11月9日(日曜日)、佐渡を世界遺産にする会並びに・・・新潟の会主催の「富岡製糸場の視察・懇親会」に首都圏から4名が自主参加した。
新潟からの行程は、新潟佐渡汽船ターミナル前をバスで午前8時30分に出発、日帰りの計画とのこと。ややきつい行程のように思う。
富岡の空は、厚い雲が覆い、時々霧雨が降る。
12時20分ごろ富岡製糸場入口前で合流。
チケットは、前もって購入していたが、入口の検札がない。入って良いのか一時迷う。チケットを購入すれば以降の出入りは自由とのこと。安心して中に入る。
富岡製糸場玄関入口。
この視察には、佐渡市から金子副市長はじめ高野前市長ら32名、新潟から県教育庁文化行政課世界遺産登録推進室室長や新潟の会会長ら8名が参加。
ガイドさんの案内で、東繭倉庫から説明が始まった。
説明に聞き入る一行。
建物は、フランス人と日本人が協力して造ったもので、石の土台、木の柱、れんがの壁、瓦の屋根などを組み合わせた特色あるものとのこと。
東繭倉庫。
柱は、幅1尺長さ12mの一本通し柱。280本程あるそう。この木の枠組みとれんがの壁との組み合わせだけでも世界遺産になるとICOMOSの調査員が申したとか。
蒸気窯所の煙突。
西繭倉庫前広場でガイドさんの説明を聞く一行。
操糸場の外部。
操糸場の内部。長さ140メートルとのこと。機械は、明治時代のものでなく現代のもので、世界最高水準のオートメーション化されたものだそう。昭和62年まで操業。
操糸オートメーション機械。
工女の寄宿舎。
当初、官営のため工女のレベルは、武士の娘たちが集まり高かったよう。ここで実地教育を受けて、絹糸生産の指導者となったとのこと。
技術者として雇われたフランス人ポール・ブリュナの家族が生活したブリュナ館。後に工女たちの夜学校として利用された。
一巡したのち、女工館隣の教室(食堂だったところ)に誘導され、「NPO法人富岡製糸場を愛する会」との懇談会が開かれた。
案内され着席した一行。
富岡製糸場を愛する会の高橋理事長が、世界遺産となった富岡製糸場について、特に世界遺産に選ばれた意義について話された。
高橋理事長の話しに耳を傾ける一行。
出席している「・・・愛する会」の各部会長さんの紹介があり、部会がどのようなことをしているかを簡単に話された。
会員部会長は、この会は当初13人から始まったが、現在1400人の会となっていること。富岡製糸場の価値観を理解してもらう運動をしていること、募金委員もおり活動をしていること等。
その他教育啓発部会、地域活性化部会及び紙芝居部会の各部会長がつづく。
それぞれの部会長さんの行動に「強い熱意」を感じたのは私ばかりだろうか。
質疑応答の時間に入った。こちらからの質問事項は、20項目にわたり前もって知らせており、これに対して一つ一つ丁寧に答えたものが先に配布された。
まず、その一つ、・・・愛する会の設立の経緯を司会者並びに理事長から話された。
司会者並びに理事長は、「最初は“世界遺産なんてなるはずないよ”と言う人もいたが、それが運動の結果徐々に理解されて行ったこと。現在、保存することと活用することを両輪にして活動していること」等詳細に話された。
新潟の会のS氏、佐渡の会のT氏らが質問に立った。
S氏は、部会がよく活動しているように思うが、工夫されていること、行政と愛する会のすみわけをどうしているか 等について質問した。
理事長は、「“世界遺産にする” というその思いを自分のものにし、意気に感じて伝え、広めて行くことが基本である」と述べられた。
T氏は、「市民が盛り上がるにはどのように努力したか」等について質問された。
理事長は、「世界遺産申請は、推薦方式となったので、住民はそこに入る余地がないこと」、「遺産を支えていく組織づくりをしっかりとすること」等答えていた。
懇談会が続いたが、日帰りで佐渡に帰ることゆえ、時間が無くなった。
司会者は、午後3時15分終了を告げ散会した。
懇談会を聞いて、我々のなすべきことは、理事長のことば「“世界遺産にする” というその思いを自分のものにし、それを意気に感じて伝え、広めて行くこと」に尽きるように思った。
高崎から軽井沢に向かっての遠出は久しぶりなので、「温泉地にでも」と予め近くの温泉宿泊地を検索したが、富岡近辺の温泉ホテル・旅館は何処も満員。
富岡製糸場が世界遺産に登録されたことで、近くの温泉地にも恩恵を与えていることが判明した次第。 佐渡も富岡と同様に、世界遺産登録で活気を取り戻してもらいたいものです。
午後3時40分、上信越自動車道に上り、東京に向かった。