図書館で見つけた本。なぜ選んだかと言えば、私が「校閲おばさん」だからだ。
そして、かつて「校閲ガール」だった。
主人公「河野悦子」は、ファッション雑誌の編集をしたくて景凡社に入社するが、配属されたところは文芸誌の校閲部であった。校閲部に配属されたのは、彼女の名前が「こうのえつこ」だったからだそうだ。
彼女は元々、小説等には関心がなく、ファッションが大好きで、その分野に長けている。不本意な部署に所属されてはいるが、持ち前の記憶力抜群の才能などを発揮し、校正の仕事をしており、その中で、いろいろな出来事が起きると言う話。ゆとり世代、一流大学ではない大学。かなりはっきりした性格。
校閲部で働くという境遇から、自分に似ているかな?と思ったものの、全然違うタイプの人間だった。でも、面白かった。結局どうというあらすじではなかったが、出版社の雰囲気とか、校正の仕事現場など、垣間見られて楽しかった。
そこで、この物語から離れて、自分のことになるけれど、やはり出版社に就職したくて、なんとか、出版社と名の付く会社に就職した。そして、当然編集部を希望するが、実際に配属された部署は校正部門。文芸書が好きだが、そもそもその会社は、法律書を主に出版している会社だったので、数少ない文芸書の校正などは回ってこなかった。著者が執筆するような本は編集部で手掛けていたみたいだが、大量の法律書は、法律通りの内容を載せるだけであるので、文がおかしいとか解りにくいとか、そういう次元の校正は無用だった。
つまりは、誤植を見つけるだけの、印刷会社の職工さんのようなものであった。
だから、この本を読んだら、著者の文に対して、それを推敲するようなことが校正者に出来るものなのかと驚いた。
今現在も、校正の仕事をしているけれど、著者の文がよほど文法的におかしくないかぎり、かなり分かりづらい文面でも、そのままにしている。完全なる間違いでない限りは、手をつけない。
ちょっとショックだったのは、この小説に出てくる、校正の実例になっている誤記のある文を読んでも、ほとんど気がつかなかったことだ。私は、いつも横書きの文を読んでおり、縦書きになると気がつかない。こんなことは、理由にはならない。校正者失格だ。
私の仕事の場合、筆者がその分野の専門家であるために、かなり間違いなく文を書いていることが多い。私がその分野に関して素人なので、内容には立ち入らない。
また、ワード文書を校正するに際して、様式にあてはめた校正ツールがあり、たとえば、助詞が重なっていたり、句読点が無かったりすると、自動的に警告表示がでるようになっている。文中のすべての単語が取り出されて自動的に表示される機能もあり、その中に変な単語があるとすぐに見つかる。語句の統一や表記のゆれも、自動的に出るものがある。
そのような校正ツールを使うことが普通になっているために、人力で間違いを見つけることが苦手になっているかもしれない。
おそらく、もはや一般書籍の校正なんかできない人間になってるんだろう。
かつては、憧れた出版社。
自分は、ほっといたら、いったい何に関心を持つ人間になっていたんだろう。
きっと、小説を次々に読んでいたかもしれない。
なんで産業や技術に関心を持つようになったのか、それは本来の自分ではないんだろうと思う。
若いころは、自分の好きな分野があった。
そんなこともすっかり忘れてしまうほど、長い年月が過ぎたもんだ。
この本とは関係ない話になってしまったけど、
マンネリ化しないで、気合いを入れて校閲をしよう。
そして、かつて自分の好きだったことも思い出そう。
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