山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

旭日旗について

2019-09-28 18:05:59 | 日記2019

私の感覚では、旭日旗は「日本の軍国主義の象徴」である。

子供のころからそう感じて育ってきた。

加害者が日本で、被害者が中国・韓国というのとは別に、日本の軍隊が加害者で、日本国民(庶民)が軍国主義の被害者だったと思っている。

だから、オリンピックの会場に旭日旗を持ち込んでもらいたくはない。

なぜ普通の白地に赤い丸の日章旗ではいけないのかと思う。

わざわざ旭日旗を使う必要はなかろう。

旭日旗について調べてみると、実は、太平洋戦争なんかよりずっと以前の江戸時代に、船の旗として使われていたものだそうで、軍国主義になって作った旗ではないのだそうだ。

それを知ってからは、旭日旗についてのいやなイメージが少し和らいだが、やっぱりあれは軍国主義を連想させるものであって、日本人でさえそうなんだから、韓国や中国の人は嫌に違い無いと思う。

一方、パラリンピックのメダルのデザインについては、あれは旭日旗ではなく、あきらかに扇子であるので、関係ない。

また、朝日新聞社のマークが旭日旗に似てるとしても、朝日新聞は日本軍とは関係ないし、朝日という太陽がそういう形状のものなのだから、それはそれで、問題はないと思う。

とにかく、オリンピックの会場で日本を応援するのに旭日旗なんか振り回さないで、穏やかに白地の赤マルの「日の丸」国旗を使えばよいではないか。

わざわざ軍の旗なんか使うんじゃないよ!!!

