徒然雑感 by おとぼけの父上

R中学のソフトテニスコーチ、エスパルスの応援、その他何でも、日々の雑感を記録していきます。

エスパルス 忘れられない選手 市川大祐選手

2016-12-19 11:03:06 | サッカー(エスパルス編)
日刊スポーツで特集があり、
引用させていただくので、
読みたい方は、下に貼り付けてあります。

市川大祐 (1998年 - 2010年)
デビュー時には、DFとしては、堀池選手の終盤。
森岡選手や斎藤選手と被っている時代だった。
もちろんいい選手だし、
エスパルス歴代右サイドバックでは、
最高の選手と思っている。

私の独断、エスパルス歴代ベストイレブン

ただ、早すぎるデビューに押しつぶされた?
怪我がなければという典型的例となってしまった。
ケガをして落ちたレベルで、あのプレー。
内田選手や長友選手クラスの代表選手になっていたかも。
第2の市川選手がエスパルスに生まれて、
再びエスパルス黄金期を作って欲しいのだが。


代表最年少出場…若き市川大祐を襲った重圧と故障

日刊スポーツ 12/19(月) 10:32配信
<人生第2章~アスリートの引退:市川大祐(上)>

 日本のスポーツ史に1ページを刻んだ名選手が、今年限りで現役生活にピリオドを打った。第2の人生のスタートを切る名選手たちが、現役生活を振り返る特別企画「人生第2章~アスリートの引退」。

 第1回は、サッカー元日本代表DF市川大祐(36)。98年4月1日の親善試合・韓国戦(ソウル)で、17歳322日の代表最年少出場記録を打ち立てるなど、輝かしい日々の裏で、若き市川は想像を絶する重圧と、故障と戦っていた。【取材・構成=村上幸将】

◆17歳322日の史上最年少で日韓戦出場

 市川は11月14日、JFLヴァンラーレ八戸で19年の現役生活にピリオドを打ち、12月に故郷の静岡・清水に帰ってきた。引退から1カ月が過ぎた、率直な思いから語り始めた。

 「シーズンが終わって、オフに入ったような感覚。引退した事実はあるんですけど今まで、ずっと戦ってきましたから。体を動かし、心も準備して、みんなで次のシーズンに向けてスタートする…その場にいない方が、現実(引退)を感じるとは思いますけど」

 引退を決意したのは、22歳だった03年2月に半月板を損傷し、以後、手術を重ねた右ひざが来季、持たないと感じたからだ。

 「MRI検査で大きな違いとか、良くないことはなかったんですけど、ひざがずれる感覚、怖さ、違和感が強くなっていた。もう走れなくて、蹴れなくて…という限界ではないですけど、使えば使うほど消耗していくので、来年を考えた時にイメージ、計算が難しいと思うところがあった」

 市川のサッカー人生は、華々しく幕を開けた。清水の下部組織でプレーしていた97年に、高校2年で天皇杯に出場すると、翌98年3月に、いきなり日本代表に招集されたのである。

 「97年に天皇杯3回戦・福島FC戦で6分くらい出て、翌年の(トップチームの)キャンプに呼ばれました。代表に招集された時は、Jリーグに3試合、出ただけだったので…」

 98年4月1日の親善試合・韓国戦(ソウル)に17歳322日の史上最年少で出場し90分、戦い抜いた。サッカー人生で最も、思い出に残る記憶だ。

 「日韓戦は、やっぱり自分の中ですごく大きなものがありました。特に(マッチアップした)左サイドの徐正源と河錫舟が強力。試合前にビデオを見せてもらって『もしかして俺、出るんですか』みたいな(笑い)試合前は、めちゃくちゃ緊張しましたけど、楽しかった。今思うと、すごく充実した時間だったと思う」

◆W杯フランス大会で代表最終選考に漏れる

 W杯フランス大会日本代表の最終選考には漏れたが、志願して同行して、自分の現在地点を再確認した。

 「最後の発表の前まで、ずっとメンバーに入っていたので(メンバー入りを)1番の目標にしてやっていました。ピッチで練習しても良かったけれど(試合で)立つことが許されない…自分ではものすごく遠く、まだまだ今の自分の力では立てないと感じた。ベンチからW杯を見て、控えの選手がどういう気持ちで見ているか、出た選手がどのように戦っているか…生活を含め、見るというより感じたことが大きかった」

 大きな収穫を得たが、多忙を極める日々の中、翌99年にオーバートレーニング症候群にかかった。

 「代表に選ばれたことで注目され、Jリーグの試合もあり、高校にも通っていたので肉体、精神的に休む時間が全くなかった。翌年、練習が始まると毎日、体がだるくて、重くて、どうしても動かない。住んでいたエスパルスの寮の3階に上るだけで息切れがした。夜は眠れませんでしたし『何で体が動かないのかな、もっと気持ちを入れて練習をやらなければダメなのかな』と思っていた中、検査でオーバートレーニング症候群が見つかった。原因が全然分からなくて…初めての感覚で、どうしたらいいか分からなかったので正直、ホッとしました」

 99年のワールドユース選手権を辞退し、U-22代表からも落選したが徐々に回復。「自分の力で出る」と心に決めた02年W杯日韓大会への出場を目指したが、トルシエ監督には「電車に乗り遅れた」と厳しく言い放たれた。代表入りへ背水の陣で臨んだ01年に、最高の輝きを見せた。

 「普通にいいプレーをしていても呼ばれない、スーパーなプレーをしなければダメだという意識でいました。それと、1年しかないと考えるのか、1年もあると考えるのか…僕は1年もあると考えられたので、01年はベストシーズンくらいのプレーができて『いつでも代表に呼んでくれ』と思って過ごしていました」

