6月に実家の台所のシンクやガス台付近に敷いてあった「藤むしろ」を母といっしょに剥がして捨てた。
これは、もう40年以上前から敷いてあったものであり、端のほうは当時飼っていた犬が噛んだりしてボロボロになっていたので、そこをガムテープで貼ってあったりした。
下からはきれいな床がでてきたので、その時は古いものを捨ててしまってすっきりしたと母は言っていた。
しかし、その後の電話で「藤むしろがないと床がペタペタして裸足で歩くと気持ち悪い、やはりあれは捨てなければよかった」と母が言うのである。
あれを捨てたのは、流し台のすぐそばの部分に水か油がしみったように黒っぽくなっていて、水もれしているのではないかと剥がして調べようとしたときに、古いから捨てちゃおうということになったのだった。
でも、母は敷物があったほうがよかったというので「じゃあキッチンマットを敷けばいいね、今度買おう」と言ったら、「キッチンマットは買わなくてもいい。スリッパを履けばいいから。床がきれいだからそれでいい」というのである。
母が言うことはいつも矛盾している。「床だと嫌だ」といいながら、「じゃあキッチンマットを」と対処法を提示すると「いやこのままが良い」と言う。「この状態が嫌だ」と言っていたではないか!
要するに、「あの捨てた藤むしろを捨てなきゃよかった、あんたがシミがあるとか汚いとかいうから、あの時は剥がしてすっきりしたと思ったけど、やっぱりあれを敷いておけばよかった」というわけで、新しいものが欲しいのではなく、あれがもったいなかったということを言いたいのだ。
もう捨てたものはかえって来ないし、実際古くて汚かったんだからもう未練は捨てろ。
・・・
それで、今回帰省する前に、昭島のカインズに行ったときにたまたまキッチンマット売り場を見ていると、藤むしろのようなキッチンマットが売っていた。
これを買っていこうと思ったのだが、よく見ると、藤むしろっぽい模様のビニールの敷物で藤ではなかった。
ならば、布製のほうが足触りがよかろうと、後日近所のスーパーで普通のキッチンマットを選んで購入した。
キッチンマットは普通45cm幅で、長さは180cmである。
・・・
それを頑張って手に持って電車に乗って帰省し、実家のキッチンに敷いたのだが、一軒家の台所というのは普通の広さに見えて広いもので、180cmでは全然足りないのだった。
流しに合わせるとガスコンロのほうまで行かないし、ガスコンロの位置に合わせると流しに足りない。
同じデザインの140cmのをもう一枚買ってきたらよさそうだ。
だが、母の不満は長さではなく幅であり、藤むしろは幅が90cmくらいあったみたいなので、キッチンマットは細すぎるという。
それで、実の弟が秋に車でやってきたときに、地元のカインズで幅の広いカーペットみたいなのを買ってもらうからいいというのである。
そういうのは、前回弟がきたときに買って、2階の踊り場に敷いてあり、それと同じようなのが良いとのことだ。
・・・・
えっ?じゃあ、私が買ってったキッチンマットは要らなくなるよね。
キッチンマットって普通45cm幅だけどね。母は幅が広くないとダメなんだよね。
まあ、何をやっても私のすることは気に入らないらしいので・・・
これが血のつながらない嫁だったらどんだけ傷つくだろうか。
私がやったことでも10回に1回くらいは気に入ってくれることもあるので、母が私に意地悪をしているわけではない。
そういうストレートな人なだけ。
川勝知事みたいな性質。
川勝知事はもとは京都の人だそうだけど、静岡県人ってちょっとそういう性質なのだ。
思ったことを何も考えずに言っちゃうのだろう。
私もその一人だけど・・・。
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なので、全然傷つきませんが、いつもムカつきます。
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