最近、日本国民の感覚は変わってきている。それは、戦争を知らない人々が大部分を占めているからである。

だから、旭日旗に対する悪いイメージが、もともと無い人が多いのだろう。

それで、単にかっこいいデザインだと思うことができるのかもしれない。

普通の日の丸よりも強そうな感じがするのだろう。

私はもうすぐ60歳になるが、私の親世代は戦争を知っている世代である。

そして、親から戦争の悲惨さや不条理を聞かされて育ったから、それを連想させる軍旗である旭日旗なんか大嫌いである。

父の兄は、旭日旗のもとに南方に出征し、戦士して、骨壷の中の石ころになって戻ってきたそうだ。

いや、つまり戻ってこない。ボルネオあたりの土になってしまった。無駄死だ。

旭日旗は、日本人にもそういうことを連想させるものだ。

特攻隊や人間魚雷もそうである。

旭日旗を極端に嫌う韓国や中国の人が参加するオリンピックやスポーツの試合に、わざわざ持ち込むことはなかろう。

・・・

ああ、ただ日本は自由な国なので、旭日旗を禁止するということはできないと思う。

旭日旗を使いたい人の自由があるってことなんだろう。

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補欠的存在

2019-09-28 17:11:12 | 音楽

子供のころからのピアノのことを書いていたのに、次第に別の記憶がよみがえってきてしまった。

最近の私のブログを読めば、姉とピアノと私の関係性がわかると思うのだが、結局のところ、実家では姉に対してかなりの投資をしているのである。

そして、家を増築し、ピアノのレッスン室をつくり、ピアノを教えるための設備や体裁を整えたのであった。

姉は長女で、我が家は女2人の子供だったので、姉が婿養子をもらって実家に住むということを想定していた。

私は外に出ていけばよいだけの話だった。

だから、私は一日も早く家を出ていきたいと思って高校生活を送り、東京のアパートに下宿して、短大卒業後も東京で就職したのである。

だが、姉の結婚相手はなかなか決まらなかった。お見合いのようなことをしたが、実家の地元には姉の気に入るような男性はいなかったので、次第に年齢が上がっていった。

昔は女性はクリスマスケーキだったので、24歳を超え、25歳になるとかなりの年増になってしまった。

それ以前にも付き合っていた男性などがいたが、日本の遠いところだったので、父が反対しておじゃんになったこともある。

そうして、ついに婿をもらうという条件は取っ払うしかなくなり、姉は自分で相手を見つけて結婚するにいたったのだ。

その相手は、遠い所に住んでいたので、結局ピアノ教室を閉めて姉は引っ越していった。

転勤族だし、子育てもあってピアノの仕事はしばらくできない状況になった。

・・・

姉の結婚後、急に今度は私に戻ってくるようにと実家の父が働きかけてきた。

私は就職した年で、研修を終えてやっと仕事を覚えてきたようなタイミングだったので、ここで退職するなんて職場に対しても申し訳ないと思った。

その年は、ちょうど実家の自治体で市役所の採用試験があった。その前年は採用もなかったし、故郷で就職する気もなかったのだ。

父は、なんとしても私に市役所の採用試験を受けさせようとして、履歴書に下書きまでして送ってきた。

私の履歴を父親が下書きするなんて、本当に信じられない。

しかし、私は実家に帰る気はないのだ。

そうやって、実家は姉のいないレッスン室とグランドピアノだけが残っていて、帰省したときだけ弾くようなことがずっと続いていた。

・・・

このようなレッスン室は、ただ、だだっ広いので、普通に住むには不便な部屋である。

姉がそこでピアノを教えたのは5~6年のことだ。

たったそれだけのために、きっと莫大な出費をしたはずだ。

その後、私が短大に入るにもお金がかかるから大変だったとは思うが、姉を短大に行かせたのに、私を行かせないわけにはいかなかったと思う。

だが、受験料ももったいないし、できれば落ちてくれと親は願っているのだった。

だから、第一志望と滑りとめだけしか受けさせてくれなかったし、とにかく受験をさせてくれるかくれないかで毎日もめていたので、勉強どころではなかった。

親が子供の受験が落ちるように願っているって珍しいと思う。

それに、音楽のほうに進めば手に職が付けられるけど、国文科なんか何にもならないと言っていた。

・・・

親はとにかく長女に期待をかけていたのだと思う。

そして、確かに5~6年は、ピアノ教師になった娘と同居して幸せに暮らしていたのであろう。

私はその頃には東京の風呂のない4畳半のアパートで1人暮らしをしていたので、関係ないのだ。

・・・

だから、私はピアノ自体は好きだけど、過去の記憶がよみがえると。複雑な気分になることも確かである。

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絶対音感のない私

2019-09-28 12:23:46 | 音楽

姉には絶対音感があるが、私にはない。

相対音感はややある。メロディーを聴いて鍵盤で再現して弾くことはできるが、ドレミで歌えと言われると難しい場合もある。

コーリューブンゲンやコンコーネはやったことがある。

そういえば、イタリア歌曲なども歌わされた。

姉は音楽短大のピアノ専攻だが、バイオリンや声楽もやっていた。

教職もとっていて、中学の音楽教員試験に受かっている。

それで、妹の私をダシにして、歌ってみろだのなんだのとコキつかっていたのだ。

コンコーネは、姉が歌うときには、伴奏もやらされた。

なんでこんなこと色々思いだすかというと、すべてはユーチューブでフォルテ君の動画を見ているからだ。

そこでは、絶対音感の話や声楽の話等もでてくるのだ。

ピアニストでも絶対音感がない人もいる。

絶対音感のある人は、何の音でも音程がわかってしまう。

電話のベルとか、コップのふちを箸でたたいた音まで、音程で聴こえるそうだ。

姉は吹奏楽はいやだという。なんかドの音がハ長調のドではないらしい。

私は吹奏楽でクラリネットをやっていて、ドはB♭らしいけど、まるで違いはわからない。

姉はその上に、部活動の下手な吹奏楽演奏なんかは、音が狂っていて耐えられないのだそうである。

絶対音感も敏感すぎて、逆に不自由なものだなと思う。

それに、絶対音感のある人は、絶対音感のない人間には音楽の才能がないというような態度をとるのが鼻につく。

「え~~っ?この音が何の音なのかわからないの?ほんとに?信じられない。へえ~~~」

とか、驚くのはやめてもらいたい。

・・・

兄弟や姉妹で同じものを習うことについての問題が提起されている。

スポーツにしろ音楽にしろ、絶対に差があるからだ。

どちらかのほうが優れているに決まっているからだ。

私の同級生には、私と同じ年齢のお姉さんがいる人がいる。

両方とも同じ構成であり、姉たちはそれぞれにピアノをやっていて、りょうほうとも姉たちは音楽短大に進学した。

だが、妹はやっていない。私は中途半端にやっていたが、同級生のほうは弾いているのをみたこともない。

その人の姉は、私の姉よりもずっと熱心にピアノを習っていて、ピアノ科ももっと有名な短大に進学したのであるが、妹は英文科かなんかである。

やっぱり、妹は姉に圧倒されてしまうよね。

・・・・

今思いだしても、ピアノも楽譜もレコードも全部姉のものであるわけで、それをこっそり利用するって感じなんだ。

何をやっても年上の姉を超えるわけがないし、長女や長男はお手本がいないから自分で道を切り開くのも大変だろうけど、次女や次男、さらにはその下は、上のまねをするのか、独自の道を切り開くのか難しいところ。

