山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

おかしいんじゃないの?最近の教育。

2005-11-23 09:57:57 | 未分類過去
ニートや社会に順応しない若者が多くなっているということの対策として、子どもに小さいときから社会の仕組みや現実社会を体験させ、その苦労と面白さを実感させ興味をもたせようとする教育を始める傾向が出ているようだ。

例えば、小学校の中の空き教室に役所やコンビニ、マスコミ会社などを模擬的に作り、そこで小学生を働かせて、実際の業務の大変さや工夫すべきことを発見させるなどということをしている学校があるとテレビで紹介していた。実際にコンビニで物を売ったり、役所で税金を回収したり、放送会社が取材に当たるなどということを子供が小学校という社会のなかで擬似的に体験することによって、親が日常している仕事の煩雑さや苦労を実感できるのだそうで、小学生はインタビューに答えて、「お父さんは毎日こんなことをしているのかと驚いた。大人は大変だなあ」などと言っていた。
たしかに、このようなことで、いくらかは大人の苦労や社会の構造を具体的に想像できるかもしれないが、それで、こんなものかと分かった気がしてしまうことのほうがおそろしいような気がする。

中学校では今までも職場体験というものがされているが、それを小学生にさせるという動きもでているようである。それもテレビでやっていたのだが、そこでは小学生が店を経営するという設定で市場に行って自分が売りたい果物を仕入れたりしていた。市場では子どものために特別な人が対応し、詳しく説明などし、手取り足取りであった。本当に日常の市場にいったらどうなるのか、突き飛ばされておしまいであろう。さらに、店を経営するために仕入れをしてくるなどということを、新人にさせる職場などはない。
普通の商店で体験している子もいたが、体も小さいから、物を取り扱うのにも大人のようにはいかない。初めて接客をする小学生のために、一般のお客が突発的にそれにつき合わざるを得ない状況になり、買い物ひとつに無駄な時間を要してしまったり、戸惑っているような場面もあった。

これも、あまりにも現実離れしているとしか言いようがない。実際、一般的に行なわれている中学生の職場体験では、スーパーなんかでは、牛乳や豆腐などを並べさせたりするのが主であり、当然のことながら基本的な支障のない仕事しかさせることができないのが現実だ。

しかも、そのためには、なるべく忙しくない曜日などを選び、特別に1人多く出勤させたりなどしてその人を子ども担当に当たらせる。体験させるためには余計な手間がかかり、その分効率が下がるのである。それでも、中学生に大体の仕事の内容を知ってもらうことは有意義であるから、協力している。
しかし、働いているものは、体験者が帰った後、その子には日常の真実はわからなかっただろうという感触を拭い去ることができない。日常では、素人にかまっている時間などはなく、実際に働いている新人でも、なかなか丁寧に仕事を説明してもらえる状況ではないからである。体験者を迎えたときは、あくまでも日常とは違う様子になってしまうというわけである。

また、体験の中学生には細かいミスのすべては注意しきれないし、精密さも期待できないから、品出しひとつでも、体験の中学生が帰ったあとに、従業員がもう一度賞味期限を確認したり、あるべき位置や形に並べなおしたりすることになる。
例えば、牛乳など、最初は賞味期限が見えるようにと言われたとおりに並べていたから安心していたら、中学生が帰ったあと見ると、後で出した商品は全部裏返しに並べてあったなどということもあった。しかし、中学生は仕事は簡単だったよと思って帰っているわけである。

子どもが知るべきことは、「仕事とは、基本的なことをマスターするのも大変なんだ」ということではないかと私は思う。
「そんな人は仕入れなんかにはまだまだ手がだせる分際ではないんだよ」ということこそ知らしめるべきではないだろうか。
現在行なわれているような中学生の職場体験ならまだしも、小学生に高度な大人の仕事を体験させる必要があるとは思えない。

ところが、今の子どもにさせようとする教育体験が、いきなり「仕入れ」、「経営」、からはいるのだから気が知れない。そのようなことを企画する教員の頭がおかしいのではないかと思う。その人たちこそが現実に普通の職場で働いたことがないので、そんなことを考え付くのではないかと思ってしまう。

また、子どもに株の仕組みを教え、株を擬似的に買わせて収支を計算するなどという授業さえしているという。アメリカのように、親から100万くらいお金をもらい、子どものうちから株を買ったりして資産を増やすという家庭も増えているらしい。

このように育った子どもは、資産を運用して利益が上げられれば働く必要はないと考えるはずだし、また、働くとしてもいきなり経営をさせろなどと言い出しそうだ。

その前に、スーパーだったら、お客さんの不快感がないように、床に落ちたゴミを掃除するなどという基本的なことができることが大切ではないだろうか。

だから、小学生は落ち葉掃除や、校舎の隅々の掃除、自分の係の仕事など、そのときの自分がすべき役割をしっかりできることがまず大切であると思う。
そのような基本的なことを飛び越えて、会社や組織の大きな動きをいきなり自分が担えると勘違いすることは非常に危険であると思ってしまう。

偽もの体験をして、できたようなわかったような気になる事こそ、現実社会に出て、実社会で働く意思がそこなわれるような気もする。

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