7月23日(土)、標記の会のために夕方高松市に出かけました。会は夕方6時からでしたので、著作用の資料収集に長尾寺(87番札所)に行きました。ギラギラの太陽の光の下ですぐに日焼けしました。境内では、お寺の方に教えて頂いて、芭蕉句碑を撮影させていただきました。『神内喬木文集』の本の中に掲載します。
次に行ったのは、三木町高岡の大谷池です。このため池は、戦国時代に信州から移住した安西氏によって造られました。この池の形は諏訪湖と同じ形に造ってあります。すぐそばに諏訪神社や善光寺も勧請しました。安西氏の出自は諏訪氏です。
慰労会の会場の郷屋敷は、高松市牟礼町大町の羽間(はさま)にあります。
由来もご覧ください。
現在は、うどん料理を中心にした割烹となっていますが、江戸時代の旧家の家の構造のままで、書作品もたくさん展示されています。貫名菘翁の扁額「亀鶴斉寿 壬戌之復月 菘翁書」と書いています。流石に上手です。「亀も鶴も両方とも長生きをする。文久2年(1862年)11月 菘翁書」という意味です。会場でこの解説をしたときは間違って解釈していました。帰宅後に調べなおして正しい意味がわかりました。
この地元出身で有名なのが柴野栗山です。やはり美しい書軸が飾られていました。囲碁にまつわる漢詩です。英明高校の田山先生が解説して下さいました。
今回は、久保正彰先生がさきごろ日本学士院長を引退されたので、その慰労会です。下の写真は先生がスピーチされているところです。久保先生とはこれで4回ほどお会いしましたが、いつも本当に優しい先生です。おそらく日本人の学者としては最も優秀な方ですが、ぜんぜん威張ったそぶりを見せません。本当に実力のある方というのは、こういう謙虚な感じです。先生の江戸時代の先祖である久保桑閑は高松藩医で、柴野栗山とも親しく、平賀源内を初めて長崎に連れていった人物です。久保先生を慕って、この日は香川県の学問を代表する先生たちが14名集まりました。半数以上は私も仲良くさせていただいている先生方です。
優秀な学者が現れて、彼らが周りの人々に様々な影響を与え、さらに地域の文化が高まります。これは昔も今も同じです。