昨日夕方、買い物の出がけに本屋をのぞいたら、新刊本のスペースで聞いたことのある名前“なぎさ・・・”を見つけた。
渚橋は、私の居る逗子のマンションの西側50メートルほどにある橋である。
マンションベランダから望む逗子湾
ぺらぺらとめくったら「逗子なぎさホテル」の文字が目に飛び込む。
題名「なぎさホテル」伊集院 静 作 で帯に「このホテルから私の小説が始まりました。」とある。(2011年7月初版)
早速買い込み、家で一気に読む。
現在の逗子海岸が細かに描写されている。
さあ、気がつかなかったが“逗子なぎさホテル”はどこにあるんだろう? 今でもあるんだろうか? とパソコンで検索。
やはり、もうなくなっている (大正15年開業、平成元年閉鎖) が、由来の板が設置されているとある。また、同ホテルは、皇族のお宿という由緒あるホテルであり、現天皇ご夫妻も食事に訪れたとか。
早速、カメラ片手に小説に出てくる場所を歩いてみた。
「隧道の前のバス停で降り、そこから“なぎさ橋”と名のある橋を渡り、海岸へ出た」とある。バス停は、マンションから50メートルほどの目の前。
渚橋前の交差点 “渚橋”
渚橋から逗子海岸方面を望む。
渚橋から逗子海岸を望む。「太陽の季節ここに始まる」の石原慎太郎直筆のモニュメント碑は2年ほど前に完成したもの。
逗子海岸。 海岸沿いの左側の赤っぽい建物付近が逗子なぎさホテルのあった場所。
今日6時前、起きると早速愛犬を連れて散歩がてらホテルのあった場所に行ってみたが、由来板が見つからない。通りがかりの人に「なぎさホテルのあった場所はここですか。伊集院の小説を読んで知ったのですが」 と聞くと、その方は、「私も読みました。確かにここで間違いありません」とのこと。いろいろとお話しさせてもらったのち、もう一度駐車場に入り由来板を探した。
あった。あった。
夢庵前
なぎさホテルのあった場所は、現在ファミリーレストラン「夢庵」と隣りの「焼き肉店」(駐車場入口の左側)となっている。ファミリーレストランと駐車場入り口。
由来の板が「夢庵」の植え込みの中にあった。
夢庵から望む海岸と徳富蘆花「不如帰」の碑
小説の中でⅠ支配人と伊集院氏がいつも海岸を眺めていた風景。
小説の中に出ている浪子不動前の園地とそこにある「さくら貝の歌碑」
作詞土屋花情の「さくら貝の歌」は、鎌倉海岸や逗子海岸で、遠く離れた恋人を想って謳ったものだそうです。。今でもさくら貝は、逗子海岸で多く拾うことができる。
浪子園地前の海の中にある徳富蘆花「不如帰」の碑
伊集院氏は、M子(小説ではM子となっているが夏目雅子のこと)と鎌倉で生活を始めるまでの7年間をこのなぎさホテルで過ごす。生活費もままならない伊集院氏をⅠ支配人やY女史(のち支配人となる)らがおおらかな人情あふれるもてなしで7年間も彼の面倒を見た。
渚橋から富士山、江の島を望む(10日、午後6時過ぎ撮影)
Ⅰ支配人と酒を酌み交わしながら、上のような逗子の夕景を眺めたことだろう。(10日、午後6時過ぎ撮影)
ぜひ、小説「なぎさホテル」を読んでみてください。そして日々変わっている逗子に遊びにいらしてください。
当時の逗子なぎさホテルの正面玄関
正面庭の芝生広場
上記二枚の写真は、ブログ「我が青春のなぎさホテル」から。
「なぎさホテル」発刊に寄せて
"夢の中のホテル"
かつて湘南にクラシックホテルとして名高い"逗子・なぎさホテル"がありました。多くの人に愛され、数々の思い出がこのホテルとともに育まれました。
1990年前後の七年余り、私は縁あってこのホテルに住み、このホテルで織りなされる四季、時間を見つめてきました。本書はその歳月の中で、私がどのように過ごし、どんな人々とかかわり合い、青春の日々を送ってきたかをつづったものです。
桜の花が山手より海に吹いてくる春の砂浜。入道雲が水平線に湧き、ビーチに人の声があふれ、シーサイドの芝の庭にプールにゲストたちの笑い声がする夏。ドライブで訪れた恋人たちが美しい夕景をテラスで見つめている秋。人影もなく静かで波音だけがはっきりと聞こえる私の大好きだった冬のホテル……。
そんなホテルでの時間は、今思い出してみても、あの歳月は"夢の中の時間"に思えてしまいます。この"夢の中のホテル"の時間を読んでいただき、愉楽の読書になれば幸いです。
