今年の自分を表す漢字は何かな?と思ったときに、アタマに浮かんだのが「経」と言う文字。
これは音読みで「けい」、訓読みで「へる」というものです。
お経(おきょう)ではありません。
どういう意味かというと「なんか知らないうちに時が経過してしまったなあ~」という気持ちです。
それはコロナ禍の「失われた3年」を経て、なんか世の中も変わってしまったし、自分もずいぶんと年を取ってしまったなあ~と感じるのです。
3年前還暦になりましたが、まあ、そのころは「アラカン」ということで「50代の終わりころ」なんて嘘を言っても疑われなかったでしょう。
ところが、63才ともなると、これは身体つきや顔つきでも、50代には見えず、まさに60代ババアであって、65才高齢者にほぼ近し、という感じになってしまっているのです。
そして、アタマの働きも悪くなり、行動もモタモタしているし、反応も鈍くなり、何かと古めかしい感じの年恰好になってしまったのでした。
やはり、60歳を過ぎてからというもの、「若いころはよかったなあ~」とか「若い人はいいなあ」などと思うことが多くなりました。
ああ、いやだ。
でも、実際に年を経たのは仕方がないこと。せめてカッコいい年寄りになりたいものだ。
・・・
私は考えてみると全く趣味がなくて、何か習い事でもやればよかったなあと思う。
その中で唯一続けてきたのが放送大学だから、そうか、そういえば、これだけが自分が継続してきた仕事以外の唯一の活動だったのかもしれないと気づいた。
そうして、なんか古ぼけた年配おばさんが面接授業などに出没しており、若い人からみると、アタマの回転わるそうな年寄りに見えてしまうかもしれないなあと思う。
それは実際、私が40才くらいのときに高齢の人を見たらそう思っていたのだった。
本当はアタマのキレる年配大学生になりたいものだけど、だいたいにして手抜き、いい加減な年寄りになっていくものなのだ。
年寄りと言うのは、全力疾走ができないし、アタマも曇りガラスみたいになっているのかもしれない。
それでも、思うには、中年の頃から続けていたからできるんだ、ってことだ。
これが60歳になってから急に始めたのでは、おそらくついていけなかったかもしれない。
だからまあヨシとしよう。
できるだけ年寄り臭くならないように、頑張って行きたいと思う。
「ウーバーイーツでいいんじゃない?」のオバサン(=夏木マリ71才) みたいに年取ったら、いいいんじゃない?
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