山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

rice・音楽・車

2018-09-21 15:27:14 | 音楽
車の中に、櫻井有紀さんが歌っている曲を保存してあるので、運転中に聴くことが多い。
1人で運転しているときにはだいたい聴いている。

アルバムは、riceの「genesis」と「零ーしずくー」で、以前はそればかり聴いていたけれど、いい加減飽きてきた。そこで、最近、Raphaelの「Never」(2016再収録)を録音して聴くようになった。

そうやって比較してみると、ラファエルの曲はさすがに原曲が作られた時代が古いということもあり、中には「おどろおどろしい」ようなイメージのものもある。時代もあるのかな?インパクトは強いが、灰汁も強いものがある。
もちろん、すごく素敵な曲や明るい曲もあるし、様々な要素について、華月さんの才能はすごかったと思う。

だが、全体的にriceになってからの曲のほうが、「さわやか」なのではないかなと思う。
ドライブにはriceの曲のほうがいいかもしれないなあと感じたりする。

まあ、ライブのステージで感銘を受けたりするものと、軽快に車を走らせたりするものとは自ずと違うものであり、ドライブであればむしろ櫻井有紀さんではなく、もっと別のボーカルで、無機質な感じのものでもいいし、さらっと流れるばかりの歌でもよいのかもしれない。

でも、私はどうしても「櫻井有紀さんの声」でなくては聴き続けられないので、そればかり聴いているのだ。

車を駐車場に止めても、すぐに降りることができないのは、歌が一曲終わっていないからで、区切りがつくまでは聴き終えてから降りる。

今日は、ラファエルの「夢より素敵な」が流れていたので、それが終わるまでは車から降りなかった。
この歌はいい歌だなあ・・・。

自然を大切にしよう。身近な人を大切にしよう。最近そう思うけど、そんな気持にもマッチするような曲だ。

ディーラーに行って車の部品を交換してきたけど、以前にやった作業について追加対応していただき、誠意のあるサービスをしていただけて嬉しかった。

そんな満足感もあって「夢より素敵な」がますます素敵に感じられて、しばし聴き入ってから下車した。

riceは、今新しいアルバムを作っている最中だ。

なんか、かっこいい曲もありそうだし、激しい曲もあるみたいだし、楽しみである。

年内で無期限活動休止になっちゃうのだけど、なんかもったいないなあ。

できたアルバムひっさげて活動継続したらいいのになあ。。。

でも、新しいCDができることは確かなんだから、カーオーディオに録音してドライブするのは楽しみだなあ。




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安倍VS石破

2018-09-21 09:25:08 | 日記2018
いつのまにか総裁選が終わっていた。結果は世間の予想通りか。
私が、そんなに関心がないのは、あまりにも安倍さんにうんざりしているし、石破さんに勝ち目がなかったこと。

石破さんは正しい事を言っている。安倍さんはきれい事を言ってごまかしている。
安倍さんの政治のかじ取りは間違っている部分がある。
だが、安倍さん圧倒的優勢。

私たち庶民が、応援しようが見守ろうが意見を言おうが、そういうことが、この総裁選になんら影響を与えるわけではないから、国民は、単なる傍観者である。

安倍さんを支持しているのは、自民党の国会議員であって、国民ではない。

安倍さん本人が悪いんじゃない。安倍さんは自分の信念で生きているだけ。重責を担っている。

自民党の国会議員たち大部分が、安倍さんを担ぎあげているのがいけない。
安倍一強がいけない。

1人の人間や、1つのグループが、長年続けて大きな権力を握り過ぎるとろくなことはない。

それは、「パワハラ」や「忖度」などが生まれる温床だ。

この時期に、かろうじて石破さんという人がいて、それを応援する自民党の人たちがいるのは貴重なことである。

だが、その勢力は弱すぎる。

安倍が強すぎる。

この構造はよくない。

つまり、リーダーとなる人間の人材が無いってことか。
国の代表と成れるような人間が、今この時点で、安倍さんくらいしかいないってことだ。
石破さんが成ったとして、それに協力する人たちが少ないと、うまく事が進まないだろう。

安倍さんが良いというより、国際関係上も安倍さんが続けるしかなかろう。→ しかたなく、安倍。

それに、各国の代表とて、変な人間ばかりだし・・・
トランプ プーチン 金正恩 習近平 
こういう人がなんで圧倒的な権力を握っているのか。
それでも、楽して生きてるわけではなく、重責を負っているんだから、国家の代表として尊重しなくてはいけないものなのだろう。

