Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

空気を別ける様な指揮

2025-02-01 | 文化一般
承前)プッチーニの音楽と直ぐに分かる作曲家ですが、その「自筆」はどのような意味を持ちますか?

そこにおいては、イタリアの歌の芸術と後期浪漫派における和声と大管弦楽を融合されています。この三点を一つにするなら、それがプッチーニです。彼においてはそれが特に大書きされているということがない。それは彼のドラマティックな感性が取り分け重要だからです。後期ヴァリズモとの相違はその音楽が絶えずドラマティックということです。

プッチーニにおいては、ヴァリズモの要素があります。それは人の人生の理想ではなくて本当の人生を描きたかった。同時にプッチーニの音楽においては浮世にて切り離された美があるように思えますが、この点はどうです?

美はプッチーニにおいてはそれ自体が目的ではなくて、彼のコンセプトの一部です。トスカのカヴァラドッシの「星は光りぬ」では、彼自身が生との惜別のところでのみそれがあるのです。アリアの最初では僅かに部分が大きなフレーズが始まる前に響くだけです。そこでの美は、ドラマテユルギーとして、絞られることで漸くゆっくりと放たれるのです。プッチーニは、美を追及するのではなく、真実を求めているのです。

プッチーニを指揮するのは難しいですか?

正直、指揮者にとってはプッチーニ以上においしい作曲家はいません。勿論どのようなオペラでも難しいですが、プッチーニは指揮者にとっては沢山の恩恵があります。信じがたいほど沢山の描くべき細部がそこにあります。「三部作」の仕事を思い出します。あらゆる観点からドラマに寄与する全てを叶うように為す仕事への喜びです。

あなたがカペルマイスターからベルリナーフィルハーモニカーのシェフになる過程は、フォンカラヤンやアバドにおいてのものを思い起こさせます。そこからすると、劇場での仕事は準備の時の助けになっている?

若い時に劇場に行かされたのはとても幸運でした、そしてマイニンゲンで自身の修行を行えたことは。そこには指揮の技術だけでなくて、劇場の有機的な構造への理解が含まれます。一時に多くの異なった視座を持たなければいけません、則ち奈落の管弦楽団、舞台上の歌手たちへ、会場の音響へ、などなどへと。指揮者の職人技とはその拍子取りから遥かなところにあります。そこには合唱やアンサムブルとの人間関係をどうするかなどの問いがあります。心理的なそして利害関係の調整への経験です。どうやって収めるか?ショッキングな経験をした晩の歌手をどのように褒めるか?劇場で全てを学びます。そこでキャリアを始めた者は、人生の準備が出来ます。

息遣いは音楽の基本ですが、楽団が一緒に息遣いするとはどういうことでしょう。

身に着けることの一つです。音楽家に一緒に息してといいます、若い指揮者は一体それはどういうことかと尋ねる。指揮は一緒に息使いするようにの技術と分かります。上から下への拍打ちではなく、空気を別けるようにの動きです。(続く)



参照:
一同共通の強いお願い 2021-02-22 | 文化一般
そのオーラをそっと出し 2024-12-17 | マスメディア批評
コメント
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