「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

山口県豊北町  「 阿川八幡宮 」

2019-10-27 17:20:28 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日の灯台めぐりのスタートは油谷港阿川防波堤灯台からだった。

油谷港阿川防波堤灯台を皮切りに22の灯台と3カ所の名所と3つの墓。

そして1つの石橋をめぐった。

その灯台がある阿川集落の入り口にあるのが、この阿川八幡宮である。

 

 

 阿川八幡宮 ( あがわはちまんぐう )

 

【 鎮座地 】 〒759-5241 山口県下関市豊北町大字阿川3710  旧長門国 豊浦郡

【 御祭神 】 仲哀天皇 應神天皇 神功皇后

【 例祭 】 10月14日 秋季例祭 10月15日 秋季例祭

【 旧社格等 】 村社

【 御由緒 】  現在地はもと三角州で、地主の神として天満宮があり、

 「 吹上げの天神 」 ・ 「 砂吹きの天神 」 などと呼ばれた。

 「 諸神祭祀記録 」 によると、八幡神は最初新宮崎に顕れ、

のち村の中央の現在地に移ったという。

鎌倉時代の弘長 ( 1261~ ) と、室町時代の応永年中 ( 1394~) に、

再建の棟札があったという。

のち江戸時代の慶長十八年 ( 1613 ) に、毛利元鎮・元包 ( のちの吉敷毛利 ) が再建し、

万治二年(1659)に毛利就方、寛保二年(1742)に毛利広規、

弘化二年(1845)に毛利親倫(いづれも阿川毛利)が重修した。

また明治十七年(1884)に現拝殿を再建した。

中世からの当社にかかわる地名に、土器免・修理免・鐘撞免・油田・粢田・桟敷田等があり、

安土桃山時代の文禄年中(1592~)までは社領が八石前後あった。

その後減少したが、開作による寄進田等もあって、

幕末には田八段三畝、高六石三斗があったが、明治の御改正によって官に没収された。

中世から名夫による宮座があり、七人衆・十二人衆と呼ばれたが、

のちには警固といって土井地区から出仕した。

正月七日には名夫による歩射があり、祭礼には流鏑馬が行われた。

現在の祭組に「花前」がある。

明治六年(1873)村社となり、同四十年(1907)に土井八幡宮・赤崎社を境内社の天満宮に合祀した。

 (山口縣神社誌)

 


キャップシリーズ 「 コカ・コーラ 青つば ・ 赤と白 ( メッシュ ) 」

2019-10-27 10:47:21 | 帽子・カメラ・バッグ 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このコカ・コーラもそうだが、

ペプシやマウンテンデューなどの清涼飲料水のデザインが好きである。

しかし、こういう帽子を被っていると、関連の業者さんと間違わるかも知れないな。

 


今日の二十八宿とコトバ

2019-10-27 04:02:27 | 今日の占い ・ 二十八宿とコトバ

 

昨日は早朝から夕方までの強行軍だったにも関わらず、

今朝はいつもよりも早く目が覚めた。

 

昨日、久し振りの灯台めぐりだったので疲れた。

だけどそれは、 「 次はどんな灯台が待っているのだろうか 」 と、ワクワクさせるものでもあった。

そして、その姿を見た時の感動は格別だった。

なかでも今岬灯台は困難を極めただけにその感動は大きかった。

灯台まで獣道を往復するのに1時間も要したが、

有酸素運動と筋トレで鍛えた足腰が活かされていることが如実にわかる行程でもあった。

日ごろの筋トレが確実に肉体を若返らせていると思った。

そんなコトを思う今日の二十八宿とコトバは、

 二十八宿  房 ( ぼう )  新規事、婚礼、棟上げなど大吉。   

    

        今日のコトバ   

      尻切れトンボ

何を始めても最後までやり通せず途中で止めてしまい、

長続きしないこと。