山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

1月末日の心境

2007-01-31 23:28:41 | 未分類過去
このあいだ、1月末のことを書いたけど、きょうは、正真正銘の1月末日だ。
それで、自分で自分の給料計算をして給料請求書(?)を上司に提出してきた。
金額は8万円ちょっと。正月休みがあった割には、なんとか8万を越えた。先週の3日間にわたる2時間ずつの残業があったおかげだ。

政治家のことなんか書いていたら、なんだか気分がどろどろしてきてしまいました。
何か事件があって、それについて語り始めると、人によって感じ方も意見も違うから、事件とは無縁の人たちの人間関係までが悪くなりそうです。だから、政治のこと事件のことなどについて自分の考えを述べることはなかなか勇気がいります。意見を言うからには、反対意見を持つ人からの向かい風にも対抗するというか耐える覚悟が必要です。
けっこうパワーがいるものです。

たまにunknownという人からのコメントをいただくのですが、そのたびに以前のunknownと今度のunknownが同じ人なのか違うひとなのかも皆目わからないし、どんな人かも見当がつかないので、正体の見えない相手はちょっと緊張します。全部が同じ人というわけではないように思えますが、全部違うのかどうかもよくわかりません。

ただ、こういう人は自分の人となりを知らせたくないのであって、しかしながら、意見は述べたい、間違いは指摘したい、情報も提供しようという意志をお持ちなのだと思うので、覆面装束のような方にもあまり警戒心を持たずに応対しようとは思っています。
名を名乗る必要性を感じていないのかもしれず、単に名前を書き込むのを忘れて投稿しちゃったという場合もあるのかもしれません。

次に、ネームがあるひとは、以前と同一の人ってことは判るのですが、用件のみで言葉が短いと普段どういうことを考えているのかわからないし、年齢性別などもわからないので、やはりちょっと戸惑うのです。
しかし、複数のコメントの内容を総合したり、ネームの付け方などから、かろうじてその人の雰囲気などを感じ取ることはできます。だから最低限名前は付けてもらいたいですね。

ご自身のブログアドレスを記入してくださる方は、それを読めばどんな人かよくわかりますね。だいたいは、そのブログを毎日開くようになります。
ブログがない方もありますが、ご自身のことや近況など書いてコメントしてくださる方は、人柄もわかり親しみを感じます。

ま、今思っていることはそんなところです。
明日は放送大学の試験が3科目ありますが、勉強したくないので、こんなことをして油を売っています。

いや、いくらなんでもそろそろ取り掛かろう!
コメント

柳沢大臣の喩えはどこから?

2007-01-31 19:43:00 | 未分類過去
柳沢厚労相が女性を「子供を産む機械」にたとえたことで、問題はどんどん強く大きくなり、この調子だと辞任しなければ収拾がつかなくなりそうな気配になってきた。
私は人が転落するのはあまり好きではない。本人にとったら大変なことだろうなと思う。
政治家などは何度転落しても、平気で返り咲いてくるので、そんな心配はしなくていいのかもしれない。
しかし、私自身は適任じゃないとされて非常勤講師の契約を更新してもらえなかったり、あなたのために迷惑をしていると同僚にどやされてパートをやめたりし、それだけでも気が変になりそうな人間なので、1人の人間が非難の的になっているようすを見るだけでも苦しい。
多くの人間が寄ってたかって人をこき下ろすのは好きじゃない。そして、被害を受けたと言って怒る人が結局は強いんだと思う。柳沢大臣は不当なことをして私腹を肥やしたとか、人を陥れたとかいうことをしているわけではないのに気の毒だななあと思うが、そう思う人は少ないようだ。

それにしても、「女性をなんで機械に喩えたてしまったのかなあ?」というのが本当に疑問なのだ。女性蔑視がどうのとかは置いといても、「いったいどんな機械を連想したんだろうな?」というのが不思議でならない。
なぜならば、ものを生産する機械というのは、だいたい大量に生産するものでしょう。
人間が子供を産むとしたら、どんなに多くたって10人くらいだし、10人産めとは思っていないだろうから、決まった数の妊娠適齢期の女性に頑張って産んでもらうしかないという意味では、今現在平均1人くらいのところを、せいぜい2~3人くらいずつ産んでもらえたらって意味だと思う。
しかし、ひとつの機械が2個や3個の製品しか産み出さないなんてことは普通ありえないわけだ。そんな2~3個のものを製造するために、ひとつの機械が存在するなんて事はありえないだろう。10個だって機械の生産としては少なすぎるだろう。

「たとえば医者の数は決まっている。限られた医者の数しかないのだから、ひとりアタマたくさんの患者をみてくれないとどうにもならない。」などということで、医者を機械に喩えるなら、それも医者に失礼で医療としても問題があるかもしれないが、そのことは置いとくとして、数字の感覚としては納得できる。
「3分間診療で1日100人づつ診察すれば~100人の医師で1か月に~」などということになり、いかにも機械がどんどんと大量に仕事を処理していくという感じがするだろう。

