今朝は変な夢の変なところで目が覚めて、そのまま起きることになった。
その夢は、何か宴会場のような広いお座敷のような飲食店で、食事の注文をするところから始まっていた。
周りの友人たちは次々にメニューの中から食べたいものを選んで注文していた。
しかし、私はなかなか決まらなかった。
どれもこれも嫌いな料理ではないものの、いまいちこれが良いというものがなく、どうしようかと迷い続けていたのだ。
そのうち、友人のところに持ってこられた料理の実物を見て、ああこういうものか、と思うのだが、それでもなかなかどれにしたらよいか決まらない。
そのお店はすごいたくさんのお客さんと店員さんなどがいて、料理が運ばれて食べたりしているのだった。
私はようやく注文するものを決めて店員さんを呼んだのだが、店員さんは忙しいのかなかなか注文を聞きに来てくれない。
店員のオバサンは、気づいていても行ってしまうかんじだ。
これは、待っていてもダメだからと、席を立って店員さんがいるほうに歩いていった。
そして注文をお願いしますと言って、料理を示すためにメニューを見せてというと、そこにいた店員の男性はメニューはないというので、だったらこういう料理・・・と言って、席のほうで見てきたメニューの写真を思い出しつつ「ご飯の上に里芋が並んでいて・・・」と私が料理の説明を始めたのだった。
その時のメニューは和風の定食のようなものがいくつかあったのだが、里芋の並んだご飯の他には、こんにゃくの並んだご飯があり、自分はこんにゃくではなく里芋のほうを選んだということだ。
それで、料理の説明をし始めたとたん、なぜか目の前にいるのは男性店員ではなく「私は店員じゃないんで」という客の一人らしき男性になっており、「あ、そうでしたかすみません」というような感じで、やっぱり料理の注文がどうしてもできないのである。
しかたなく自分の席に戻ると、周りの友人・知人たちはすでに食事を終えているような感じだ。
ああ、もう自分は料理を食べることはできないのだ、と愕然とする。
自分の席のところを見ると、そのすぐ隣の席にうな重と刺身か寿司みたいな豪華な料理が置いてあるのが目に入り、そこには誰もいないのだが、それが自分のための料理でないことは確かなのだった。
なんで私は、料理の注文を逃してしまったのだろうという絶望感がピークに達したところで、目を覚ました。
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こんな不幸な悪夢の途中で目を覚ましたときは、もう一度目をつぶり、空想の中で料理を注文して食べるということをして、夢を修正したりすることもあるが、今日はちょうど起きなければならない時刻だったのでそのまま起きたのだった。
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自分だけ取り残される・人から無視される・人がどんどん物事を進めていくときに、自分だけがモタモタしていて何も進まない。
よく見る夢は、旅行に行ってホテルなどで出発時刻になっているのに、自分だけ荷物がまとめられないで集合時間に間に合わないなんてのもある。
それが自分の恐怖なのかな。
そんなもの悪夢でもなんでもないっていえばそうかもしれないけど、なんかすごい疎外感が残るのである。
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夢の中で、おいしいものを食べて、ああおいしかった満足だ~なんていうのは、一度も無いように思う。
睡眠中に見る夢は、何でも達成できず、落ち着かない心だけを残していることが大部分だ。
今朝の夢も不思議なものだが、最初はどの料理にしようかとただ普通に迷っていただけだったし、その後状況が思わしくなくなって行っても、まだどうにかなると思っているのだ。多少人より遅くなっても料理が食べられるだろうと思っているのに、それがどんどん不可能な状況に追い込まれていくので、こういう展開って本当に不思議だと思う。
頭の中でストーリーを作っているわけではないのに、どうしてこのように物語が進行していったのだろうか。
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そして、目が覚めてから思ったことは、人生の中であれをしよう、これがしたいと思っていても、なんとなく時間に流され年月を経ていくうちに、結局できなかったよねという「後の祭り」みたいなことがあるんじゃないかということだ。
それは、自分の決断力がなかったり、意志が弱かったりしてできないこともあるだろう。結局は自業自得なんだけど、今朝の夢みたいに、どうして店員さんが注文を取りにきてくれないのか、どうして私以外のみんなは食べてるの?なんてひがんでしまう自分が本当に情けない人間だなあと思うのだった。
目を覚ましてみれば、別に私は世間から取り残されているわけでもなく、疎外されているわけでもないので、ほっとしたのだけど、精神的にちょっとめげる夢であった。
よくよく考えると、周囲の人はこんにゃくや里芋の定食を注文して食べていたのに、自分はそれでは満足できずに迷っていて遅れを取ったまま、結局何も食べられなかった。本当はうな重みたいなものが食べたかったのだろうけど、メニューには無かったのだ。結局は自分のわがままなので、あれはいやだこれはいやだと言っていて何も得られないってのは不幸なことだという教訓だ。