みんなのブログ欄からBLOG「拝啓 福沢諭吉様」に入った。所謂ネトウヨサイトというものだろう。そこから今年になってから話題になっていた欧州初の「慰安婦像」設置に関するリンクを辿っていくと面白いサイトに到達した。「なでしこアクション」という日本会議風の活動サイトである。ネットで「ドイツの慰安婦像」については聞いていたが興味が無いので詳しくは知らなかった。そしてこのサイトを見てどのような運動が行われているかがよく分かった。私自身の立場もあり知っておくべき内容だった。
フランクフルターアルゲマイネ新聞で「日本会議の研究」の著者菅野氏が取り上げられてから、その名前が頭に入っていたので、先日の籠池氏記者会見風景からその活躍ぶりを注視していた ― IWJのまとめサイトの情報なども実際には菅野氏の取材情報が流用されていたようである。そして独占インタヴューのヴィデオもYOUTUBEで最初の450回目以内の呼び出しで観ることが出来た。それは大臣の首を一つ獲るほどの事件報道としては大した仕事だった。そして、左翼のシムポジウムでの講演を聞いて、外国人特派員協会での籠池氏の会見が待たれた。目覚ましを掛けて就寝したが残念ながら延期になった。
既に述べたようにこれを機に世界中に外報が流されて、恐らく安倍内閣辞職への詰めへの一手が示されると思っただけに残念だった。まさに一挙手一投足が注目されるところで、一挙手遅れると籠池氏のような人が逮捕されたり、国税庁長官迫田のような人物が訴追されるのか、それとも誰かが脱税で家宅捜査されるのか、更なる変死者が出るのかなどと局面が変わって来るのだろう。兎に角、安倍晋三がやってきた政治手法は海外でも有名であり、トルコのエルドアン大統領のように法規を逸脱した人治主義の政治家であるから、何をしでかすか分からない。
菅野氏の講演で特に興味深かったのは、日本会議をそこいらのマッチョな政治好きのおっさんたちのネトウヨ団体として捉えていて、それ故にフェミニズムを感じさせる慰安婦問題が最も大きな声になっているというところである。我々からすると今時女性同権の運動などは大きな課題などとは思っていなかったので、まさかあれだけの右翼の市民運動であり、国政を動かしている日本会議がそれほど下らないもので、まさしく反被差別運動へのアンチテーゼということで在特会と根を同じくする活動だとは気が付かなかった ― 恐らくそれは菅野氏のような被差別側の視線を持ち合わせることでしかなかなか気が付かないのかもしれない。
そこで前記のオバープファルツにあるヴィーゼントの私有公園への慰安婦像の設置、そしてフライブルク市への設置の断念などについて書かれているサイトを興味深く覗いた。特にフライブルク市に関しては無関係でもないので経緯が気になっていたことでもあり、そのサイトにあるバディシ新聞の市長へのインタヴュー記事を読んだ。勿論、念のために原文を、幸運にも残っていた新聞社のサイトで読んだ。そしてこのインタヴュー記事を添えてドイツの当局や当事者に設置しないようにと運動を展開していこうと意気込む活動の馬鹿さ加減に呆れた。
ザロモン市長はインタヴューで極常識的な見識を語っている。つまり、友好都市であるスオン市との関係から平和を願う慰安婦像を受け入れようとしたのだが、知らされぬままに「野壺に落とされたようなものだ」と怒っている。つまり、嘗てトルコ人とクルド人が連邦共和国内で闘争したように、朝鮮と日本の争いごとに巻き込まれて非常に不愉快だと表現している。しかし最も肝心な一節は、日本の友好都市である松山や日本領事館そして世界中の日本人から反対運動の攻撃を受けて、「日本や米国やドイツ国内の日本人から受け取ったメールは、日本社会が暗黒時代のこの歴史を十二分に整理しているという希望を抱かせるには至りませんでした。慰安婦問題はインターネットの陰謀論などではないのです。日本政府も朝鮮人婦人の被った苦悩を正式に謝罪して、補償の為の財団を設立しているのですよ。」と、日本社会が慰安婦問題において歴史に向かいあえていないことを嘆いている。そこを、このサイトの日本語訳は、全く反対に訳している。
この市長のこうした考え方は当然で ― 名前がユダヤ系であることを示している ―、「ドイツでも我々が暗い歴史に立ち向かうことがどれほどに苦しいプロセスであるかということを学んでいて」とその意味合いを強調しているのだ。それ故に「戦時下での婦女への暴行はなにも日本の刻印をおされるものではなくて、二十年前のユーゴスラヴィアでのドイツ国防軍、ISにおけるヤジリへのそれなど起こっているのです。だからこの像が優れた警示となるべきだったのです。」とまで語っている。要するに日本側からの抗議で酷い目にあったということでもある。それさえなければ、今も日韓の中での大きな外交問題であるとは知らなかったということである。
兎に角、ここに相当する「異訳の誤魔化し」は各自に確かめてもらうとして、この運動をしている日本人らしき日本人妻の人々がこのインタヴュー記事を添えて抗議しろと息巻いているのを見ると、あの慰安婦像を運動をしている朝鮮人と変わらない位馬鹿な人々であるのが一目瞭然で、なるほどなと思わせる。真面な日本人や朝鮮人からすればこのような双方の運動自体が恥さらしなことは明らかなのだが、昔ならばこうした声が外交の場で反映することはなかったのだろうが、通信や交通の発展で三級市民の声も直接間接に外交にまで影響するということなのだろう。こうした現状があるからこそもはや嘗ての国の概念や国籍条項などは意味を失ってきているということでしかないのである。
