山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

1月末

2007-01-25 22:47:59 | 未分類過去
今は、1月末だ。
先日、仕事をしていて落とし穴があった。それは、仕事の期限を見たときに、「1月末」と書いてあったのを見て、1月31日だ、と勝手に思いこんでいたのだった。
だから、先週の時点で翌々週まである、というか、少なくとも今週いっぱいは余裕があるのだろうと思っていた。ところが、なんだか仕事をせかす雰囲気が充満しているので再確認したところ、今週中には完全に仕事が完了していなければならないから、私の仕事は週初めに消化しなければいけないのだった。それならば、先週のうちに残業をしておくべきだったが、先週は全く考えずに今週に持ち越してしまい、さらに他の部署の人に応援を頼めばいいやと思ったら、逆にその人が休んでその人の仕事までが入ってきて、どんどんずれ込んでしまった。火曜までにはできそうだと言ったものの、残業をしても水曜日までかかってしまった。
そもそも1月末と1月31日は違う、ということを意識していなかったのが間違いだった。

ところで、もう1月末だが、ちょっとびっくりおどろき嬉しかったことがある。それは、年末に買った仏壇の切花が意外にも長持ちしてくれたことであり、1束ごと1月半ばまでしっかりしていた。その後枯れてきた花を捨てたが、最後に白い菊だけはぴんぴんしていて、それを1輪ざしにしていた。その菊が今日になって、いよいよちょっと元気が衰え花びらが乱れてきたので、片付けることにしたが、4週間も長持ちしたのはほんとうに驚きだ。土から生えていてもそんなに長くは咲いていないのではなかろうかと思う。思えば、年末になるべく安く済ませられないかなどと歩き回って、しかたなく800円を出して買ったような仏花だった。結局はお買い得だったなと思う。「貧乏なのに花を買ってくれてありがとう」と、天国の義母が喜んで花を長持ちさせてくれたのではないかと思うほどである。

もう1月も終りで、我が家も世の中も正月のなごりがなくなったわけだが、別件で驚くことがある。それは近所でお正月の飾りを未だに玄関に飾っている家があることである。玄関リースなら冬中、飾りのようにつけているお宅もあるが、昔ながらの純日本風の正月飾りだから、どう考えてもおかしい。7日すぎても片付けていないので、あれっと思って、「15日までつけておくつもりなのかこの家は」と思っていたのだが、それもとうに過ぎてしまった。
このお宅は、数年前までは自営業をしていて非常に大きな立派なお飾りをつけていたが、最近羽振りが悪いのか、引退して年金生活になったのか、車のお飾りのような小さなものをつけるようになった。昨年などは本当に「交通安全」と書いてあったように記憶している。今年は「交通安全」とは書いてないが、本当に小さい自転車にもつけられそうなコンパクトなものである。それがまだぶら下がっていて、風の強い日にはピラピラと風に翻ったりしている。「1月いっぱいつけているつもりなのか?このお宅は」と思いながら、いつもその前を歩いているが、忘れているのかな?気にならないのかな?と、こっちは気になって仕方がない。留守にしているわけでもなく、生活している様子ではある。

2007年ももうすぐ1ヶ月が終ろうとしている。気づかずに時がどんどん過ぎる。有意義に時を過ごしたいものだ。
コメント

ヤル気なし

2007-01-25 18:51:57 | 未分類過去
どうして自宅にいるとヤル気がなくなるのか、ほんとうに不思議だ。
きょうは、遅い朝ごはんを食べたあと再び寝て、起きたら2時半だった。
夫は腹が減ったと言ってカップラーメンを勝手に食べていた。
私もおきると納豆でご飯を食べた。
その後、近所のペットショップにウサギの餌やおもちゃやシートを買いに行ってきた。
干草が残り少なくて買いに行ったのにもかかわらず、いつも食べさせているのがなかったので買わず、関係ないものばかり買ってしまった。これでは、また土曜日にでも買いにいかなければだめである。いつもと違うメーカーでも買えばよかったかな~と思う。
帰宅すると、もうすでに5時になり、1日は終わったも同然だった。

休みの日には、どこかに買い物にでもでかけて、素敵な洋服を買ったり、おいしいものを食べたりすれば、楽しくて気分がすっきりし、ストレスの解消ができそうな気がするが、何分お金がないからそういう楽しみはできない。
たまに買いものに行っても、売り場を延々とうろうろした挙句に、結局は懐と相談して全てをあきらめ、疲れ果てて帰宅するというのが関の山だ。どうせでかけてもそんなことになるから、初めから買い物にはいかないほうがいい。
なんかつまんない人生だな~
何を楽しみに生きていったらいいんだか・・・

昨日、パソコンで求人や仕事についての情報を見ていたら、私が勤めている種の会社の正社員の給料は30代以上だったら普通500万はくだらないようだ。中年を中途採用する場合は、実務経験は絶対必要であり、実務経験なしで採用されるのは20代後半までである。このような会社で実務の補助のみをしているパートの50歳に近いおばさんなんかを正社員として雇ってくれる同業の他社はありえないだろう。
私が今2倍の時間働くとすると、時間でいえば週40時間ということになり正社員の勤務時間に達するはずだが、今の給料形態では年収は200万である。これでは新卒の新入社員より少ない。私のやっている労働は、それだけの価値しかないということだ。
給料で人間の価値がきまるわけではないはずだが、どうしてもそういうもので測ってしまう。そうすると、自信喪失に陥る。

