山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

面接授業3回目の日

2005-11-25 00:45:27 | 放送大学
またまた、面接授業の日。
もともと面接授業は、放送教材を視聴するために、無理やり足を運ばなければならない状況を作るように受講したものですが、今回はあまりにも提出課題の期限がせまっているので、もはやテープやビデオを視聴する余裕さえなくなってしまいました。
それで午前中は、家で「20世紀の中国文学」の記述問題をやっていて、当然終わるものでもなく中断し、昼近くになって出かけていきました。
時間が遅くなると、もういつもの駅周辺の駐輪場は全部満車です。路上に置いて撤去されるのもいやなので、もうひとつの反対方向にある辺鄙な駅からの、別の路線経路で学習センターまで行くことにしました。こっちは公の有料駐輪場も空いていますが、スーパーの駐輪場にただでおけます。
しかし、この路線にすると、全体の所要時間は10分くらい早いものの、電車を2~3回乗り換えなければならず、電車の中で勉強ができないし、交通費がいつもの倍かかります。
帰りも、授業が終わると真っ直ぐに帰宅しましたが、電車の中では、ずっと立ちっ放しで、行き帰りとも、ほとんど教科書を読むことなどはできませんでした。

面接授業では、学生のほうから質問や意見も出て、先生が丁寧に答えてくださり楽しかったです。みんな、知識があるなあと思います。今とっている面接授業は一般科目なのですが、専門分野と違うので、私には何もかも新しいことばかりで、質問さえも湧いてこない状況です。
それから、毎日勉強をするモードになっていないので、今、この一週間に一回だけ出かけていく授業は、エンジンがかかりきらず、前回の内容もすっかり忘れているといった感じです。
受講者の平均年齢も高いですが、毎日が勉強モードではないという雰囲気が、通学制の普通の大学生とかなり違うのではないかと思いました。

初日から出ている顔ぶれは決まっていて、遅刻もしませんが、一度も来ない人も2~3割くらいはいるんじゃないでしょうか?
そういえば、私も以前苦手な英語を申し込んでいたことがありますが、予習するのが億劫になって、最初から行かずに放棄してしまったことがあります。払った受講料はもったいないですけど、仕事の都合などで急に行けなくなったりする人もいるのでしょう。

そして、授業内容のレベルですが、先生のお話によると、今そのクラスで使っている教科書は、素人にはかなり難しいそうです。だから理解できなくてもいいとのことでした。先生が噛み砕いて教えてくださるので、面接授業は分かりやすいです。

放送授業は簡単な科目と難しい科目の落差が激しいように思いますが、最近は教科書を読んでも消化できないものが多く、とても難しいと感じることが多くなりました。
年のせいでアタマがボケてきたからかもしれないし、たまたま難しい科目を受講しているのかもしれません。
試験なしで入れる大学なので、受講生も頭のさえた人から私のように大ボケの人まで、様々なのではないかと思います。

ある一定量の勉強モードが続くか、または基礎知識がアタマに充填されると、脳細胞がうまく理解にむかって作動するという気がするのですが、けっこう錆び付いちゃってるようです。

でも、なんかもしかして「私の趣味って放送大学なのかしら?」などと思いました。いつかこの人文系コースが卒業できた後には、社会系や自然系の学科も受講したいなあなどと思っています。


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子どもが生まれた日のこと

2005-11-25 00:38:46 | 未分類過去
うちの子最近20歳になりました。
その前日も当日も友人が祝ってくれるとかで、家には寄り付かず、今度の日曜日に家族でおいしいものでも食べに行こうかと思ったのですが、下の子がテスト週間だから出かけないなどと言っており、外食は無理そうです。

もともと、うちではあまり誕生パーティーというほどのことはしません。何年か前までは、デコレーションケーキとちょっとしたご馳走を作るくらいのことはしましたが、子どもはあまりケーキは好きではなく、別に当日でなくてもいいと言うし、プレゼントも過去には本人の希望を聞いて用意していたのですが、そのうち、今欲しいものは特にないから現金でいいとか、そのうち欲しいものがみつかったときでいいなどと言い出して、何にもしなくなってきました。

それにしても、20才と言えばすごい節目だから、盛大に祝ってあげるべきかと思うのですが、まあ、結局のところ誕生日は過ぎ去ってしまいました。
私は放送大学の課題をするのに必死で、夫が携帯でおめでとうとメールを送ったそうです。

私は子どものときに、親は自分の誕生日なんか覚えていないのではなどと思っていたことがありましたが、親というのは、そんなことはないですね。
私の場合、自己中なので子どもが生まれた日としては忘れるかもしれませんが、自分が子どもを生んだ日としてはよく覚えていますから、その日が来るたびに何年前に生んだんだなあと思い出します。時間も思い出しますね。明け方陣痛が始まって、夫が夜勤だったから自分で荷物を持って主要道路まで歩いていって、そこでタクシーを拾って病院に行ったこと。生まれる前に夫が夜勤をあけてちょうど仕事帰りに病院についたこと。等等。

私はすごい安産です。2人子どもがいますが、最初陣痛は弱く10分~5分間隔くらいに痛みがきても、その合間には平気で歩いていられます。ですから、荷物を持って歩いていても、陣痛が来たときだけ立ち止まっておなかの張りが消えたらまた歩き出すみたいな感じで、悠々と病院に到着しました。病院についたころにはちょうど間隔が狭くなり、上の子の場合、早朝5時に陣痛らしきものを感じはじめて昼前に生まれ、下の子は7時ころに陣痛が始まって、昼過ぎに生まれました。自然分娩ですから、それなりに痛くて大変ですが、時間が短いだけ疲労もないです。上の子が生まれたときは、お昼が遅めになったので、おなかがすいて、すごくおいしかったです。

11月の今頃は小春日和の日が多いですが、その日もすごく暖かくいい天気でした。
そして、この季節は紅葉がとてもきれいです。それで、名前を「小春」か「千秋」にしようかと思いましたが、「こはちゃん」「ちいちゃん」という呼び方はあまり好きではないので、季節に関係ない別の名前にしました。

男は一生、生殖能力があるそうですが、女は15~45歳くらいまでとか、どこかに書いてありました。45歳くらいで排卵がなくなるそうです。40歳近くなったときには、生めるのは今のうちだけれど、本当に2人でいいのかなどと思ったこともありましたが、45歳ともなると、もう絶対に自分が子どもを生むことなどはありえないわけです。
50歳で生んだ人がいるそうですが、一般に卵子の状態も良くなさそうだし、子宮の機能も老化しているだろうから、子どもを生むには適しません。やはり、すでに子どもを生むには終わってる体ですね。

そうなると、今後はやはり、子ども世代が子どもを生む時代に突入です。要するに、数年後には「孫」です。自分が子どもを生めなくなったときに、自分の子どもが生んだ子どもはすごくかわいいだろうなあと思います。それもある意味、自分が生んだみたいな、いや、それ以上にかわいいんだろうと思います。
はやくも、おばあさんになったときの気持ちが予測できてしまいました。

しかし、娘にはこれからもっともっと勉強して、大学生活を楽しみ、卒業して、自分のやりたい仕事について、いろいろなことを経験して、それからいい相手とめぐり合い、結婚して、かわいい子どもを生んでほしいと思っています。



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