参照:
日本国民への警鐘 2017-02-22 | マスメディア批評
多重国籍の奨めと被選挙権 2017-03-15 | 歴史・時事
フランクフルターアルゲマイネ新聞で「日本会議の研究」の著者菅野氏が取り上げられてから、その名前が頭に入っていたので、先日の籠池氏記者会見風景からその活躍ぶりを注視していた ― IWJのまとめサイトの情報なども実際には菅野氏の取材情報が流用されていたようである。そして独占インタヴューのヴィデオもYOUTUBEで最初の450回目以内の呼び出しで観ることが出来た。それは大臣の首を一つ獲るほどの事件報道としては大した仕事だった。そして、左翼のシムポジウムでの講演を聞いて、外国人特派員協会での籠池氏の会見が待たれた。目覚ましを掛けて就寝したが残念ながら延期になった。
既に述べたようにこれを機に世界中に外報が流されて、恐らく安倍内閣辞職への詰めへの一手が示されると思っただけに残念だった。まさに一挙手一投足が注目されるところで、一挙手遅れると籠池氏のような人が逮捕されたり、国税庁長官迫田のような人物が訴追されるのか、それとも誰かが脱税で家宅捜査されるのか、更なる変死者が出るのかなどと局面が変わって来るのだろう。兎に角、安倍晋三がやってきた政治手法は海外でも有名であり、トルコのエルドアン大統領のように法規を逸脱した人治主義の政治家であるから、何をしでかすか分からない。
菅野氏の講演で特に興味深かったのは、日本会議をそこいらのマッチョな政治好きのおっさんたちのネトウヨ団体として捉えていて、それ故にフェミニズムを感じさせる慰安婦問題が最も大きな声になっているというところである。我々からすると今時女性同権の運動などは大きな課題などとは思っていなかったので、まさかあれだけの右翼の市民運動であり、国政を動かしている日本会議がそれほど下らないもので、まさしく反被差別運動へのアンチテーゼということで在特会と根を同じくする活動だとは気が付かなかった ― 恐らくそれは菅野氏のような被差別側の視線を持ち合わせることでしかなかなか気が付かないのかもしれない。
そこで前記のオバープファルツにあるヴィーゼントの私有公園への慰安婦像の設置、そしてフライブルク市への設置の断念などについて書かれているサイトを興味深く覗いた。特にフライブルク市に関しては無関係でもないので経緯が気になっていたことでもあり、そのサイトにあるバディシ新聞の市長へのインタヴュー記事を読んだ。勿論、念のために原文を、幸運にも残っていた新聞社のサイトで読んだ。そしてこのインタヴュー記事を添えてドイツの当局や当事者に設置しないようにと運動を展開していこうと意気込む活動の馬鹿さ加減に呆れた。
ザロモン市長はインタヴューで極常識的な見識を語っている。つまり、友好都市であるスオン市との関係から平和を願う慰安婦像を受け入れようとしたのだが、知らされぬままに「野壺に落とされたようなものだ」と怒っている。つまり、嘗てトルコ人とクルド人が連邦共和国内で闘争したように、朝鮮と日本の争いごとに巻き込まれて非常に不愉快だと表現している。しかし最も肝心な一節は、日本の友好都市である松山や日本領事館そして世界中の日本人から反対運動の攻撃を受けて、「日本や米国やドイツ国内の日本人から受け取ったメールは、日本社会が暗黒時代のこの歴史を十二分に整理しているという希望を抱かせるには至りませんでした。慰安婦問題はインターネットの陰謀論などではないのです。日本政府も朝鮮人婦人の被った苦悩を正式に謝罪して、補償の為の財団を設立しているのですよ。」と、日本社会が慰安婦問題において歴史に向かいあえていないことを嘆いている。そこを、このサイトの日本語訳は、全く反対に訳している。
この市長のこうした考え方は当然で ― 名前がユダヤ系であることを示している ―、「ドイツでも我々が暗い歴史に立ち向かうことがどれほどに苦しいプロセスであるかということを学んでいて」とその意味合いを強調しているのだ。それ故に「戦時下での婦女への暴行はなにも日本の刻印をおされるものではなくて、二十年前のユーゴスラヴィアでのドイツ国防軍、ISにおけるヤジリへのそれなど起こっているのです。だからこの像が優れた警示となるべきだったのです。」とまで語っている。要するに日本側からの抗議で酷い目にあったということでもある。それさえなければ、今も日韓の中での大きな外交問題であるとは知らなかったということである。
兎に角、ここに相当する「異訳の誤魔化し」は各自に確かめてもらうとして、この運動をしている日本人らしき日本人妻の人々がこのインタヴュー記事を添えて抗議しろと息巻いているのを見ると、あの慰安婦像を運動をしている朝鮮人と変わらない位馬鹿な人々であるのが一目瞭然で、なるほどなと思わせる。真面な日本人や朝鮮人からすればこのような双方の運動自体が恥さらしなことは明らかなのだが、昔ならばこうした声が外交の場で反映することはなかったのだろうが、通信や交通の発展で三級市民の声も直接間接に外交にまで影響するということなのだろう。こうした現状があるからこそもはや嘗ての国の概念や国籍条項などは意味を失ってきているということでしかないのである。
参照:
日本国民への警鐘 2017-02-22 | マスメディア批評
多重国籍の奨めと被選挙権 2017-03-15 | 歴史・時事