山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

昭島、ワダズメモリーの並木

2022-03-27 23:05:39 | 植物・花・木

昭島のワダズメモリー並木です。
先週見に行ったときに、まだ満開になっていなかったので、今日また見に行ってきました。
ほぼ満開になっていました。

つぼみもまだありますが、早く咲き始めた木は、花びらが落ち始めているのもありました。

今日は、ちょっと雲が多く、写真に写すと白い花がまるで雪が積もっているかのように見えます。

青空だったら、また雰囲気がずっと明るかったかもしれず、ちょっと残念です。

それにしても、私はこの並木がとても気に入っているのです。

アウトドアビレッジの前あたりの並木は、花つきが見事です。
それにワダスメモリーという木は本当に樹形がきれいですね。

なんと美しい姿なのでしょう。

↑ こちらは、フォレストイン昭和館のほうの道ですが、先週みたときにまだ花が全然咲いていないなと思ったところ、今日も花がとても少ないので、よく見てみると、つぼみさえもついていない木がたくさんありました。

かろうじて見栄えのするところを撮影してみましたが、なぜ花がついていないのか心配です。
木が弱っているのか、それとも剪定の問題なのかわかりません。

ふたたびアウトドアビレッジの方に戻りました。
ふんわりふさふさです。

このあたりから、走っている車を入れて撮ってみることにしました。

なるべく、きれいな色の車がいいかな~

これは最初に載せた写真ですが、今回の代表作としました。

きれいに並ぶ木たち。この辺は早く咲く始めたので、だんだん花びらが落ち始めています。

「ワダズメモリー」と書いてありますが、一般には「ワダスメモリー」と言われているようです。

タムシバの園芸品種。
花は葉が出る前に咲き、白色の大輪で芳香があります。
若木のうちから開花します。 モクレン科

と書いてあります。

このへんを歩いていると、本当に花の匂いがします。
数年前、初めてここにやってきたときに、何かお菓子の香料のような匂いがすると思ったのですが、
やはりこの花の香りで、今回も匂いました。

あまりこの花を求めてやってくる人はいないようなのですが、
私はワダスメモリーの魅力に惹きつけられています。

この花の並木は、他にはあまり見つかりませんが、もっと増えてくれたらいいなと思います。

駅の近くに来ると、残念ながら花が少なく、そして樹形がおかしいと思ったら、枝がかなり剪定されてしまっていました。
道路側に伸びすぎると車のじゃまになってしまうので、切らないといけないのでしょうけど、本当に残念です。

こういう街路樹はかなり土地に余裕を持って植えないとせっかくの良さが失われてしまいますね。

日本は狭いから難しいのかもしれません。

そして、とてもきれいな樹形なので、新緑の季節になったらまた緑の葉におおわれた並木も素敵かもしれないなと思いました。

今度は夏に来てみましょう。

 

 

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また恐ろしい偶然が・・・

2022-03-27 07:33:28 | 日記2022

先週、返却を大幅に超過していた3冊の本(結局読まなかった)を図書館に返しに行き、代わりに1冊の本を借りて来た。

それはたまたま書棚の中に目に留まった「巴里に死す」だった。

その書棚は日本の小説家の棚で、そこがたまたま芹沢光治良のところだったのだろう。隣には「人間の運命」がずらりと並んでいた。

そこで、思わず高校時代のことを思い出し、「巴里に死す」を手に取った。

なぜか迷いもなくそれを1冊だけ借りてきた。

普通だったら他にも何か本を探して3冊くらいは借りてくる。

・・・

私は、いつになくスムーズに「巴里に死す」を読み進んだ。(ふつうはすぐに挫折する)

そうして、数日前、このブログに、芹沢光治良の作品と高校時代の思い出について書いたところだ。
それは、卒業というテーマに対して、高校時代のことが記憶によみがえってきたからであった。

・・・

私は昨夜「巴里に死す」を読み終えた。

小説は読み終えたが、そのあと付録・あとがき・解説などがたくさんついていて、そちらはまだ途中である。ページにすると本の4分の1くらいだが、文字が小さく詰まっているので、もしかしたら小説本体くらいの量があるのかもしれない。

大江健三郎の解説のところにきて、あまりに長そうなので一旦止まり、最後の年譜を眺めていた。

芹沢光治良と言う人は、いつまで生きていたのだろうか?
1993年(平成5年)3月23日。老衰のため96歳で亡くなったということがわかった。

!!!

偶然にも、私がこのブログに芹沢光治良のことを書いた日は3月23日であった。

私はその時、この日が命日であるとは全く知らなかった。

このような偶然が、私には多すぎるのである。

・・・

ついでにわかったことは、私の高校時代には芹沢光治良氏は全く健在の現代作家だったということだ。
そして、思い出したのは、この人が静岡県沼津の人だったということだ。
私は沼津の出身ではないが同じ静岡県出身であるので身近に感じる。

そして、芹沢光治良について関心を持ったのは、高校の演劇部の顧問の先生の影響だ。この先生はどこの出身だったのか記憶がないが、私の地元の人ではなく、アパートを借りて一人暮らしをされていたのだった。
しかし、おそらく静岡県内のどこかの出身だったのだろう。それで、県立高校に赴任してきたということだ。先生も芹沢光治良が沼津の人であるということで読んでいたのかもしれないなと思った。

 

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