昨日、風見しんごさんのお子さんが交通事故で亡くなったというニュースを聞き、並々ならぬショックを受けた。
つい最近、テレビ番組に風見しんごさんが出ていて、お嬢さんのことを楽しく話しておられたからだ。
そのときの話では、小学5年生の長女えみるさんは最近ダンスに興味をもち習っているとかいうことだった。ちょっと前はモーニング娘が好きで、風見さんがモーニング娘のビデオなどを録画してあげたりするときに、自分の若いころの踊りながら歌っているものをモーニング娘の歌の合間に挿入したりして、お嬢さんが見るように細工を凝らしたりしているとかいうことだった。しかし、その部分は早送りされてしまうとか言って笑っていた。
最近はモーニング娘ではなく、マイケルジャクソンに関心をもっているとのことだった。
とてもいいお父さんぶりで、一緒にお風呂に入ったりしているらしいが、一緒に入れるのは一般的に小学校5年生くらいまでだから、そろそろ入ってくれなくなるなどと他の出演者から言われていた。お子さんの成長が本当に楽しくてしょうがない子煩悩のパパぶりだった。
そのときは数日先にこんな不幸なことが起ころうとは誰も思わないわけで、全く予測できない未来の残酷さに、どう対処したらいいのか、心の持っていきどころがない。
中年になってからテレビに登場しなくなっていた元アイドル歌手が、しばらくぶりに登場するケースを時々みかける。近年はほとんどテレビに出演しなくなり記憶からなくなっていた人が、知らないうちに結婚して離婚もせず、妻子を養い、いいお父さんになっている様子をみると、ちゃんとやっているんだなと見直し、再評価することがある。
テレビに出ないこと=落ちぶれた、というわけではなく、もはやアイドルではない仕事をし、健全なすばらしい家族生活を営んでいる一家の柱、父親としての人間像に非常に好感がもてた。
昔から元気で明るいはつらつとした人だったが、その様子は変わらず、そしてお嬢さんもその血をひいていそうな、楽しそうな父と娘だ。
だから、あまりにもこんな運命はひどすぎると思う。
あまりにも突然のことで、なかなか受け入れられない事実だが、冥福を祈るしかない。
お子さんはもう一人いるようなので、奥さんと下のお子さんと3人で長女さんの分まで頑張って生きていってほしい。
つい最近、テレビ番組に風見しんごさんが出ていて、お嬢さんのことを楽しく話しておられたからだ。
そのときの話では、小学5年生の長女えみるさんは最近ダンスに興味をもち習っているとかいうことだった。ちょっと前はモーニング娘が好きで、風見さんがモーニング娘のビデオなどを録画してあげたりするときに、自分の若いころの踊りながら歌っているものをモーニング娘の歌の合間に挿入したりして、お嬢さんが見るように細工を凝らしたりしているとかいうことだった。しかし、その部分は早送りされてしまうとか言って笑っていた。
最近はモーニング娘ではなく、マイケルジャクソンに関心をもっているとのことだった。
とてもいいお父さんぶりで、一緒にお風呂に入ったりしているらしいが、一緒に入れるのは一般的に小学校5年生くらいまでだから、そろそろ入ってくれなくなるなどと他の出演者から言われていた。お子さんの成長が本当に楽しくてしょうがない子煩悩のパパぶりだった。
そのときは数日先にこんな不幸なことが起ころうとは誰も思わないわけで、全く予測できない未来の残酷さに、どう対処したらいいのか、心の持っていきどころがない。
中年になってからテレビに登場しなくなっていた元アイドル歌手が、しばらくぶりに登場するケースを時々みかける。近年はほとんどテレビに出演しなくなり記憶からなくなっていた人が、知らないうちに結婚して離婚もせず、妻子を養い、いいお父さんになっている様子をみると、ちゃんとやっているんだなと見直し、再評価することがある。
テレビに出ないこと=落ちぶれた、というわけではなく、もはやアイドルではない仕事をし、健全なすばらしい家族生活を営んでいる一家の柱、父親としての人間像に非常に好感がもてた。
昔から元気で明るいはつらつとした人だったが、その様子は変わらず、そしてお嬢さんもその血をひいていそうな、楽しそうな父と娘だ。
だから、あまりにもこんな運命はひどすぎると思う。
あまりにも突然のことで、なかなか受け入れられない事実だが、冥福を祈るしかない。
お子さんはもう一人いるようなので、奥さんと下のお子さんと3人で長女さんの分まで頑張って生きていってほしい。
放送大学の在学期限が切れるので、今回の単位取得によって卒業になるか中退になるかが決まる。その場合、単位が足りなければ同じ専攻に再入学し、単位が取れれば今の専攻を卒業となるとともに別の専攻に入学したいと思っている。
