デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



カズオ・イシグロ(土屋政雄 訳) 『日の名残り』 (ハヤカワepi文庫)、読了。

カズオ・イシグロ氏がノーベル文学賞を受賞したニュースが世界を駆け巡ってから書店で品薄になった作品の一つ。読む前にTVの特集でさまざまな作品評を聞いたが、それらは読んでみなければ分からない内容もあったし、読み終えてから思い返すに的外れなものもあったように思う。
それはそれとして、私はブームが沈静化してようやく作品を手にしたわけだが、不思議と一気に読めてしまった。
正直、文章力のある執事の回想録かと思ったし、作者は執事の経験があるのではないかと錯覚したくらいだ。そして決して難しい言葉を使っているわけじゃないのに、人や物に仕える立場の普通の人々、仕事にプライドを持っている生真面目な一般の人間のささやかな喜怒哀楽や会心の仕事の成果に誇りと優越感を抱く冥利などが凝縮されていることに舌を巻いた。イギリスを舞台にした物語かもしれないが、朴訥でひたむきに人に対する気遣いで精神をすり減らす人間なら、これは私の物語じゃないかと作品に自己投影したくなるように思う。巻末にあった解説にちょっと腹が立ったくらいだ、余計な茶々を入れやがって、と(笑)。
読了したのは数ヶ月前だが、作品は私に思わぬ効果ももたらした。一言で表せば、この作家のものすごい力量に圧倒されて、この作品のすごさの何を私などが伝えられるのだろうとけっこう真剣に悩んだり、私の書く記事がくだらないものに思え、弊ブログを更新するのが億劫になってしまったりしたのだ。作品と私の文章は本質的に何の関係も無いにもかかわらず、だ(笑)。
おそらく、こんな風に自分の思い出や生きた証を残せれば良いのにと真剣に思ってしまったのだろう。この辺りのことは引いてはイシグロ氏の作品の大きなポイントにもなる記憶や思い出が人間を人間たらしめているもの、といった話になるのだが、今回の読書はその辺りのことを考える大いなるきっかけになるだろうことを読了直後に思ったりしたのは否定しようが無い。

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