今、日本は、高齢者の割合が増えて介護の問題が大きくなってきている。
私も2人姉妹なので、2人で分担するか、どちらかが主になって親の介護をしないといけない状況になってきた。
そんな中でふと思うことは、実家の母自体、親の介護をしていないじゃないか、ということである。
母は8人兄弟姉妹である。長男が家を継いだから、実家の親は、母の兄とその妻が見てくれたわけだ。
母なんかは、自分の親の介護を、全部その人たちに丸投げだった。
また、父のほうも13人兄弟だかなので、やはり後継ぎの1人が親の老後をみたので、私の父母は何もしていない。
子供が多い時代の人はそんな感じだ。
(今と違って、家や財産の平等分与などはなく、後継ぎがすべてを継いだ。)
数人に1人が親の老後をみることになる。
しかし、これから一人っ子の多い時代になると、結婚相手も一人っ子だったら、両方の親をみることになるだろう。
そういう私も、夫の兄が若くして亡くなってしまったこともあり、母を同一世帯にしていたから、義親の老後を看た(←この字をつかうのか)ことになる。(義母は特別養護老人ホームでお世話になっていたが、もう亡くなってしまった。義父はずっと以前に他界。)
今後の少子化では、すべての人が親の老後を看ることになるのか?
子供のいない人もたくさんいるので、社会で老後を看ることになるのかな。
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実家の母は自由に生きてきたよなと思うことはある。
うちは、本家じゃないが、海水浴などに親戚がたくさん押しかけて遊びにきて、対応に苦労したということはきくが、本家の嫁さんに比べたら楽だろう。
子供の世話などを親に頼ることなどはできず、誰にも頼らないで家庭を築いてきたことになるが、まあ、それは私も同じである。
実家の母は、私に父の墓参りに行かないのか?などと要求してくることがあるが、だいたい母自体、自分の親の墓参りにはほとんど行っていない。
母は昔から、自分の親の墓参りに行く習慣などはないし、今だに実家の墓がどこにあるのか道順がわからず、自分では行けないらしい。
要するに後継ぎに丸投げだから、長男家族が全部やってくれているし、母の実家の近所に住む他の兄弟姉妹もいることなので、母自身が何かをしなければならないという自覚は何もないのだと思う。
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最近母は足の具合が悪いから、父のお墓のあるお寺に関係することは私がお金を届けたりするようになった。
同じお寺に夫の方の墓もあるので、一石二鳥だが、この場合、実家墓について、姉は私に丸投げしている。
実家に長男も婿養子もいない限り、結局は嫁いだ娘の誰かが後継ぎと同じことをする必要がある。
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そして、たとえば、親の介護などをする場合に、本当に分担ということができるものなのか?というのが疑問になってきた。
できれば、平等に分担できれば、それぞれの負担も減ると思うが、やはり誰かが主にならないとできない性質のものではないか?
たとえば、子が交代で訪問するとすれば、親の様子をみて、一方は病院にかかった方が良いといい、一方はその必要はないと言ったりする。
誰かが主になって同居していないと、年寄りの日常の様子は把握できないので、結局中途半端になる。
分担するとそれぞれが「点」あるいは「断線」状態で親の状況を把握することになるわけで、誰か1人が責任を持って親を看れば継続した線で看ることができる。
しかし、それも大変だ。
2人子供がいたならば、それぞれに協力し合い、交互だったり、時には2人一緒とか、また時にはヘルパーさんなどの協力も得ながら、という方法がいいのかな。
高齢者本人が、できれば人を頼らず自立するっていう意識も必要だと思うけど、どうしたって無理をしてる、限界だということは現状あるはずだ。
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うちの母は、気丈なほうだから何でも自分でやろうとするタイプである。
しかし、それにも限界がある。
母は、自分でも自分が年寄りの介護をしたことがないことを認めている。
だから、今の自分のような90歳近い老人を見たことがないんだそうだ。
もし見ていれば、立ち上がるのが大変だとか、杖がないと足がよろめくとか、そういう状態がわかっていたはずだけど、我が身で起こって初めて年寄りの身体とはこういうものなんだと知ったのだそうだ。
私も祖母の年老いた姿は見たことはなかったが、今の母を見ているので、年寄りはこうなんだと思うし、自分の将来の姿だなとも思う。
それも、そんなに遠くない姿だ。
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何を書いてるのかわからなくなってきたけど・・・
子供がたくさんいれば、親の老後にかかわらない人が多いのは当たり前で、子供が1人なら、みんなが親の老後を目にする。
そして、子供の多少・有無にかかわらず、だれもが自分の老後に立ち向かわなくてはならない。
その時、親の老後を看たことのある人のほうが、自分の老後に備えることができるかもしれない。