◆W杯日韓大会で中田英寿のW杯初ゴールをアシスト

 22歳で出場した02年のW杯日韓大会では、1次リーグのチュニジア戦で、またぎフェイントからクロスを上げMF中田英寿のW杯初ゴールをアシストも、決勝トーナメント1回戦でトルコに敗戦。人目もはばからず号泣した。

 「決勝トーナメントが1つの目標で、達成できたんですけど勝ち進みたいと、みんなが思っていました。トルコに負け、自分自身も途中出場して途中で交代した悔しさもあった。あの時は、4年後に絶対出なきゃダメだと思っていました」

 翌03年に右ひざを痛めて、人生の歯車が狂った。

 「シーズン前の2月のキャンプ中、普通にシュートブロックにいき、強く当たったわけじゃないんですけど…。おかしいと感じ、練習が出来なくなった。ドクターの勧めで手術したら、半月板を損傷していました。復帰して、夏にまた痛め、痛いながらプレーして、思うようなプレーができず、オフに手術しました」

 04年は右肘を脱臼し、左ひざの半月板も損傷し、代表に呼ばれなくなった。

 「リーグ戦は3試合しか出ていません。代表に呼ばれないのは自分でも分かるので、早く治して気分良くプレーがしたかった。シーズン後、05年がダメだったらサッカーを辞めようと思った。この状態で生きていけるほど、プロの世界は甘くないと分かっていた」

 05年に就任したOBの長谷川健太監督は、そんな市川を起用し続けた。

 「ひざに不安があり、試合に出られるイメージが湧かないところで健太さんは使ってくれた。1試合、1試合、必死で原点に戻る…というところでした。今日1日、次の日…1週間通して練習が出来た、そのことに喜びを感じるようにした。ケガしなければ毎日、練習することなんて当たり前じゃないですか。でも当時の僕にとっては、それが1番大事で、その積み重ねが自分を支えていた。もしも理想を求めてやっていたら、05年はプレーできなかったと思います」

 24歳の市川は人生をかけて戦っていた。(続く)

<市川大祐(いちかわ・だいすけ)アラカルト>

 生年月日 1980年(昭55)5月14日

 出身地 静岡県清水市(現静岡市清水区)

 ポジション 右サイドDF

 ルーツ 高部小(現清水高部小)1年でサッカーを始め、3年で清水FC入り。6年時に全日本少年サッカー優勝。93年に清水ジュニアユースに加入し、95年に日本クラブユース選手権(U-15)優勝

 トップデビュー 96年に清水ユースに昇格。清水工業高(現静岡県立科学技術高)2年の97年12月14日の天皇杯2回戦・福島FC戦で後半40分に出場(3-0勝利)。

 Jリーグ開幕スタメン 98年3月20日に清水と練習生契約を結び、21日のJリーグ開幕戦・札幌戦で先発(4-1勝利)。

 日本代表 98年3月27日に、同4月1日の韓国戦の日本代表メンバーに初選出された。98年のフランスW杯はメンバー落ちし、チームに帯同。

 主なキャリア 98年9月24日に清水とプロ契約し、同11月14日の市原(現千葉)戦でJリーグ初ゴール(4-1勝利)。10年に清水との契約が満了し、11年に甲府、12年にJ2水戸、13年にJFLの藤枝(翌14年はJ3)、15年に四国リーグのFC今治、16年にJFLの八戸に移籍。

 最後の試合 16年11月13日の栃木ウーヴァ戦にフル出場(2-0勝利)。

 成績 J1で347試合出場12得点、J2で32試合出場1得点、J3は6試合出場、JFLは28試合出場2得点、天皇杯38試合出場3得点。国際Aマッチ10試合出場。

 身長、体重 181センチ、74キロ

 家族 妻と2女
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蕎麦シリーズ 「きのえね」さんへ

2016-12-19 08:42:30 | グルメ
先日、手打ち蕎麦 慶徳初体験。
そこで、前から気になっていた、
「きのえね」さんに行って来ました。
このお店、
静清バイパス長崎インターを降りて、
国道を目指すと、
国道とぶつかる交差点手前左側にあります。
その、交差点は「かつや」さんがあったり、
右折すると、青山があったり、
反対側にマックがあったり、
清水の人ならjほぼ皆様知っている交差点?
ただ、信号待ちの車が連なる場所なので、
何となく入りにくかったのと、
営業時間がわからず、敬遠していました。
定食も美味しいと聞いていたので、
先日のカキ蕎麦つながりで、
カキフライ定食をお願いしました。
値段的には慶徳さんよりはリーズナブル?
カキフライはマヨネーズとソースが両方別皿に盛られ、
かなり、お客様志向に沿った気遣い。
こういうのが結構心を打たれます。
カキも中がじゅるじゅるでジューシー。
蕎麦は温かいカケにしましたが、
手打感の強いそばがとっても美味しかったです。
そばつゆは、慶徳さんに似ている感じ?

私は気に入りましたが。

料理メニュー(税抜価格)
かき揚げおろし  900円
由比産干し桜エビのかき揚げがのったおろし蕎麦
サクッとした食感と香ばしさは絶品です。
 
山菜とろろ  850円
さっぱりヘルシー、おすすめです。

天 丼   900円
海老と野菜の天丼、当店看板メニュー。

野菜天丼   800円
元祖野菜の天丼。一度ご賞味あれ。

うめしそおろし  800円
女将の自家製紀州南高梅ののったお蕎麦

カレー南蛮   750円




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