今回の台風を振り返る。
台風が東京に直撃したのは、日曜日の夜から月曜の朝にかけて。
一番激しかったのは、深夜だったから、あまり外の様子もみないで夜が明けた。
朝は、まだ風雨が激しく、そのうちに雨がやんだ。JRなどの地上の電車は朝8時までは運休ということだった。
うちの夫は7時半ころに出勤しなければならないので、私が車で送っていったが、街路樹のある道路は木の葉や枝がたくさん落ちていて、それを踏んで走るしかなかった。交差点の曲がり角では、排水口にゴミや葉っぱがたまってしまって水が流れないので大きな水たまりができているところも何箇所かあり、中にはお巡りさんが竹ぼうきで排水口の上のゴミをどかしたりしていた。
8時ころ電車が動きだしたところに、通勤の人たちが殺到したので、大変な混みようになり、長蛇の列になった。
東京人は、そんな交通の混乱に対して一番関心があって、テレビのニュースでも都内や都内近郊の駅の混雑のすさまじさばかりを放送していた。
その後になって、成田空港から電車の路線が全部止まっていて、高速道路も閉鎖され、着陸した飛行機の人々が空港から脱出できなくなり大変なことになっているというニュースが流れた。それは月曜の夜から翌日のことか。
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月曜日の朝は、出勤後の仕事前に、静岡県の実家の母に電話をかけて無事だったかどうか聞いてみた。
静岡県東部では、日曜日の夜・夜中が激しかったからだ。母から簡単に「何事もなかった」という返事を聞いて安心して、早々に電話を切ったのだ。
その日、姉から、「母に電話がつながらない」というラインが入っていたが、母が単に電話から離れたところにいたのだろうと思い、「朝元気だった、台風は大丈夫だそうだ」と姉に返事をした。
母は確かに元気ではあったのだが、電話がつながらないというのは、母が出ないのではなく、本当に電話が通じない状況になっていたことを、あとになって知るに至る。
私は母と、見守り携帯で話していたのだったが、姉は家電にかけていた。
で、結局のところ、静岡県の実家地域では、台風通過時から停電が断続的に起こり、実家の電気は翌日には点いていたが、電話線は長期にわたり不通になっていたのだった。
そして、実家では水道も無事だったが、数百m離れた地域では断水になっていたそうだ。
それから、月曜日も電車が止まったままだったというのを、あとになって知ったのである。再開したのは火曜日らしい。
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東京の電車が月曜の朝まで止まっていて大変だった、なんて思っていたらとんでもない。
実家では翌日もずっと電車が動かない。
停電で近所のスーパーも開店できない。
実家の周囲の近隣建物からトタンがはがれ、ものすごい音をたてて路上を舞っていった。
その他さまざまなものが、あっちこっちの家からとんでもないところに吹き飛んで移動している。
木が根こそぎ倒れた。 倒れた木が水路をふさいだので水が氾濫し田畑が洪水になり復旧の見通しなし。
海辺の家の屋根や壁が壊れた。
等等、さまざまな事が起こっていたのだ。
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千葉では、鉄塔が倒れる、電信柱が倒れる、電気が止まる。
水が止まる。
屋根が壊れる。
冷房使えない。飲料水ない。電気がつかない。食料も買えない。電話も通じない。
テレビでは、おばあさんが公民館のようなところに救援物資を取りに来たが、すでに配り終えてなくなっていた。
防災無線で放送していたが、何を言っているのか聴こえず、そのおばあさんは、近所の人に教わって駆け付けたがすでに遅かったそうである。
実は、うちの実家も防災無線が何を言っているのかわからない。
母はスマホや携帯を思っていない。
もし公民館で水や食料を配っていても、年寄りがそこまで歩いて取りに行くのは不可能。
もし、実家でそういう状況が起きたら、いったい母に何ができるのか。
要支援でも要介護でもないのだから、誰も助けにきてくれないだろう。
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それで、実家自治体の防災メールを、私のスマホで受信するようにして、母には私から見守り携帯で内容を知らせるようにすることにした。
だが、年寄りを1人で暮らさせるのは問題だ。
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千葉は復旧が遅れて深刻な状況である。
一番対処しないといけないけど、今後もどこに台風がやってくるかわからないし、他人ごとではない。