服などもお下がりばかりで、そもそも姉に似合う服を買ってたわけなので、妹が着たら似合わないでしょう。

妹本人に似合う服や靴を買ったら、またイメージも違うものになるだろう。

今は、メルカリがあるので、姉妹で同じ服を着せることなく、どんどん売ったり買ったりするみたいだ。

実家にいるときは、ずっと姉と妹として比較されて育ってきた。

結婚してから、そういう比較がされなくなり、どれだけ生きやすくなったことか。

ずいぶんと、のびのびとした性格になったと思う。

それにしても、だからって一人っ子が良いわけではなくて、兄弟姉妹がいたことは良いことだったと思うよ。

音楽に対して姉と私の違いは、絶対音感とか技術の問題ではない。

私は、音楽を教える人になることは全く考えられないのだ。

人に物を教えるなんて嫌いだし、特に子供がきらいなので、音楽教室の先生とかありえないでしょう。

ピアニストになんかなるわけないんだし、そこそこの腕だったら、音楽教室やピアノ教室しか、音楽の道で食べる方法はないでしょう。

あとは、楽器店に勤めるくらいかな?

調律師ってのも考えたことはある。 調律師は絶対音感がなくてもできるそうだ。でも、そんなに楽しそうでもない。

要するに、私は音楽で食べていく気もないし、能力もないから、音大に進学する意味なんかなかった。

 

 

 

 

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LPのプリエコー

2019-09-28 11:59:20 | 音楽

前記事で書いたレコードをかけたときに、かすかに音がずれて流れるという現象についてだが、私は針が壊れたのだとつい先ほどまで思っていたのだった。

しかし、はてよ?と思った。

壊したつもりはないし、その後も姉が私に壊しただろうと怒ってきたこともなく、そのまま誰も何も言わないまま年月が過ぎているのだ。

そこで、今時は便利なもので、ネットで検索してみると・・・

あったあった。

LPレコードの「プリエコー」という現象だそうだ。

これは、アナログのLPレコードで起きることである。

http://www38.tok2.com/home/shigaarch/OldBBS/57preecho.htm

LPのかけ始めや曲間の本来無音の所に、直後に始まる本来の音がかすかに聴こえる現象をプリエコーという。普通は隣の溝の影響によると考えられているが、それ以前にマスターテープの段階で磁気転写として入っているんではないかというBMさんの投稿に始まる。私自身はすでにLPレコードは使っておらず、仮に原因がはっきりしたとしてもどうなるものでもないのでそれほど興味をそそる話題でないがずいぶん活発な議論が戦わされた。中には貴重な情報もあるので採録しておく。ただし、あまりに長いので本筋からはずれた議論は省略してある。

というように記載されている。

他にも色々とプリエコーについて記載されているサイトがあり、これがLPレコードでは、ありふれた現象であることを初めて知った。

ああ、私はてっきり針が壊れたのだと思っていたよ。

めでたしめでたし。

(それにしても、最近はユーチューブでピアノ曲を聴いているうちに、昔の記憶がわき出てきて困るくらいである。)

 

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ステレオに神経をすり減らす

2019-09-28 08:48:48 | 音楽

これは、また過去の記憶である。

我が家には、クラシック大全集というようなレコードがあり、ステレオもあった。

昔のビクターのステレオは、頭を斜めに傾けた陶器の白い犬の置物が付いたやつである。

木目で家具調となっている。回転板やアンプなどが一体になっている。録音はできない。ただレコードをかけて音が出るだけ。あとはラジオがついているくらい。

そんなものがあるが、このレコードを聴くのには、かなり神経を使った。

姉からステレオの使い方は教わったが、とにかく丁寧に扱えとのことである。

レコードを傷つけてはならないのは当たり前だが、埃なども慎重に除去しないといけない。

それには、専用のスプレーをかけて、専用の物でレコード表面をぬぐい、細心の注意を払いながら回転板の上に載せる。

それから、針もマニキュアみたいな形の液のついた刷毛で拭ってほこりなどを除去しなくてはならないのだ。

・・・

そうやって神経をすり減らしながらレコードを聴いていたわけだけれど、あるとき、本当の音のほかに、わずかな時間でずれて、同じ小さな音が出ていることに気付いた。

いったいどうしたことだろうか?