ところで、そのような場合の手続きの仕方がよくわからない。何度も説明書を読んでいるのだが、正しいやり方が確信できないので、電話で問い合わせようとしている。
しかし、私の出勤前や帰宅後の時間帯で、先方がやっている時間帯というのは、私も忙しくてなかなか時間がとれず、毎日実行しないままに過ぎてしまっていた。
それで、会社が休みの木曜日こそは電話をかけようと決意し、かけたわけだが、電話がたてこんでいるので、しばらくしてからかけなおすようにとのことだった。電話は何本かつながるようになっているが、どれもが対応中なのだそうだ。
どれくらい待ってからかけたらいいのかと聞くと、わからないとのこと。相手が機械の場合は3分おきにばんばんかけることもできるが、受付の人なので、そう頻繁にかけるわけにもいかず、15分くらいは待ったほうがいいのかなと思う。
今から学習センターに行くので、送付されてきた書類を持参し、そっちで聞いてみようかなとも思うが、最初にやろうと思ったことが達成できないとどうもいらいらしてしまう。これも「小我」のあらわれでよくないことだ。ブログでも書いて時間をつぶそうということになった。
最近、電話の問い合わせがスムーズにできずいらだつことが多い。子供の携帯電話の充電器が壊れてしまったので、ソフトバンクの営業所に行き、とりよせてもらおうとしたところ、そこの人が連絡をとろうとしても全然電話がつながらない。最近はいつもそんな状態で、つながった後にも20分以上待たなければ人が出ない状況とのことで、自分で自宅からかけて直接申し込んでくれと言われた。
自宅に帰ってかけるとやはり自動音声が流れるのみでつながらず、1日目はあきらめた。2日目も会社から帰宅してから延々かけていて、夕飯も作れない状況だった。
どこでもかまわずソフトバンクに関連する番号にかけて文句を言うと、夜の8時までやっているので、根気よくかけてくれとの一点張り。まだ、6時だから2時間も余裕があるでしょうと言わんばかりだ。
そんなことを言われてもこっちは電話にかかりきりというわけにはいかない。あとでかけようと思って先に夕飯を作ったり食べたりしているとついつい8時を過ぎてしまったりするから、早く用件を片付けたい。
おそらく夕方5時過ぎに電話をすると混雑していると思うので、営業所の人が用件を受けて平日の昼間などに申し込んでおいてくれるとか、単に充電器の注文なので、インターネットで申し込むとか郵送で申し込むとかいう方法はできないのかと聞いたがだめだった。
それで、その後帰宅した夫が協力し、延々とかけつづけ待ち続けたところ、1時間してやっとつながった。それから数日して宅配で充電器が送られてきた。
ああ、もう疲れる。
以前社会保険庁でテレホンオペレーターをしたことがある。年金受給者の扶養親族申告書というものの書き込み方の問い合わせ専用窓口であるが、これも日本全国からの問い合わせが殺到していた。100台くらいの電話機が一日中ひっきりなしにかかり続けているのだが、夕方取った電話で、朝からかけ続けていてやっとつながったというほっとした声や逆にお叱りの声も多かった。
その記入の仕方は非常にわかりづらく間違えやすいもので、問い合わせが殺到するのもあたりまえだと思った。
地元の社会保険事務所がやらずに、社会保険庁が一手にやるのは無理があるんじゃなかろうか。しかも応対する人間は派遣会社を通した臨時雇いだ。
これらは、情報や応対の窓口を1箇所にまとめたがために、そこのみに問い合わせが殺到し、消化しきれない状況になっているといえる。
こういうのは物理的にも問題があるんじゃないかと思う。
ところで、そのような場合の手続きの仕方がよくわからない。何度も説明書を読んでいるのだが、正しいやり方が確信できないので、電話で問い合わせようとしている。
しかし、私の出勤前や帰宅後の時間帯で、先方がやっている時間帯というのは、私も忙しくてなかなか時間がとれず、毎日実行しないままに過ぎてしまっていた。
それで、会社が休みの木曜日こそは電話をかけようと決意し、かけたわけだが、電話がたてこんでいるので、しばらくしてからかけなおすようにとのことだった。電話は何本かつながるようになっているが、どれもが対応中なのだそうだ。
どれくらい待ってからかけたらいいのかと聞くと、わからないとのこと。相手が機械の場合は3分おきにばんばんかけることもできるが、受付の人なので、そう頻繁にかけるわけにもいかず、15分くらいは待ったほうがいいのかなと思う。
今から学習センターに行くので、送付されてきた書類を持参し、そっちで聞いてみようかなとも思うが、最初にやろうと思ったことが達成できないとどうもいらいらしてしまう。これも「小我」のあらわれでよくないことだ。ブログでも書いて時間をつぶそうということになった。