何が正しいかなんて、人間にはわからないし、ましてや人間以外の何にわかるわけでもなく、もし神がわかっていたとしても、神も色々あるんだから、政治も宗教も混沌としていて、自分たちの行き先もわからない。

地球の未来もわからない。

何を書いているのかわからなくなったので、終わりにする。




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人生フルーツ

2018-09-21 00:26:17 | テレビドラマ・映画
「人生フルーツ」という映画を、数週間前に見た。

その時、人間の生き方として、こういうのがいいなあと思ったので、そのことについてぜひとも書いておきたいと思ったのだけど、なかなかうまく書くことができず、頓挫したままだった。

この映画は、「モリの居る場所」に似ていた。
上映していたのは阿佐ヶ谷のユジクという小さな映画館だったが、この映画館は、1日に、似たような映画を並べて上映するような気がする。
そのため、この日も、午前中は「モリのいる場所」を上映し、昼に「人生フルーツ」を上映していた。午後は何だったかわからない。

「モリのいる場所」は、画家熊谷守一の晩年の様子を描いたものであり、その妻役を樹木希林さんが演じていた。
そして、「人生フルーツ」は、建築家津端修一老夫妻の生活のドキュメンタリーであり、数年にわたる取材の中で津端氏の永眠にも遭遇し、その直後の様子や、残された妻の生活も映されているが、このナレーションが樹木希林さんなのだった。

この二つの映画の夫婦の暮らし方には共通点があり、自分の家の敷地を自然のままにして、今時の都会世間から離れて、そこで自然に生きている。

物欲や名誉欲などから解放されている。

人間は、自然の中の一部だと感じさせられる。それがあるべき姿なのではなかろうか。

津端修一という建築家は、戦後の高度成長の時代に、人々が暮らす家を建築すべく、大規模な公団住宅などを手掛けてきた。
山を切り開いて宅地造成などし、そこに鉄筋コンクリートの建物を建てて街を作る。
その場合、彼は、山の形を残し、樹木残して、その中で住居を作りたかったが、結果としては、山を完全に壊して林も伐採し、あとかたもなくして、そこにマッチ箱のような高層の共同住宅をぎっしりと建てるというものに変更されてしまうのだった。

台湾での住宅建築も手掛けるが、建物と建物の間隔が、狭まっていて、当初の彼の設計とは違う街ができてしまったりするのである。

そういう現実に絶望し、自分の家だけは自然に囲まれた環境とし、その後は大規模住宅の仕事にはかかわらなくなったそうだ。自宅敷地の畑や樹木からとれた作物を食べて自給自足のような生活をしている。

最後に、精神病院のようなところから、津端氏に設計の依頼があり、それに答える。神経を病む人は、自然に癒されるから、樹木に囲まれた木造の家が良い。

私が、津端修一に興味を持ったのは、阿佐ヶ谷住宅の建設に携わっていたということがあった。
何年か前、たまたま通りかかったところが、阿佐ヶ谷住宅だったのだが、まるでおとぎ話のような家なのだ。

それは公営住宅でありながら、各家に広い庭がありその庭にはブランコなどがついているのである。
果樹が植わっている家もあるし、きれいな生垣の家もあった。
そういう家が何件もある1つの街並になっているのだが、とてものどかなのである。

阿佐ヶ谷ユジクで「人生フルーツ」が上映されるのは、阿佐ヶ谷住宅とのつながりもあるような気がした。

私が通りかかったときは、その阿佐ヶ谷住宅が、ちょうど壊されるという頃で、多くが空き家になっていたようだ。そのあとに高層の大きなマンションが何棟も建てられた。そうなると、どれだけ多くの戸数ができたんだろうか。

戦後まもなく建てられた公営住宅というのは、木造庭付きのものが多かったかもしれない。
今でも、土地さえあれば、高層住宅なんか要らないはずだ。

本来、住宅はせいぜい2階建てでいいと思う。人々は都会に集まらず日本全国に散らばったほうがいい。
(これは私の考え。といいながら東京でコンクリートの家に住んでいる。)

鉄筋コンクリートの中層住宅でも、今は環境共生型の街づくりなどを目指しているものもあるが、なかなか全国的に普及するものではない。

ところで、樹木希林さんは、出演していた映画などから考えると、人が自然の一部だって思っていた人だと思うし、この地球に生まれて、死んで行くことって生物として自然なことなんだって思っていたと思う。

富や名声なんてどうでもいいことで、大切なのは、自然界の一部として、一日一日を丁寧に生きていくことであり、人と人とのつながりや、特に身近な家族とすごす時間を大切にすることだ。

樹木希林さん出演映画では「万引き家族」・「日々是好日」も見てみたい。

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