良く見ると、針の先がわずかに割れているようだった。

音は本当にかすかに聞こえるだけだし、私が壊したのではないと思うので、知らぬ顔をしていた。

・・・

そんなわけで、レコードというのは次々に聴いてみるなんてことができないくらい神経を使うデリケートなものだった。

ステレオとは別に、カセットテープに録音する金属製のデッキが用意されており、それとステレオをつないでテープに録音することはできたが、次々にカセットに録音しておくという時代でもなかった。

それで、東京で1人暮らしをするときに、数曲を選んでテープに録音して持ってきてのだと思う。

・・・

こんなことを書いていると、知らないで読んでいる人は、いつの時代の話かという疑問が出るはずだ。

私が高校を卒業したのは1970年代後半。はるか昔の話。

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さらにピアノに関する記憶

2019-09-28 08:06:43 | 音楽

私は小1頃、小4頃、中1頃、高1の頃にそれぞれ別の先生からピアノを習い、それらの間には空白がある。

最初の3人の先生はどれも学校の音楽の先生で、土曜の午後か日曜日にピアノを副業として教えてくれた。

いくらかの月謝を払って通っていた。

宿題を出され、弾けるようになると丸をもらって次に進むというやり方だった。

 

高校になって習い始めた先生は、ピアノの個人レッスンを専門にしている若い先生だった。

東京の音楽短大を出て、それから専攻科というのも出ているらしい。昔は女性は短大が多かった。

個人のリサイタルも地元で開いたことがあるが、本番に弱く、ミスが多かったという話を聞いたことがある。

私は行ったことがない。

先生は、レッスン専門の家を借りており、自宅からそこに通ってきていて、そこにはグランドピアノが置いてあった。

 

その先生は、過去の先生たちに比べるとかなり厳しかった。

ちゃんと練習をしていかないと、5分で帰らされてしまう。

ハノンで徹底的に指の動きの練習をさせられた。

そして、ブルグミュラーまで戻ってやり直しをさせられた。

思えば、小学生の時からずっとソナチネあたりにとどまっていたことになる。

そして、やっとソナチネが終わりソナタを弾き始めた程度でやめた。

湯山昭とか、あんまり好きではない曲もやらされた。

月謝はかなり高かった。

 

私は発表会には一度も出たことがない。

私はレッスンで先生から演奏を褒められたことはほとんどない。

特にモーツアルトの感性がないと言われた。姉にはあるのに何でないのかとあきれられた。

唯一、ハイドンは良いと言われた。

姉妹だって個性は違う。 そんなわけで、私はモーツアルトコンプレックスになった。

モーツアルト恐怖症だ。

自分が弾く場合、ハイドンとベートーベンのソナタだと安心する。

しかし、今、ユーチューブで聴くと、これらもとても難しい曲想だと思う。

 

昔はほとんど原曲(お手本となる演奏)を聴いたことがなかった。

今になって自分が昔弾いていた曲はこんな曲だったのか、ここはこのような感性で弾くところなのか、と初めて知ったりする。

それで、発表会の話だけど、中学までの先生は学校の教師だから発表会なんかやらないので、完成させた曲を人前で演奏して披露するということは一度もしたことがなかった。

そして、高校の時に習っていた先生は毎年発表会を開いていたので、それに出るかどうかと聴かれた。

私は、基礎から戻ってやり直しをしていたので、小学生と同じ程度のレベルの曲を弾いていたし、日ごろの先生からの低評価の言動でまるで自信がなかった。

年上なのに、低レベルの曲を弾く人などが発表会にはたまに出場するけど、そういう存在にはなりたくない。

小さい子からレベル順に並べられて、最後に一番上手な人が弾くのが発表会だが、私はどこに入れられるんだろうと思う。

だから、発表会には出ないと返事をした。

発表会に出ない人は、先生の教え方もそれなりのものになる。

・・・

ピアノの発表会について。

私の住んでいた街には発表会を開く先生は3人しかいなかった。

子供のころから、その中の先生のピアノの発表会を鑑賞しに行ったことがある。

女の子はみんなきれいなワンピースなどを着て、髪の毛もきれいに整えてステージに上がる。

ああいう人たちとは、自分は世界が違うと感じる。

・・・・

今思うと、一度はそんな体験もしてみたかったと思う。

老後にピアノを習う人もいて、発表会で演奏する人もいる。

しかし、やっぱり下手な姿をさらすのはいやだなと思う。

 

 

 

 

 

 

 

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