2011年2月17日
伊集院静
ブログ「なぎさホテル」から。
渚橋は、私の居る逗子のマンションの西側50メートルほどにある橋である。
マンションベランダから望む逗子湾
ぺらぺらとめくったら「逗子なぎさホテル」の文字が目に飛び込む。
題名「なぎさホテル」伊集院 静 作 で帯に「このホテルから私の小説が始まりました。」とある。(2011年7月初版)
早速買い込み、家で一気に読む。
現在の逗子海岸が細かに描写されている。
さあ、気がつかなかったが“逗子なぎさホテル”はどこにあるんだろう? 今でもあるんだろうか? とパソコンで検索。
やはり、もうなくなっている (大正15年開業、平成元年閉鎖) が、由来の板が設置されているとある。また、同ホテルは、皇族のお宿という由緒あるホテルであり、現天皇ご夫妻も食事に訪れたとか。
早速、カメラ片手に小説に出てくる場所を歩いてみた。
「隧道の前のバス停で降り、そこから“なぎさ橋”と名のある橋を渡り、海岸へ出た」とある。バス停は、マンションから50メートルほどの目の前。
渚橋前の交差点 “渚橋”
渚橋から逗子海岸方面を望む。
渚橋から逗子海岸を望む。「太陽の季節ここに始まる」の石原慎太郎直筆のモニュメント碑は2年ほど前に完成したもの。
逗子海岸。 海岸沿いの左側の赤っぽい建物付近が逗子なぎさホテルのあった場所。
今日6時前、起きると早速愛犬を連れて散歩がてらホテルのあった場所に行ってみたが、由来板が見つからない。通りがかりの人に「なぎさホテルのあった場所はここですか。伊集院の小説を読んで知ったのですが」 と聞くと、その方は、「私も読みました。確かにここで間違いありません」とのこと。いろいろとお話しさせてもらったのち、もう一度駐車場に入り由来板を探した。
あった。あった。
夢庵前
なぎさホテルのあった場所は、現在ファミリーレストラン「夢庵」と隣りの「焼き肉店」(駐車場入口の左側)となっている。ファミリーレストランと駐車場入り口。
由来の板が「夢庵」の植え込みの中にあった。
夢庵から望む海岸と徳富蘆花「不如帰」の碑
小説の中でⅠ支配人と伊集院氏がいつも海岸を眺めていた風景。
小説の中に出ている浪子不動前の園地とそこにある「さくら貝の歌碑」
作詞土屋花情の「さくら貝の歌」は、鎌倉海岸や逗子海岸で、遠く離れた恋人を想って謳ったものだそうです。。今でもさくら貝は、逗子海岸で多く拾うことができる。
浪子園地前の海の中にある徳富蘆花「不如帰」の碑
伊集院氏は、M子(小説ではM子となっているが夏目雅子のこと)と鎌倉で生活を始めるまでの7年間をこのなぎさホテルで過ごす。生活費もままならない伊集院氏をⅠ支配人やY女史(のち支配人となる)らがおおらかな人情あふれるもてなしで7年間も彼の面倒を見た。
渚橋から富士山、江の島を望む(10日、午後6時過ぎ撮影)
Ⅰ支配人と酒を酌み交わしながら、上のような逗子の夕景を眺めたことだろう。(10日、午後6時過ぎ撮影)
ぜひ、小説「なぎさホテル」を読んでみてください。そして日々変わっている逗子に遊びにいらしてください。
当時の逗子なぎさホテルの正面玄関
正面庭の芝生広場
上記二枚の写真は、ブログ「我が青春のなぎさホテル」から。
「なぎさホテル」発刊に寄せて
"夢の中のホテル"
かつて湘南にクラシックホテルとして名高い"逗子・なぎさホテル"がありました。多くの人に愛され、数々の思い出がこのホテルとともに育まれました。
1990年前後の七年余り、私は縁あってこのホテルに住み、このホテルで織りなされる四季、時間を見つめてきました。本書はその歳月の中で、私がどのように過ごし、どんな人々とかかわり合い、青春の日々を送ってきたかをつづったものです。
桜の花が山手より海に吹いてくる春の砂浜。入道雲が水平線に湧き、ビーチに人の声があふれ、シーサイドの芝の庭にプールにゲストたちの笑い声がする夏。ドライブで訪れた恋人たちが美しい夕景をテラスで見つめている秋。人影もなく静かで波音だけがはっきりと聞こえる私の大好きだった冬のホテル……。
そんなホテルでの時間は、今思い出してみても、あの歳月は"夢の中の時間"に思えてしまいます。この"夢の中のホテル"の時間を読んでいただき、愉楽の読書になれば幸いです。
2011年2月17日
伊集院静
ブログ「なぎさホテル」から。