毎日通勤に使っているバス。
同じ時間のバスに乗れば同じ人に会うことも多い。
そんな同席者の中のある知的障害者の方のお話。
知的障害者の人を見ていると、感情をストレートに現す事が多い。
そういう姿を見ていると、いかに自分が人目を気にして生きているのかに気付かされる。
かなり前には、その子が乗り遅れたバスを追いかけ、
赤信号も無視し次のバス停まで走って来たこともあった。
もちろん、危険だと運転士の人に怒られていたが。
きっと心が純粋なのだろう。
時に羨ましく思うこともある。
今日、ちょっと面白いことがあった。
その子が私の前に座った。
いつも降りるバス停の直前にバスの停車お知らせボタンを押すのだが、
今日は、座った席の関係でボタンが背もたれの横の窓の枠にあった。
前を向いた状態でみれば、頭の左後ろにあった。
でも彼は、前の席の横の窓枠のボタンに手を伸ばし、
前の人の頭の斜め前のボタンを押していた。
きっと目に触れたボタンを押すことが当たり前なんだろう。
一途という言葉が浮かんだ。
子供ってみんなそうだったはず。
いつからか擦れてひねくれて、私みたいになってしまう。
ちょっと悲しくなってしまった。
同じ時間のバスに乗れば同じ人に会うことも多い。
そんな同席者の中のある知的障害者の方のお話。
知的障害者の人を見ていると、感情をストレートに現す事が多い。
そういう姿を見ていると、いかに自分が人目を気にして生きているのかに気付かされる。
かなり前には、その子が乗り遅れたバスを追いかけ、
赤信号も無視し次のバス停まで走って来たこともあった。
もちろん、危険だと運転士の人に怒られていたが。
きっと心が純粋なのだろう。
時に羨ましく思うこともある。
今日、ちょっと面白いことがあった。
その子が私の前に座った。
いつも降りるバス停の直前にバスの停車お知らせボタンを押すのだが、
今日は、座った席の関係でボタンが背もたれの横の窓の枠にあった。
前を向いた状態でみれば、頭の左後ろにあった。
でも彼は、前の席の横の窓枠のボタンに手を伸ばし、
前の人の頭の斜め前のボタンを押していた。
きっと目に触れたボタンを押すことが当たり前なんだろう。
一途という言葉が浮かんだ。
子供ってみんなそうだったはず。
いつからか擦れてひねくれて、私みたいになってしまう。
ちょっと悲しくなってしまった。