今回の北陸旅行では、前記事に書いたとおり、富山県の観光地には1つも行かなかったということだが、かといって富山県とは何のかかわりも持たなかったのかというと、けっしてそうではない。
振り返ってみると、北陸新幹線で富山駅に到着し、そこから富山地方鉄道の観光バスに乗って3日間移動し、帰りは新高岡駅から新幹線で帰ってきた。
富山を基点にして動いたし、一泊は富山駅前のホテルに泊まっている。だから、富山が一番今回の旅行で関わりが深かったとも言えるだろう。
そして、富山駅の周辺は夕飯の後で散歩をした。
今回の旅行の特徴と言えば、やたらに夕飯の時間が早かったということだ。
これは、新型コロナ蔓延防止対策の影響が続いているせいなのか、8時前にはすべての飲食店が閉店してしまうという習慣が根付いてしまっているからかもしれない。
夕飯は、毎回6時には食べ終わってしまうと言う感じだ。食べ始めるのも早いのだが、人と会話せず黙々と食べるので、食事会場に入ってから出るまで30分とかからない。
それから、6月は日没が遅いというのがラッキーで、夜の7時を過ぎてもまだ明るいものだから、団体行動解散後に富山駅周辺を散歩してみた。
驚いたのは、とてもたくさんの色々なデザインの路面電車が、ひっきりなしに走ってくる。こんなにたくさんの路面電車が走っている町があるだろうか。ちょっと乗ってみたい気はしたが、乗り方もわからないし、行き先もわからないので乗らなかった。
それで、歩いて「富山城址公園」に行ったが、ここには城そのもののように見える「富山郷土博物館」がある。既に閉館時刻を過ぎていたので、中は見ることができなかった。
また、そのすぐそばに緑色の屋根のお城があったので、それは城ではないのかと不思議に思って帰宅後に調べたら美術館だったらしい。池もあり日本庭園がきれいだった。
本物の城の建造物としては、「千歳御門」というのがあって、これが歴史的価値のあるものだそうだ。
すぐそばの川(お堀のようにも見える)には観光船が停泊していて、休日には営業しているのかもしれない。
散歩をしていると、NHKの富山放送局があった。
また、駅前には富山の薬売りの銅像もあった。
街路樹のきれいな道路に、ガラス工芸品のオブジェがいくつか展示されていた。
それから、その国道41号線は、「ノーベル街道」と言われ、ノーベル賞を取った5人にゆかりのある地域をつないでいるそうだ。
また、ドラえもんの作者、藤子F不二雄氏の故郷が、富山県高岡市だそうで、ドラえもん関連のグッズなども売っていた。
高岡といえば、今回の旅行では、何かと存在感が強く、印象に残る地域であった。
「能作」という鋳物の会社の製造元を訪れたが、高岡はこのような工芸品の技術が昔から現在に至るまで優れている地域らしい。
帰りの新高岡駅には「高岡大兜」というものすごく高さの高い兜のオブジェがあった。
高岡というのは、語感も格式が高そうなイメージがあるが、富山県では、県庁所在地の富山市の次に大きい市なのだそうだ。
それで、富山市や高岡市は、今回の旅行では観光名勝のような所には、ほとんどいかなかったものの、ホテルや駅などでパンフレットを見たりして、その土地の色々な情報が目に入ってきて、興味がわいた。機会があれば、観光をしてみたいと思った。
そんなわけで、今回のツアーでは、富山県の観光地にはいかなかったものの、何かと関わりは深かったということに気づいた。
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