙粘土もいいかもしれません。そういう問題ではないか…

 米国は、原発から半径80kmの範囲に住む米国人に避難勧告しました。日本は、半径20kmが避難、半径30kmが屋内待避…。この差は何?原子力関連は、どちらの国の研究が進んでいる?もちろん米国。と、いうことは…20~30kmは、ひょっとして、危ないんじゃないのか?

 原子力の専門家が米国からも応援来てくれている。
フランスからも来た。サルコジさんまで来た。とにかく、早期に解決していただきたい。すでに「早期」という言葉が使えないほど時が過ぎている…。
 

立派な行進は、災害から身を守ることにつながる

2011年04月04日 | Weblog
 選抜高校野球、東海大相模の打力…すさまじいものがありました。個人的には、鹿児島実業、日大三高に…勝ち進んでほしかったなあと…。なぜかというと、開会式を観ていて、日大三高と鹿児島実業の行進に感動させられたからです。
 今大会は、自粛(これ、困ってしまいます。日本の経済が膠着してしまいます)のせいか…入場行進は、なし。外野に整列して内野まで行進。日大三高は、高く上がった大腿。手の振りは水平まで上げる。一糸乱れぬ行進。素晴らしいものでした。鹿実は、日大三高並の行進に、さらに号令がかけられた。全員が胸を張って、「いちに!いちに!」…「勇気をもらう」という言葉がありますが、彼らの行進で勇気が湧いてきました。他のチーム?失礼ながら、勇気が湧いてくる行進ではありませんでした。…単に歩いているだけ。

 見る人に感動を与える立派な行進が出来るということは、「生きる力を持っている」ということです。立派な行進がなぜ生きる力なのか?18名が心を合わせて歩くのは、非常に難しいことなのです。そのことの一例として、少年院の子供達は、歩くことは出来るが、行進が出来ない。毎日の練習で、行進らしくはなりますが…完璧な行進にはなりません。行進と生きる力との関連は、この度の東日本大震災でクローズアップされています。

 東日本大震災で岩手県釜石市では、3,000人近い小中学生のほとんどが無事に避難した。(釜石市では、死者・行方不明者が1,200人を超えた)
釜石市は、「津波てんでんこ」(津波の場合は、自分の判断・責任で逃げろの意味)に基づいた防災教育をしていた。想定外の大津波が押し寄せる中、防災の教えが多くの子供たちの命を救ったわけです。

「津波てんでんこ」つまり、てんでバラバラに逃げる…それが津波から身を守るのであれば、日大三高と鹿児島実業のような美しい行進は不要なのではないか?行進と、生きる力は関係ない…。
 いえいえ密接な関係があります。釜石東中学校(生徒数222人)を例に挙げると…
 釜石東中学校は、「助けられる人から助ける人」への意識を育むことを目的に、独自の全校防災学習をおこなってきていました。活動が評価され、「ぼうさい甲子園」の優秀賞を平成21年、22年と2年連続で受賞しました。甲子園にもいろいろあるもので…。
 大地震のあと校庭に出た生徒たちは、教師の指示を待たず(これが、てんでんこ。指示を待っていたら、助からなかったかも知れません。事実、校庭で点呼していたある小学校では、8割の児童が津波にさらわれてしまいました)。釜石東中の生徒は、防災訓練で使っている高台に向かって走った。途中、隣の鵜住居小学校(児童数361人)の児童も合流。中学生は小学生を守って走り続けた(その様子の映像を見ました。整然と一生懸命走っていました。助けられる人から、助ける人になったわけです)。いつもの高台では、「まだ危ない」と生徒が判断し(これも、てんでんこ)、さらに高い場所へ避難した。学校から1キロも走っていた…!その日登校していた、両校の児童生徒計562人全員が無事だった。

 「てんでんこ」の避難訓練…「てんでバラバラ、我先に!自分か生きれば」ではない。教師の指示で避難行動をとるのでななく、自分の判断で避難するということ。そのことの学習が毎週1時間、避難訓練は年間3回(釜石東中)。釜石東中と鵜住居小の校舎はどうなったかって?両校の校舎は津波にのみ込まれました…。

