島津久光の像は、鹿児島市照国町にある。
島津久光は文化14 ( 1817 ) 年 ー 明治20 ( 1887 ) 年。
島津斉彬の異母弟である。
重富島津家に入るが、斉彬が亡くなる際、
久光の長子を後継と定め、久光を後見とした。
文久元 ( 1861 ) 年、久光は宗家に復帰し、
「 国父 」 として藩政の実権を握った。
王政復古後は藩地にいることが多かったが、
明治6 ( 1873 ) 年上京、明治7年には左大臣となる。
しかし欧化政策に反対する意見が受け入れられず、
8年には職を辞し、以後政治の舞台からは退いた。