図書館から借りていた単行本と文庫本が、返却期限を過ぎてしまっていたので、昨日あわてて返しに行ってきました。
2週間はアッと言う間に過ぎて、結局単行本のほうの3ページくらいしか読んでいません。
とりあえず返さなければ・・・。
でもこれらは、もう一度借りて読む気にもなれないので、別のを借りてきました。
本当は、太宰治の「晩年」か「斜陽」を読もうと思ったのですが、これらは小さな文字の全集か、あるいは文庫本しかありません。
新潮文庫は、近年、文字がいくらか大きくはなってるものの、やっぱり小さいです。
行間が狭いので、目が疲れます。
それに、「晩年」と「斜陽」は図書館の本棚にありませんでした。「津軽」でも読もうかと思いましたが、やっぱり目が疲れて長続きしないと思ってやめました。
こうなったら、昔の有名小説家の作品は読むことができないなあ・・・
多くは、文庫本ならあるのですが、単行本はないからです。
そうなると、やっぱり現代小説を読むしかないなと思いました。
昔、学生のころ、文学の先生は、新作ではなく評価の定まった作品を読めと言っていました。
その当時の評価の定まった作品というのは、夏目漱石や太宰治などの時代の作家であり、村上春樹とかでは新しすぎたのです。
そんなつもりで、何十年も過ごして、ほとんど現代小説も読まないで生きてきたのですが、今気づけば、当時の新しい作家も既に古い作家になっているではありませんか。
もう夏目漱石とか川端康成とか、古典の世界ですよね。
それでも、有名な小説は今でも文庫本として出版されていますが、こちらは老眼で読むことはできません。
もうこうなったら、選択肢は必然的に限られてきます。
つまりは、物理的な条件に合った、字の大きな単行本を読むことです。
すなわち、現代小説です。
多くは自分より若い人の書いた作品です。
もう名作にこだわっている段階ではない。
字が読みやすいかどうかが問題だ、ということに気づき、それを基準に読書をすることにしました。