池田鉄道は大糸線の安曇追分から製糸業の盛んだった池田町まで敷設された私鉄でその距離約8キロのいわゆる盲腸線でした
大正15年に開業して製糸業の原材料や製品の運搬などに使われたようですが
昭和13年に世界恐慌のあおりを受け廃業と短命な鉄道なのでした
その線路のあったと思われるルートを探訪してみましたが
軌道跡は圃場整備や宅地開発でほとんど痕跡がありません
かろうじて北池田駅は残っていましたが
物置代わりに使われていた駅舎は今にも朽ち果ててしまいそうでした
標柱がなければ駅の跡だとは地元の人でさえ気づかないでしょう
あと池田駅跡らしきところも残っていましたが雑草に覆われていて良く分かりませんでした
草が枯れた頃もう一度探訪してみましょう
よく探すと駅のホームの石積みが民家の一部に残っていたりとかの情報がネットにありました
これも再調査です
大正15年に開業して製糸業の原材料や製品の運搬などに使われたようですが
昭和13年に世界恐慌のあおりを受け廃業と短命な鉄道なのでした
その線路のあったと思われるルートを探訪してみましたが
軌道跡は圃場整備や宅地開発でほとんど痕跡がありません
かろうじて北池田駅は残っていましたが
物置代わりに使われていた駅舎は今にも朽ち果ててしまいそうでした
標柱がなければ駅の跡だとは地元の人でさえ気づかないでしょう
あと池田駅跡らしきところも残っていましたが雑草に覆われていて良く分かりませんでした
草が枯れた頃もう一度探訪してみましょう
よく探すと駅のホームの石積みが民家の一部に残っていたりとかの情報がネットにありました
これも再調査です