国指定重要文化財「早川家住宅」
漁業関係の住宅で国の重要文化財建造物は、全国で二ヶ所しかない。
鯨組の建造物としては全国で一つだけである。
早川家は中世には後根と称し、この地域を支配した土豪だったが、
毛利氏の時代には通浦の庄屋役を務めていた。
文禄・慶長の役には毛利軍麾下の吉見長次郎の船頭として功績があり、早川姓を賜った。
以後通鯨組の創業に貢献著しく、代々網頭や浦方役人として活躍した家柄である。
この住宅はもと網頭で回船業も営んだ黒川家のもので、
天明五年(1785) の通浦大火で類焼した早川家が買い取って
移り住み現在に至ったものである。
住宅は様式手法の上から18世紀後半の建築と見られ、
土蔵造りの一部二階で、
南妻入母屋、北妻切妻造りの本瓦葺になっている。
梁間三間半、全面に短い庇、背面は下屋根二間を葺き下ろし、
町家に似た平面で桁行七間弱の北側二間余を通り土間とし、
上手床上部は二列に各三室ずつを縦に配している。
土間部分は太い牛梁を四丁架け渡し、
上に和小屋を組み桁行には貫を通していない。
床上部のうち上手三室は面皮の長押をつけ、奥座敷には床、違い棚を設けている。
奥座敷の次は一間通りの仏間とし、上手に造りつけの仏壇を構えている。
意匠には豪放なところがあり、 漁家の住居にふさわしい雰囲気があり、
全国的にもまれな漁家の遺構として貴重である。