 行進は、「呼吸を合わせなければできません」。訓練により、指揮者がいなくても呼吸を合わせることが出来るようになります。「避難訓練」も、呼吸を合わせるために行うもの。行進練習と避難訓練は目的が全く同じものです。

 この度の大災害を機に、日本中の学校も職場も、「行進の練習」をしなければならないと思います。
 体育祭の入場行進で、意識の高い体育教師が整然とした行進を指導しているのを見た愚かな教員が、「自衛隊みたいでいやだ」と批判したという。自衛隊、消防、警察がなぜ整然とした行進の練習をするか?ダラダラと歩く人や、逆方向へ歩く人がいると、グループ全員の命が危機にさらされるのです。自衛隊みたいな行進ができることが生きるための力なのです。

 あと、日大三高、鹿児島実業に代表されるような行進は、人々に勇気・夢・希望を与えます。

災害からの復興「自助、共助、公助」

2011年04月03日 | Weblog
 陸前高田市の長洞地区の話なんですけど・・・
 町外へ出ていた1名が亡くなってしまいましたが、あとの地区住民は、高台の家へ非難して全員無事だった。陸路は寸断されてしまったので、救援が来るまでに数週間は孤立していなければならない状況だった。事実「電気」が開通したのは、4月1日。災害発生時から実に、21日ぶりであった。
 長洞の人たちの素晴らしいところは…
 1 米を供出した
 被災しなかった各世帯の米を持ち寄り、地域全体のものとした。それにより、1日一人あたり1合を食べるとして、1か月は暮らせることが分かった。
 不必要なものまで「買い占める」現象が起こっている。つまり、「自分だけは不自由したくない。自分だけは米を食べて生き抜くぞ。自分だけ良ければいい」そういう現象の、「真逆」です。長洞の人は、自分だけ食べるのではない。みんなで分けて食べた。
 水も、3カ所のわき水を、使えるように確保した。これだって、被災してからわき水を掘り出したわけではない。米が確保され、水が使えたので、被災した翌日から地域住民自身による炊き出しが行われた。

 2 寺子屋を作った
 地域に30人ほどの小中学生がいるが、学校が避難所になっているため授業再開の見通しが立たない。そこで、30人を高台の家に集めて、学習会を始めた。先生役は、主婦や高校生。そのような発想を持つことが出来て、実行出来る…!
 寺子屋こそが教育の原点と言うか、理想の教育。

 3 いち早く薬のリストを作った
 高台の家々へ避難した直後、「誰が、何という薬を必要としているか(常備薬なのか)」を調査した。翌日には、医療部(長洞の人たち)が薬リストをもって、ガレキを乗り越えて市内へ入り、薬を入手した。決死隊のようなもの。

 4 自治会組織 
 被災直後、本部を設置、食料部、医療部、連絡調整部、防犯部の4つの部を作った。その下に、「班」を作った。これも、素早く自助、共助体制に入ることができた原因。

 5 仮設住宅を長洞の高台に
 仮設住宅は、陸前高田市の中心部近くに建てられることになったが、長洞からは遠い。そのため、避難している高台の用地を無償で使わせてもらうことにして、仮設住宅を地元長洞に建設するよう市側へ要請した。

 さて、どうして長洞地区がこのように生き生きと復興し始めたか?「地域の力」に他なりません。地域の力は、「自治会」「共同体」「町内会」…言い方はいろいろありますが、「自助、共助、公助」の力です。

 日本の集落は、「外交力と内部への規律」です。集落の外交力というのは、「年貢について領主と交渉する」など。内部の規律は、「手持ちの米の供出」と「買い占め」の例を出せば、よく解ること。自分だけ良ければいい人とは、集落から除外するしかありません。

 では、我々は長洞地区から何を学ぶか?「自助、共助、公助」つまり、日本の集落の姿です。生活が多様化し、共同体的な繋がりなくなっていますが、これを取り戻さなければならない。都市部での地域力…この機会に、近所の人と話をする…そこからはじめる。煩わしさと背中合わせではあるが、一人では何もできないことを自覚し、「みんなで助け合うシステムをつくる」これを進めよう。

