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本町の金獅子は、日本一大きな獅子頭であると思われる。
刀町の赤獅子、中町の青獅子と同じように、
角の後ろに人間の上半身がだせるように、頭毛との間に空孔をつけてある。
これは大手門の出入りの際、角を取りはずしたり戻したりするためと、
巡行の時に樹枝や電線などの障害物を避けるために工夫されたものである。
金箔が剥げた時、一時、銀のエナメルで修理されたこともあったと言う。
なお、栓木(支柱)は正角の一角でヤマの角度を整えている。
この造り方は本町のみである。
製作者は不明だが、一説によると石崎八左衛門、
塗師は原口勘二郎とつたえられている。
この金獅子は赤獅子、青獅子と同じように、
面は粘土型を原型として紙を張り重ねた一閑張りである。
しかし、角だけは他の二台より大きく、高さがあるため、
手に持って町中を運んだことがあるので軽くするため、
竹編みの角型の中に差込み用の木を挿入して造ってある。
曳子たちが着る肉襦袢の 「 本 」 の文字は、
常安弘通氏の尽力によって、小笠原長生公の米寿の祝いとして記して頂いたものである。
元来、唐津曳山の一閑張りに使用する紙は古紙札を用いたという言い伝えがある。
昭和29年の塗り替えの時に、唐津大明神の古いお守りが
顎 ( アゴ ) の部分の破れ目からたくさん出たという。
この塗り替えの際、市の補助を受けたのが補助の前例にとなっている。
また、大正九年の塗り替えの時、額の部分に突起を作り、
左右唇の波形を削り、目を明らかにして工夫を凝らした。
この時、初めて塗金を改め金箔とした。
曳山の幅は3.1㍍で、高さ約5.5㍍。重さは推定で1.6~11.8㌧という。
昭和49年の夏には、東京・明治神宮外苑で開かれた 「 日本のまつり 」 に
魚屋町の鯛曳山と共に参加して熱烈な歓迎をうけた。
平成元年度の総行列は、本呉八町、唐津の町々の首町たる本町が当番町となった。
昔の火消組でいうと「い」組となる。
[参考:唐津くんち「ガイドブック」(1991)] より