最近、電話の問い合わせがスムーズにできずいらだつことが多い。子供の携帯電話の充電器が壊れてしまったので、ソフトバンクの営業所に行き、とりよせてもらおうとしたところ、そこの人が連絡をとろうとしても全然電話がつながらない。最近はいつもそんな状態で、つながった後にも20分以上待たなければ人が出ない状況とのことで、自分で自宅からかけて直接申し込んでくれと言われた。
自宅に帰ってかけるとやはり自動音声が流れるのみでつながらず、1日目はあきらめた。2日目も会社から帰宅してから延々かけていて、夕飯も作れない状況だった。
どこでもかまわずソフトバンクに関連する番号にかけて文句を言うと、夜の8時までやっているので、根気よくかけてくれとの一点張り。まだ、6時だから2時間も余裕があるでしょうと言わんばかりだ。
そんなことを言われてもこっちは電話にかかりきりというわけにはいかない。あとでかけようと思って先に夕飯を作ったり食べたりしているとついつい8時を過ぎてしまったりするから、早く用件を片付けたい。
おそらく夕方5時過ぎに電話をすると混雑していると思うので、営業所の人が用件を受けて平日の昼間などに申し込んでおいてくれるとか、単に充電器の注文なので、インターネットで申し込むとか郵送で申し込むとかいう方法はできないのかと聞いたがだめだった。
それで、その後帰宅した夫が協力し、延々とかけつづけ待ち続けたところ、1時間してやっとつながった。それから数日して宅配で充電器が送られてきた。
ああ、もう疲れる。
以前社会保険庁でテレホンオペレーターをしたことがある。年金受給者の扶養親族申告書というものの書き込み方の問い合わせ専用窓口であるが、これも日本全国からの問い合わせが殺到していた。100台くらいの電話機が一日中ひっきりなしにかかり続けているのだが、夕方取った電話で、朝からかけ続けていてやっとつながったというほっとした声や逆にお叱りの声も多かった。
その記入の仕方は非常にわかりづらく間違えやすいもので、問い合わせが殺到するのもあたりまえだと思った。
地元の社会保険事務所がやらずに、社会保険庁が一手にやるのは無理があるんじゃなかろうか。しかも応対する人間は派遣会社を通した臨時雇いだ。
これらは、情報や応対の窓口を1箇所にまとめたがために、そこのみに問い合わせが殺到し、消化しきれない状況になっているといえる。
こういうのは物理的にも問題があるんじゃないかと思う。
さっき、「オーラの泉」を見ていた。
この番組は、わざわざ放送時間を覚えているわけではないが、夜遅くテレビをつけるとやっていることが多く、興味のあるゲストの場合は見ることが多い。
今日は、「劇団ひとり」だったので見ることにした。
そこで、出た話の中で、「大我と少我」というのがあった。
「小我」は自己中心的な小さい自分を中心とした考え方であり、「大我」は狭い範囲の自分ではなく、周囲の益を考えての自分というか、他人も含めての自分、周囲の人に愛をもっての自分というようなものらしい。
この言葉は初めて聞く言葉だったが、辞書を調べると載っていた。
小我=自分一人にとらわれた狭い我。利己的な立場の主体性。
大我=利己的な立場を克服し、より広く公共的な立場をとる主体性。
とある。
物事を見るときには「小我」ではなく「大我」の精神でいかなくてはならない、と江原さんが言っていた。
私自身、とかく「小我」になっていることが多いと思い、「大我」にならなくてはと思った。
「小我」っていうのは、結局、自分のことばかりを考えている器が小さい人間だ。
自分が人からよく思われたいとか、高く評価してもらいたいというような気持ちで物事を一生懸命やっても、それは良いものとはいえない。仕事でも会社や周囲の人の益になることを第一に考えるべきだ。
それから、美輪さんが言っていたことで印象に残ったのは、「自分を改善する時に感情を廃して理性で対処することが必要だ」というのだった。
感情で怒ったり悩んだりしていては悶々とするばかりで、出口がない。そういうときには、感情を捨て、どういう解決方法があるかを客観的に考え、それを行動に移す。意識的に自分を一旦機械のようにしてしまうのだ。
感情を廃してしまうなんてちょっと妙な気がするが、確かにそれはいい方法だと思った。
そういうのは、本当に心が病むようなことにぶち当たり、それを乗り越えた経験がある人だからこそ、習得した方法であり、説得力がある。感情を廃しなかったら鬱状態になったり自殺してしまったりしてしまうかもしれない。また、逆に愚痴をこぼしたり甘えたりして前進することができないこともある。前進することを妨げるような感情は除外する必要がある。