 私の西町二町内会第7班班長の任期が切れてしまいました。だけど、班には80歳以上が4人いる(17世帯)。班長の肩書きはないけど、助けますよ。そして…長洞のマニュアル通りにやってみます。
 日常的に「自助、共助、公助」がなければ無理かなあ…?7班の人たち、日常は皆生活に追われているんだよね…。ジレンマです。   

イスラエル大規模医療団の支援はクールジャパンへの支援

2011年04月02日 | Weblog
 私どもの世代(団塊の世代ともいわれている)にとって、「イスラエル」と聞くと、「キブツ」を連想します。キブツで生活してきた知人もおりました。今は、「キブツ」という言葉を耳にすることがなくなってしまいました。よって、知っている人は減少の一途でしょう。
 帝政ロシアの迫害を逃れたユダヤ人の一群がパレスチナに渡り、共同村を設立した(1909年)。これがキブツの始まり。私の知人は、2年間キブツで農業をしてきた。キブツは集団生活で、「生産的自力労働、集団責任、身分の平等、機会均等」この四つが原則になっている。何にでも飛びつく私がキブツへ行かなかった理由は、集団生活というものが何とも胡散臭かったから。「集団生活」と聞くと、真っ先に、「統一教会」を連想するもので。
 日本のニートの人たち、キブツで暮らすのもいいと思います。「生活のすべてが無料」で、「労働に対して報酬が出る(その昔は無報酬だった)」。いいと思うんだけどね。行動しないからニート…キブツへ行く元気もないのかなぁ?

 イスラエルといえば、パレスチナ紛争とかパレスチナ問題とか…これについては、同世代の人たちがそうであるように私も偏狭ではあるが多少の知識が(偏見も含めて)ある。しかし、本日のテーマとは違うので割愛。
 昨年大ブレイクしたイスラエル映画、「相撲―ア・マター・オブ・サイズ(サイズの 問題)」。日本では上映しないのか?もう上映したのか?注意深く見張っていたつもりですが、情報を得ていない。DVDリリースという噂もあったけど…どうなってしまったか?ともあれ、イスラエル人は、「相撲」に大変興味があるということが分かりました。イスラエルとは(キブツで)距離をおいていましたが、相撲好きということで、親近感を覚えました。

 東北関東大震災におけるイスラエルの支援には目を見張るものがあります。医療団が来てくれているのですが、規模が半端じゃない。スタッフ総勢30人体制。レントゲン車も持ち込んでいる。通常、日本の医師免許状がなければ日本国内では医療に従事できない。しかし、この度は、イスラエルの医師免許状を所有していれば被災地での診療OKという特例措置が講じられている。

 なぜイスラエルはこうまでして、日本の復興支援を行うのか?相撲が観たいから?…それもあるが、正解は、「震災で日本の寿司文化、醤油文化が消えてしまっては困る」ってこと。

 イスラエルは空前の日本食ブームなのだそう。テルアビブ市内の寿司レストランは130店。5年前は20店だったという。寿司といえば醤油。特にキッコーマン醤油は、イスラエルになくてはならないものになっているという。
そんなわけで、イスラエルの腕利きの医師団を中心とした高度医療器機を携行した大規模災害派遣団が来ている。医療団の他に、ガイガーカウンター(300個)、食料、衣料、携帯用トイレ…様々な支援物資が来ている。

 貧しい国々からの支援も泣きたくなるほど嬉しいが、イスラエルの支援…ステレオタイプのせいか、神様を味方につけたような安心感が…。神様は、寿司と醤油が好きなのかって?相撲も好きですよきっと。

原発やめて、水力・風力・波力・ソーラー・バイオ発電へ

2011年04月01日 | Weblog
 「とめる」「ひやす」「とじこめる」…これらの言葉、虚しくなってしまいました。「とめる」で止まってしまって、なかなか冷やせない…。日本の原発は震災によって制御不能に陥ってしまった。「崩壊熱の発生をとめられず、冷却水を循環させられず、放射能を建屋内にとじこめることもできない状態」
 原発の安全性?随分聞かされてきたが…実際に、危機に瀕しているのだから安全なわけがない。