高校3年の娘は、もう学校の授業はなく、卒業式まで暇なので、朝からみっちり働けるバイトを探している。今までのコンビニの仕事は学業の合間の土日か夜働くという形だったので、それを今月いっぱいでやめることにした。
ところが、バイトの求人に応募すると、短期ではだめだという返答が続出し、雲行きがあやしくなってきた。つまり、フリーターなど1年中いつでも働ける状況のバイトを雇うか、または学生ならば短時間の仕事に時々入るというような小遣い稼ぎをするようなタイプの働き方のバイトが主流である。これでは、毎日規則正しい生活もできないし、定収入にもならない。意外な事実に困惑気味だ。春休み中にまとまったお金を稼ごうという計画はそううまくはいかない。

大学3年の長女は今就職活動中だが、企業のセミナーやエントリーシートの作成で忙しくバイトどころではなくなっている。求人に応募するには、まずパソコンでエントリーすることが必要らしいが、その時に新しい企画案や、会社についてのイメージや、自己PRなど、それぞれの会社が指定するものをそれぞれ吟味して書く必要がある。それをしておかないと後々採用試験を受ける資格も得られないので、本命がだめだったときのことを考えて、他のいくつもの会社にもエントリーしておかなければならない。セミナーなども受付開始を待っていて、ホームページから一気に申し込みを入れないと、人気の企業はすぐ満員になってしまうのだそうだ。ということは、そういうことをしなければならない時間帯にバイトなんかを入れることはできない。毎日バイトをしなければやっていけない学生は、就職活動も人並みにできず、結果としていい会社には勤められなくなるということだろう。
その上、就職活動のために日経新聞を定期購読するなども必要となり、一人暮らしをしていると、パソコンや新聞を家族と共有することもできず、それぞれに経費がかかるために家全体の出費はかさむばかりである。

入るものが入らず、出るものばかり増えている最近、やはり私も働き方を考えなければならないところにきている。ダブルワークが必要かと思うわけだが、効率よく収入を得るのはなかなか難しい状況で、そんなことを考えても気が鬱になってくる。

暇で自宅にいるとそういうことを考えてしまうから悪いので、会社で仕事をしているときに鬱にならないのは、そういうことを考える暇がないからだろうと思う。
コメント

積んどく状態

2007-01-25 01:42:59 | 未分類過去
私の仕事は基本的にそんなに忙しくはないので、いつも机の上に未処理の書類が積まれているということはほとんどない。
普通、たまっても3件くらいで、だいたい2日以内には無くなるといえる。

だが、今回は初めて10件くらいたまり、1日数件消化しても次々に増えるという感じで、このままでは雪だるまだ、と思うほどだった。
これらを、一刻もはやく消し去りたいと思いつつ、期限も迫っているので、残業をしてなんとか減らしていたのだが、もしはっきりした期限がなく、これがどんどん溜まっていったら、「積んどく状態」になり、それが習慣化してしまうのだろう。
溜まっていることに慣れてしまうと、もうどうでもよくなって溜まっているのが普通の状態になってしまうのかもしれない。

よくお役所などでは、「積んどく課」などと言われることがあるが、定刻勤務で時間内だけ働いて、その範囲でできる仕事だけをしていたら結局はそうなるだろう。

以前社会保険庁で年金に関する電話応対の仕事をしていたことがある。以前も書いたことがあるが、年金所得からの扶養控除額を計算するために、年金受給者に対して扶養親族申告書というのを送り、記入して送り返してもらうのである。

そこで、よく問い合わせがあるのが、「本人がすでに亡くなっているのにこのはがきが届いた、どうなっているのか?」というものだった。亡くなってすぐならば入れ違いになっている場合もあるのだが、春頃に亡くなっているのにもかかわらずこのはがきが11月ごろに届いて家族が驚いていたりする。

中には、役所に死亡届を出したので、それでいいと思い、最寄の社会保険事務所には届けていなかったという人もいる。そういう場合は、いちいち役所から連絡はいかないから、社会保険のほうでは生きていることになっていて、年金も振り込まれ続けている。そういう人には社会保険事務所のほうにも手続きをするように言い、死後に支払われた年金は返金してもらうことになる。

しかし、中にはちゃんと手続きをしたのに、それが反映されていないというケースがあった。それで、当人の住む地方の社会保険事務所に、社会保険庁から問い合わせてみると、確かに死亡の手続きはされているとのことだった。

しかし、その書類は何ヶ月も積んどかれていたらしい。亡くなった方の家族から手続きは出されていたが事務処理がされていなかったのだ。
本当に「積んどく課」ってのはあるんだな~と思ったりした。

何事も山のようにたまらないうちに手を打っておこう。
皿洗い、掃除、勉強も、溜めずにこまめにやっておくことが大切だ。
コメント