そういう感情にとらわれることも「小我」なんだろう。
そして、やたら明るく悩まずに前進するのが「ポジティブ」であり、深く考え落ち込んだりするのが「ネガティブ」という捕らえ方はまちがっているのだそうだ。
問題があるのにそれを見つめようともせず楽しくやって行くのはポジティブではなく、ただのバカである。
深く考え落ち込んだ末に改善策を考えて前進していくことがむしろポジティブといえる、と江原さんが言っていた。
そういう姿勢にも「大我」の精神が大切なのではないだろうか。
客観的な視野をもちつつ自分の主体性を持って前進していきたいものだ。
この番組は、いろいろと生き方を導いてくれるが、そのほかにも人間個人に影響を及ぼす科学では解明できない神秘的な力の働きを感じ、魅力がある。
オーラや守護霊、前世といったものが実在するかどうかは証明できないが、少なくともその人間の特質をそういうものであらわすことができると言える。そうしたら、私自身にはどんなものが見えるのだろうか。
ひとりの人間は純粋にその独立したひとりから成っているのではなく、歴史の中の存在であり、多くの人の魂や人間には見えない存在の様々な精神の影響を受けた複合物なのだろう。
この番組は、わざわざ放送時間を覚えているわけではないが、夜遅くテレビをつけるとやっていることが多く、興味のあるゲストの場合は見ることが多い。
今日は、「劇団ひとり」だったので見ることにした。
そこで、出た話の中で、「大我と少我」というのがあった。
「小我」は自己中心的な小さい自分を中心とした考え方であり、「大我」は狭い範囲の自分ではなく、周囲の益を考えての自分というか、他人も含めての自分、周囲の人に愛をもっての自分というようなものらしい。
この言葉は初めて聞く言葉だったが、辞書を調べると載っていた。
小我=自分一人にとらわれた狭い我。利己的な立場の主体性。
大我=利己的な立場を克服し、より広く公共的な立場をとる主体性。
とある。
物事を見るときには「小我」ではなく「大我」の精神でいかなくてはならない、と江原さんが言っていた。
私自身、とかく「小我」になっていることが多いと思い、「大我」にならなくてはと思った。
「小我」っていうのは、結局、自分のことばかりを考えている器が小さい人間だ。
自分が人からよく思われたいとか、高く評価してもらいたいというような気持ちで物事を一生懸命やっても、それは良いものとはいえない。仕事でも会社や周囲の人の益になることを第一に考えるべきだ。
それから、美輪さんが言っていたことで印象に残ったのは、「自分を改善する時に感情を廃して理性で対処することが必要だ」というのだった。
感情で怒ったり悩んだりしていては悶々とするばかりで、出口がない。そういうときには、感情を捨て、どういう解決方法があるかを客観的に考え、それを行動に移す。意識的に自分を一旦機械のようにしてしまうのだ。
感情を廃してしまうなんてちょっと妙な気がするが、確かにそれはいい方法だと思った。
そういうのは、本当に心が病むようなことにぶち当たり、それを乗り越えた経験がある人だからこそ、習得した方法であり、説得力がある。感情を廃しなかったら鬱状態になったり自殺してしまったりしてしまうかもしれない。また、逆に愚痴をこぼしたり甘えたりして前進することができないこともある。前進することを妨げるような感情は除外する必要がある。
そういう感情にとらわれることも「小我」なんだろう。
そして、やたら明るく悩まずに前進するのが「ポジティブ」であり、深く考え落ち込んだりするのが「ネガティブ」という捕らえ方はまちがっているのだそうだ。
問題があるのにそれを見つめようともせず楽しくやって行くのはポジティブではなく、ただのバカである。
深く考え落ち込んだ末に改善策を考えて前進していくことがむしろポジティブといえる、と江原さんが言っていた。
そういう姿勢にも「大我」の精神が大切なのではないだろうか。
客観的な視野をもちつつ自分の主体性を持って前進していきたいものだ。
この番組は、いろいろと生き方を導いてくれるが、そのほかにも人間個人に影響を及ぼす科学では解明できない神秘的な力の働きを感じ、魅力がある。
オーラや守護霊、前世といったものが実在するかどうかは証明できないが、少なくともその人間の特質をそういうものであらわすことができると言える。そうしたら、私自身にはどんなものが見えるのだろうか。
ひとりの人間は純粋にその独立したひとりから成っているのではなく、歴史の中の存在であり、多くの人の魂や人間には見えない存在の様々な精神の影響を受けた複合物なのだろう。