 ここは、フロイトに登場して頂くところですが、たまにはニクラス・ルーマン(ドイツの社会学者)に登場していただこうと…
 ルーマンは、「危険」の対義語は、「安全」ではないという考え方。では、危険の反対は何かというと、「リスク」だという。リスクは…危険、損害(損傷)の恐れという意味と思っていたが…「危険」の反対が「危険」か?
 ルーマンは、「危険は天災」、「リスクは人災」だから、危険の対義語はリスクなんだと。結局フロイトと全く同じことを言っている。「科学技術はリスクを生み出すもの」だということ。
 原発がなければ、放射線の恐怖に日本国民の多くが怯えるような結果にはならなかった。地震や津波という天災を原子炉事故を伴う災害に変えたのは、原子力利用技術を採用したから。日本社会が原発を作った結果として地震と津波は人災化した。

 1960年に、福島県議会が東京電力に原子力発電所用地の提供を申し出たのです。そして、大熊町、双葉町議会が原発誘致の決議をしています。ちょうど50年前、求めて誘致した原発なのです。だから放射線を我慢しろということではありません。時代と、政府と、自分たちが選んだ議員さんが決めたもので…。
 1960年代は、「原発を誘致できれば、繁栄する」といわれておりました。私の知っている町も原発誘致に手を挙げて…結局ダメでした。ただ、話が逸れますが、「出来レース」でしたね。はじめから、本命を決めておいて、民主的(?)に原発の町を決めてますよというポーズを見せるために、手を挙げさせる…。こういうのってホント腹が立ちますよ。人生を長くやっていると、こういう目に遭わされることが…私も何度かありました。ピエロですよ。

 閑話休題。関西電力の美浜原発でトラブルが続出。これでは原発が作りにくくなる…そこで当時の田中角栄首相は、「電源立地助成制度」を作った。要するにカネを送り込んで、「原発を誘致すると地域が栄えるヨー!」しかし、放射線が怖くない人はいない。こうした地元振興の助成政策でも原発用地の取得は困難となった。なぜなら、美浜原発のトラブルは、なんとか覆い隠せても、スリーマイル島事故、チェルノブイリ事故を見せつけられると、原発は危険なものという認識になってしまった。だから、既に原発があるところで、増炉や使用済み燃料の保存を行うしかなくなった。福島第一原発の敷地内に6機の炉が立ち並んでいる所以。福島第二原発もある。

 これからの電力の問題ですが…原発をどうする?国民が判断することになるのですが、「原発」は続けられることになるのでしょう…。
 私は、原発はもう放棄すべきと思います。久々ですが、ハインリッヒの法則ですよ。発生確率で、一度災害があったということは、紙一重で災害にならなかった未遂の災害が、29回あった。軽微な災害は300回あった。福島原発の二の舞は、もうたくさんです。
 では、日本の電力をどうする?火力発電は、CO2がどうのこうので不可能。とどのつまりは、水力発電、太陽発電、風力発電、波力発電、バイオ発電…です。クリーンかつ放射線漏れの心配がない。

 津波からの復興について、「被災したところに住んではいけません。新しい街は、今回安全だったところに建設しなければなりません」。純朴そうな学者さんがNHKでおっしゃっていました。この学者さん、その発言のあとNHKで観ることがありません。国民の反感を買ったようです。私は、この学者さんは正しいと思いますよ。この度と同じかそれ以上の津波が必ず来ます。いつ来るか?1か月後かも知れないし、1年後かもしれない。100年後かも200年後かもしれない。いつであれ、来るからには備えなければならない。ということは、今回被災した場所に住んではいけないということになる。「元気を出して、同じ場所に住もう!」‥…言葉が力強く、心を打つ。しかし、また同じ被害に遭ったとき、そう言った人たちは、「元気を出して、またまた同じ所に住もう!」と、言うのか?
 原発についても、このことと同じ。危険を回避し、リスクを「無」にしなければなりません。