そもそも、子供を産むことを「機械」にたとえることに、数字感覚としてもすごく無理があるような気がするのだ。

しかし、この人が機械を連想したことは確かなんだ。
もしかして、なんか直前に機械について印象的な出来事でもあって、脳裏に何かの機械が焼きついていたのかな?などとも思う。

SF小説でも読んでいたかな?子供を産む女性が少ないことから、ひよこの人工孵化器みたいに人工子宮とかそんな装置でも空想していたのかな?などと思ってしまう。

私は昔、小学校の図工の時間に粘土の焼き物を作る授業があったのであるが、その直前にたまたま読んでいた本に、ハゲ頭のおじさんが登場していた。それが挿絵かなんかに載っていたのだったかもしれないが、その印象がどうにも消えなくて、何か作ろうとしてもそればかりが思い浮かんでしまうのだった。そして結局、ハゲ頭のオジサンの粘土作品を作ってしまった。下が器状になっていてそこが体の部分で、その上に丸いはげ頭が蓋のように載っているというものだった。それを乾燥させた後に焼いたりして何週間もかけて出来上がるわけであるが、日数がたつにつれ、なんでこんなものを作ってしまったのだろうと自分で作ったのにもかかわらず、いやな作品だった。

そのように、柳沢大臣の脳裏に何かの機械がこびりついていたのではなかろうか?
だから、喩えなくてもいいものを機械に喩えてしまったのでは?
いったいどんな機械を連想していたのかな?というのがやはり知りたいところだ。
コメント (2)

装置としての人間

2007-01-31 00:38:13 | 未分類過去
私は、人間を機械にたとえることには、あまり抵抗はないほうかもしれない。
実際、以前にもこのブログに自分を「性能の悪い機械だ」と書いた記憶がある。
(2005.10.14「個人の性能」)
作業効率(稼働率)が悪い。あまり働かない、ちょっと頑張るとすぐに疲れて寝てしまう。耐久力がない。だからいい機械じゃない。
いい機械だったら、会社に行って仕事もするし、おいしい料理も作るし、毎日掃除もするし、勉強もよくするだろう。
あっ、そうだ、ブログを書く機械だとすればすごくよく動く機械かもしれない。
人間の脳とコンピューターの作りはどこか似ているかもしれない。
脳は言葉を編集する機械である。私の頭は記憶蓄積編集再生装置かもしれない。

私は子供を産む機械でもあった。
子供を産むまでの段階で機械としてまず困ることは、「つわり」だ。「つわり」は子供を出産する装置を作動させるとよく起きるものだ。そのせいで、吐き気がして仕事ができなくなってしまう。
子供を生産するためには必要があって起きている「つわり」かもしれないが、仕事をする装置でもある女性にとっては仕事をやめなければならない事態にもなってしまう。
その後、どんなに順調に進んだところで、出産前後はしばらくは仕事を休まなければならない。
働く装置と産む装置を同時に作動するのはなかなか大変なことである。この二つを併用して、何の支障もなく性能よく作動する機械はそうたくさんはないだろう。
時にはスイッチを切ってエンジンを休息させるとか、いろいろとメンテナンスが必要である。
子供を産む機械としては、安産の人、難産の人、妊娠中毒症になりがちな人、出産時のいきみで痔になる人、母乳が出る人、出ない人、子育てのうまい人、下手な人、等等、妊娠中から出産後、そして育児に至るまで、それは様々な状況である。
当然産むだけで終わるわけではなく、女性は子どもを育てる性能の良い機械にもならなければならず、養育のためにお金を稼ぐ機械にもならなくてはならない場合も多く、上の子を育てながら、仕事をしながら、さらにまた下の子供を産む装置を働かせるなどして、いくつもの作業を同時に作動させるような複雑な制御装置も必要となってくるだろう。

このような過酷な働きを要求されている機械に対して、そのものが持つ「産む」という装置のみを取り上げて問題にすることは無意味だといえる。
それは機械の取り扱いを知らないということだ。どうやったらこの機械が産む機能を充分に作動させることができるのか、環境を考えて、補助装置などを設置することも必要であろう。

さらには、これらの機械が、子供を産み育てる楽しみやその存在価値を感じることができないなら、だれも生産しようとは思わないだろう。

生産したことによって苦しみが強くなったり、その生産された子供自身が夢も希望ももつことのできなさそうな世の中だったら、機械は何を生産しても生産しがいがない。

生産者は自分が生産したものが、世の中で愛され、活躍していくことを何よりも願っている。


・・・・・・・・・・・・・・・

女性のもつ「産む装置」のみに焦点をあててしまったのは、柳沢大臣の大きなミスだったと思います。
しかし、「産む装置」を女性が持っていることは確かです。
子供を産まない、生みたくない人が多い最近の世の中では、私は子供をたくさん産める体質の人や産める環境にある人が、2人とは言わず5人くらい産むのもありかなと思っています。
仕事をしたい人は仕事をして、子供が好きな人は産まない人の分くらいよけいに子供を産むというのでもいいのかもしれません。
でも、実際には産みたいのに産めない環境というのが原因していることも多いと思うので、社会環境を改善しなければいけないと思います

コメント